若女将コラム

日々西屋と山を駆け巡る湯守兼女将による、自由奔放すぎるコラム改めエッセーコーナーです。
人生は奇想天外に生き抜こう。趣味のことや日々思う事etc...ほぼ100%西屋に関係ない話題を思いつくまま載せています。

若女将コラム

好きな音楽のこと ~クラシック音楽~

2021.07.13

春先から新しく始めた3つの「燃え」-③

 


この春から池坊に入門した長男が、先日教室で生けた花。
曰く、七夕がモチーフとのこと。男の子らしく伸びやかでグー。
伝統文化を通して、今日も親子で切磋琢磨。
心胆は褒めて鍛えよ明日のため。

春先から新しく始めた3つの「燃え」

.書道

息子が花なら、母ちゃんが齧り付いたのは書道です。
事始め三連発(という名の公開処刑)の〆。

あー…でもこれだけはノーカンにしたかったと今更大後悔。

だって、だって…今めっちゃくちゃ苦労しているんだもん!!
(このコラム本文書くのもなぜかどえらい難産でした(!))

私は大概なんでも走り出してから考え出すダメな方の直情タイプですが、
書道もその例にもれず。春先突然「やるべ!」と思い立ち、謎の勢いそのまま
文字通り見切り発車でスタートしました。
先のこと考える暇なんぞない。愛も大事にしなかった(笑)

だから自分でツッコんでみる。なぜ書道。



基本動作練習中。始めたばっかりの頃です。
和紙の上で筆を滑らせる感覚が懐かしくてすごーく楽しい。
微妙に薄墨なのは固形炭のスリスリが足りなかったせいだ!

以前から「書く」という作業がわりと好きでした。
子供の頃に何年間か書道を習ったことがあり、その記憶を頼りに
たまぁに西屋での看板やお品書きを書いたり、硬筆ですが、
お客様にお礼状を書くとき恥ずかしくないようにと数年前
ユー〇ャンのペン字通信講座を受講し、一応修了証受領まで
通したりもしました。今でもテキストは時折有難く読み返しながら、
書道三体字典と合わせて見返しては細々~と練習しています。

でも、本格的な書道だけはなかなか手が出ませんでした…
カッコイイとは思っていたけど。
なんとなく、自分には遠く及ばない高尚な世界という先入観が
ぬぐえませんでした。これには深いわけがあります。

書道へ心向かう小さなきっかけをくれたのは、
生きて会うことが叶わなかった父方の祖父でした。

祖父は明治後半生まれ、当時珍しいプロの書道家でした。
父親が小学生の頃に40代半ばで病没してしまいましたが、
若い頃から広く書の才能を認められた人だったようです。
なんとかの横山大観の日本画に書を認(したた)めたこともあるほど。
現物を見たことはありませんが、横山氏本人から届いたという手紙は
未だに実家にあるので、戦火にまみれていなければ今も日本の
どこかにある…ハズ。

祖父は男性ながら、非常に女性的で繊細なかな文字&草書を大変
得意としていました。
草書とは。平仮名の祖先にして、百人一首や源氏物語等でおなじみの、
あの日本独特の優美な「くずし字」の世界。



↑祖父の書のひとつ。落款の脇に小さく「多々夫(ただお)閑(か)く」と
記されています。(祖父の名は忠雄さん)

流れるような筆運びは、国風文化が花開いた平安の、儚くも雅な時代を
どことなく彷彿とさせます。祖母への熱いラブレターも短歌に詠み綴った祖父…
なんつーハイスペックモテ要素。
子供心に思いました。いつかこんなきれいな字を自分も書けたらなぁ…と。

しかし本人とは直接話したわけでも、まして師事したわけでもないから、
肝心の為人(ひととなり)は永遠に知りえません。
だから尚更、そこに永遠に超えられない壁があるような気がしていました。
枕草子や古今和歌集をぶ厚いガラス越しに眺めているような心持。
ぼんやりとした祖父への憧れだけが長い長ーい間、心の底に燻ぶっていました。


・・・そんな折に降ってわいたのがご存じコロナ禍です。
今更言い表すまでもない、怨磋のカタストロフィ。
発狂の一歩手前で、脳内天秤は私に囁きかけてきたのでした。
刮目せよ、これは『大人のモラトリアム期間』だと。
今なら何ができるのかおのずと答えは出てくると。
ハッ!
モラトリアム期間と言えば自分磨き。
自分磨きと言えば…!いつか挑戦したいと思っていたこと!
普段ならなかなか手が出せなくても、このタイミングなら。
どのタイミングだ?いやそれは二の次でいい。
なるほどそれだ、よっしゃ何かあったら全部コロナのせい。
思いついた順からじゃんじゃんやってやろう。
(この辺の文脈ぶった切りっぷりがまさに見切り発車魂。)

…というわけで強制的に冒頭に戻ります。
書道です。

”学び舎”は色々検討した結果、通学は物理的に不可能だと早々に判断し、
スキマ時間に自宅で筋トレハッスルができるN〇K学園の通信講座を
選びました。身体漲るプロテイン。
ちょっと慎重になりすぎた感もありますが、何しろ書道の手習いは
小学校時代以来。初っ端から変な所作がしみ込まないように基本大事と
初心者コースを選びました。

さて書道と一口に言っても、行書や草書などの書体、遊書とも言われる
自由闊達な創作もの、大きな紙に全身で書くパフォーマンス的な書道、
かたや漢詩など古典の知識を得つつ臨書に励むなどなど、興味関心に
応じていろんな表現方法があります。
私はもちろん、祖父にあやかってゆくゆくは草書全般の技能習得を
目指しています。よって通信講座もかな文字のコースにいずれ取り組むべく
主に小筆を頑張りながら、同時進行で字の練習(硬筆)とくずし字を
ある程度読み書きできるように(既に無謀な)トレーニングを
開始したのでした。

はい今ここ。

やっぱり甘い世界ではなかった。
うん、知ってた。
…うそ。ナメてた。




誤魔化したかったけど文章だけではこのコラム、マジで味気なく
なるので恥を忍んで写真UP。ひらがな変異体練習してるところです。
途中から「いろは」モードになりました。まるで呪符。
とりあえず何の字かは…一応…把握しています。
まだまだお手本見なきゃ書けないレベルですが。。

古典の草書でつづられる平仮名には、現代のかな文字の原型となった
漢字のほかに、実は何種類もの漢字があてられています。
どういう法則で使い分けるのかはまだよく分からないけど。

まずこの字と形をそれぞれ覚えるのが超大変。
例えば「す」の元ネタは「寸」ですが、草書体のバリエーションは
寸の他に「春」「須」「數」「壽」「数」etcある上、字によっては
くずし方そのものが数パターンあったりします。
分かっているだけでもひらがな全体の変異体が軽く200字以上。
ヤバい。お前はアンパンマンのモブキャラか。

しかしここで尻込みしてちゃいけない。漢字の存在を忘れるな!!
漢字の草書体はそれこそ膨大な数…もさることながら、一つ一つが
それこそ何文字?呪文かよ?!ってくらい読みにくいの!
偏やつくりごとにある程度くずし方のパターンがあるので、
そのパターンを覚えれば多少組み合わせを駆使してそれっぽく
書くことはできるものの、当然書く人の持つ癖によってくずし方も
びみょーに異なるので、いきなり古典をひっぱり出されてコレ読め!
と言われましても、手引きなしに解読するのはかなり困難です。

だいたい祖父の書ですらまだ全部は読めてませんし。

…あ、でもよく見たら、1か月前よりだいぶ読めてる。
え…マジか…書道きちんと始める前はほぼ読めなかったのに!
もしかして、ちょびっとは努力が報われてる?んおお~ヤバい泣きそう。

まぁね、純粋に読むだけならまだそこまで難しくはありません。
でもゴールはそこじゃない、私は書けるようになりたいのだ。
どうっしても書きたいものがあるのだ。認めるよ無謀なうえに貪欲なんだよ。
だから筆をとったのだ。

どうする?
書くしかねぇ!
どうやって覚える?
よく分からねぇ!

最初は数学の関数でも覚えるみたいな感覚で、片っ端から
字体字典と睨めっこして、上の写真のように一文字一文字ひたすら
ぽつぽつ真似書きしていました(勿論基本動作は可能な限り踏襲しながら)。
しかしこれ、思ったより効率悪い。一文字ずつ書いていると面白いくらい
さっっぱり頭に入ってこない(笑)
当り前よね、普段使う現代文字と違うんだから。平仮名変異体ですら、
覚えたつもりでも三日後くらいには阿保の子みたいに忘れる。
私はニワトリか。実にこの繰り返し。

毎日ひたすら書き続けてなきゃ挫折しちゃう。
それも意味のある文章をきちんと書かなきゃ余計覚えられない。
そもそも集中する余裕を確保するために、普段の時間の使い方から
見直さなきゃいけないレベルだとここでやっと気づきました。

もちろん日がな一日書道ばっかりやっているわけにもいかないので、
先達やテキストの先生がしたためたお手本や短歌、文に折々目を
通してはひたすら目を鍛え、何なら普段書く文章に変異体を当てはめて
みたり、実践ありきで筆不精なりに手紙を書いたり、ただ単に字が上手く
なりたいのか書道を鍛えたいのかもはやどっちだか分らなくなる程度には
うんうん魘されながら今日も地味に「書」と格闘しています。

だから悶絶。
字を書くのってこんなに大変だったっけ?!!
スクワットや苦手なサイドクランチを延々ぶっ通す鬼筋トレの方が
まだマシに思えてくるよ(笑)

でも楽しい。キツい。楽しい。
ただのミミズののたくった暗号文みたいだった草書の羅列が、本当に、
少しずつ意味のある文章として読み書きできるようになってきてるから。

もうじき1回目の課題提出です。
まずは基本の楷書ででっかでかと自分の名前書いて送ります。
道のりはめちゃめちゃ遠いけど。
祖父ちゃん。私頑張るよ。

極楽浄土の最終目標:
草書体で推しキャラ(もちろんヴィランの皆さん)の名台詞を書きまくる
…実現するのいつだろう…(遠い目)。




今日の一枚

 "二十五絃箏曲「琵琶行」"

伊福部昭 作曲/野坂恵子 二十五絃箏 (1999) 


(まともな音源がネットになかった…)

ゴジラのテーマでおなじみ伊福部昭氏が御年84歳の時に、
筝曲家の野坂惠子さん(惜しくも2019年逝去)のために作曲した現代箏曲。
渾身のソロアルバムです。
伝統的な箏の絃の数は13ですが、野坂さんが開発したという二十五絃箏は
その名の通り25本。胴自体でかいのか、フルコンサートで確(し)かと
存在感を放つ大型のグランドハープにも比肩する、深く迫力ある音色が特徴です。

「琵琶行」は中国の詩人白居易へのオマージュだそうで、全体的に
暗く重い曲調ではありますが、緊張を孕みつつも色っぽく、それでいて
神秘的な二十五絃箏の弛みない音色が、背筋をピンと伸ばし、時に力強く、
時に繊細に書を認める艶やかな筆の運びとイメージ的にすごくマッチします。
共に収録されている「胡哦(こが)」は少し短めの柔らかな曲、
「箜篌歌(くごか)」は伊福部氏の晩年の作でなく、瑞々しい箏の跳ねる
ような響きがなかなか聴きごたえのある名曲です。

武満徹氏が作曲した現代雅楽の金字塔「秋庭歌一具」しかり、
日本の歴史の中で滾々と流れる「音」のルーツに本気で向き合った
曲というのは、どうしてこんなにも魂の奥底まで深く響き渡り、
心を鷲掴みにしてしまえるのだろう。
普段聴いているジャンルとはかけ離れたこれらの音楽に触れている時の方が、
なんとなく、なんとなーく、達筆に字が書けているように思えるのは…
多分気のせいじゃありません。

2021.06.28

春先から新しく始めた3つの「燃え」-①

 春先から新しく始めた3つの「燃え」

1.庭つくり



6月半ば、気になっていた西屋の庭にようやく手を入れしました。




スタッフ総出でほぼ一日がかり、花植えは丸っと1年ぶり。




今年はお米屋&お花屋の油屋さんに全面プロデュースをお願いし、
お花の運搬から日当たり具合をみながら種類別の植え方まで直接白布に
来て頂いて手取り足取りご指導いただきました。

当然花の種類によって値段はピンキリなわけですが、
ど素人なので値段は一切見なかったわ。
え、予算?
コロナへの間接的かつ狡い意趣返しに今更予算の縛りやて??
知らんがなIOCに言ってくれ!!


…おかげさまで見て!!






植えたばかりの時点では地面に隙間が目立っていましたが、
小さなお花が実に可愛らしく揃ったよ嬉しいよ。
今年は小道をだいぶ整備したので、浴衣姿でも気軽に歩いていけます。
良き良き。




今回はコキアにも挑戦してみました。秋の紅葉の時期が楽しみだうふふ。

今回庭仕事では、砂利だの木の根だの荒れ放題になっていた場所まで
頑張って開墾しました。まだ全面的に整備できてはいないしお花も
揃ったわけでもないし、最終的に納得のいく庭に仕上げていくまでには
それこそ長い期間が必要だということは十分理解しています。
理解しているが本当は私、過去プランターで何回も枯死の悲劇を
繰り返している元祖土いじり苦手マン。
風水的に私は「水の手」らしいですが、嘘だろ絶対嘘だろ。
メラッメラの火の手だろ。

しかし私は誓ったのだ。去年、今わの際の母に。
西屋の庭をきれいにしていくよと。
土と一緒に根本的に心入れ替えなきゃダメっぽい。
なんせ園芸ビギナーなので。気長に頑張るわ。




ちなみに、母から受け取ったラベンダーは元気です。↑

これらの可愛い草花にあげる水の源は、西屋裏のお薬師様からさらに
沢を上ったところから取水→玄関前の蹲に引いている、
純度100%の山水です。
間口は広くしているけど何分川なので、ちょっとでも雨が降れば葉だの
土砂だの時には冷たい小動物まで詰まる詰まる。
すわ大雨!今日は何が網に引っかかっているか?!
実にエグいエンターテイメント。
つまりこれから当分の間、晴天の日は湯守に加えてこの水確保作業も
欠かさずこなさにゃならんわけだ。
山に入っては斜面をノンストップで上り下りして水圧に耐えながら
全3か所でそれぞれ水を引くわけだ。
シンプルに仕事増えたよコンバットだよ(笑)
水といい温泉といい、私は水や泥に濡れて燃えるのが性に合っている
らしい。なんせエセ水の手なので。
ついでに体脂肪でも燃やしとく。これ次回の伏線。

「燃え」庭つくり…山の彼方の最終目標:ターシャ・テューダー!?


今日の1枚 


The 8 Symphyonies "Symphony No.3" 

Mikko Frank &
MDR Lipzig Radio Symphony Orchestra(2005)



(…マイナー過ぎて動画がないウケる。)

フィンランドが誇る現代音楽作曲家、以前もこのコラムで
紹介したこともある故エイノユハニ・ラウタヴァーラの交響曲第3番。
1960年作曲。ブルックナーの交響曲の影響を受けており
(実際よく似てる)、重厚感のあるリズムと荘厳で奥行きのある
音の広がりが印象的です。スコア見ていないので詳細は
分かりませんが、第1楽章の冒頭の主旋律他はブルックナー・
チューバ(ユーフォニアムによく似たホルンパートの替え玉楽器)
だと思われます(ソースは英語版ウィキペディア)。
どこか憂いを帯びた、仄暗くも艶めかしいその音色を聴いていると、
ダンテ「神曲」の挿絵で有名な、ギュスターヴ・ドレの
堕天使ルシファー(氷の地獄コキュートスのほとりで、身体こそ
冷たいのに心の裡には未だ人知れず熱く滾る何かを抱え、頬杖を
付いて虚空を睨んでいるあれ)が思い浮かびます。ラウタヴァーラの
交響曲は全部で8つありますが、3番はかなり好きね。一番好きな
7番の次位に好き。最後はしゅーん…と終わるし。
分かる(何が)。
いつの日か復活を望んでいるんだきっと。
堕ちてからの年月を鑑みるに、つまり彼も暇つぶしの達人なんだろう。
おまそれ生得領…

2021.06.05

衣替えは三次会の1か月半後だった ー『春の祭典』後編



爽やかすぎる雨上がりの白布(本日撮影)。
サムネのための枠とはいえ、
話題とのギャップまじぱない。



『春の祭典』~La Sacre du Printemps~後編

私が所属していたN大オケの常任指揮者T先生の自宅は、
山手線沿線のとあるアパートの一室にありました(今も元気かな)。
先輩後輩入り乱れて積もる話がついつい長引いて、いつの間にかそのまま
三次会にもつれ込んだのは分かる。分かるが、会場ここでいいんかい。
内心そう尋ねたかった。
しかしその場にいたメンバーの殆どが2年生以上だったので、私には
とてもツッコミを入れる勇気も断る度胸もありませんでした。
…まぁ、そもそも無理くり誘われたわけではなく、先輩方の面白過ぎる
四方山話をもう少し聞いていたくてついてきちゃった、というのが
正しいんですが…。

さて、お邪魔した中に女子や同学年がちらほらいたことに安堵しつつも、
慣れない雰囲気に飲み込まれないよう、私はほろ酔いの中じんわりと手に
汗握りながら、妙にビッグサイズのスピーカーから切れ間なく響いてくる
不気味な管弦楽曲にただただ必死で耳を傾けていました。
時には激しく、時に幽玄なその音色。
先輩は酒豪を自称しているだけあって、傍らで舌好調に演奏のポイントや
聴きどころをよどみなく解説してくれていました。
多分私内容を飲みきれなくて阿保面してたと思う。

そんなK先輩から何の前触れもなく変化球が飛んできたのは、
それから間もなくのことでした。

「〇〇(私の旧姓)、知ってるか?」
「エッ知りません」
「ここ(演奏)、エロいだろ?」
「…は」
「耳の穴かっぽじってよく聴いとけよ(←先輩の口癖)。」
「はぁ…」
「ウォルト・ディズニーの1940年の映画「ファンタジア」に、この曲を
独自解釈で映像化したパートがあるな」
「へぇ~そうなんすか知りませんでした」(次の瞬間デコピン食らう。)
「勉強不足め、今度観とけよ。4曲目だから」
「…ハイ(痛い…さすが映画通…)」

この辺で確か演奏は第二部も中盤過ぎに差し掛かっていました。
周囲には飲み潰れた他の先輩とサークル仲間、あとは真っ赤な顔で
少し離れたテーブルで何やら語り合っているグループが数人。
大丈夫、どこもかしこもとりあえず変な雰囲気じゃない(爆)。

先輩に直々につかまっていたので、真面目に演奏を聴いていたのは私だけ。
生贄となる乙女の賛辞、ちょっとおどろおどろしい先祖の召喚と儀式…
場面展開を示すサブタイトルは確かそんな感じだったはず。
私より10コ以上先輩方の定期の演奏、今でもはっきりと覚えています。
K先輩も楽器経験者なので演奏の腕はぴか一でしたが、大御所先輩の演奏も
セミプロかってくらいめちゃくちゃ上手い。彼らに追いつくのはさすがに
無理だとしても、いずれこんな感動的な演奏を自分も出来るように
なるのだろうか…とひとりでモヤモヤしていたら、

「このハルサイ(春の祭典のオケ愛称)の本当の中身はな…」
「はぁ…はい?」

突然先輩のトーンが下がったのに、ほんの少し話半分に聞いていた私は
反応がワンテンポ遅れました。
ふと先輩と目が合うと…ニタァ。
…あ、なんかヤな予感。
そして、その勘はだいたい忘れた頃に的中する。


「エロい長老たちが円座になってシカンする前で、異界の神と生贄の
乙女が祭壇上で死ぬまでxxxする話をまんまバレエにしたやつだから」

・・・( ゚д゚) ポカーン

突如落とされた爆弾に、モヤモヤが一瞬で消し飛びました。
なんかすごい単語も出たような気がするけど、初心者の処理能力がそれに
追い付くわけがありませんでした。
間違いなくさっき以上に阿保面晒した自信ある。

そこに、いつの間にこっち組に割り込んできたコントラバスのH先輩から
まさかの援護射撃が。

「ちなみに第1部は、長老が生贄の選考会やってる間ソイツ(神)が
草葉の陰で"イメージトレーニング"している場面な」

・・・(  Д ) ゚ ゚ 

瞬間、
私の中で勝手に構築していた「オーケストラ=優雅で純白の世界」は
真っ黒なビッグバンと共に粉々に破壊され、
かくして20数年にわたり無差別な膨張を続けるまま今日に至るのだった…


ちょっと(いや5割増しくらい)脚色してますが、当時のやり取りは
ほぼこんな異様なテンションでした。ほんのりオブラートに包んでいます。
それほど異常に覚えているのよ、あの日のことは。

春の祭典。
そう、これは本能のままに生命を謳い、人の祈りと神の愛とが混ざり合い、

あまつさえその命を貪ってしまうほどの、めくるめくリビドー炸裂の世界。
その世界を統べる異教の神の姿は、筋骨隆々の逞しい巨躯を上半身のみ
晒し(つまり半裸)、衣の代わりに光(智慧)と闇(本能)を身に纏い、
命を与えそして奪うことができる究極の美丈夫。
清濁併せ吞む異教の神は宣った。
歓喜のままに、こみ上げる情動ままに、無から有へ。
生きている今この瞬間をもっと解き放てと。

そして私は悟った。
終曲の打楽器は、知恵と本能が渾然一体となった生の滾りが、その一部と
ならんとする魂に深く刻み込まれる文字通り命の抽送(音)担当だと。

打楽器はただのタイコじゃないということですねK先輩!
それが言いたかったんですよね先輩!?!!
牛の鈴あり断頭台の鐘あり風の音ありビン転がしあり犬の鳴き声あり…
手(楽器)を変え品(曲)を変え、
果ては房事の効果音さえリアルにこなすとは!!!

なんかすごい。なんかすごい!!多分すごく曲解してるけど!!!

「先輩打楽器めっちゃヤバいっす…明日から練習マジ頑張ります」
頭の中が核融合反応したまま、多分そんなようなことを涙目で訴えながら、
半ば放心状態で三次会を後にしたのがあの日の最後の記憶。

懐かしい。
何もかも三次会のテンションにもっていかれそうなくらい懐かしい。

ーーーーーーー

K先輩。その後も難しい奏法やいろんな曲のこと人生譚に至るまで、
たくさん導き、叱咤し、語ってくれましたね。
志賀高原の合宿特訓や新日フィルの先生指導時は、あまりの厳しさに
一人ぼろ泣きしながら、恩に報いたく必死で練習しました。
不意打ちビッグバンのおかげでオケの思い出は今なお色鮮やかです。
ひたすら楽しく、時々ほろ苦い大学生活でした。
いつかまた会えたら美味しいお酒と共に思い出話に花を咲かせたいですね。
お土産は煙草で良いですか?
先輩は今もparliamentですか(てかあの銘柄今も現役なんだろーか)?
どうかお元気で。
親愛なる先輩へ。 畏(かしこ)。 

ーーーーーーー

『春の祭典』おススメの一枚

"Le Sacle du Printemps 1947 ver."
P.Boulez & The Cleveland Orchestra (1970)



ストラヴィンスキー本人とも親交があり、世界に名を馳せる指揮者・
作曲家の一人として今なお高く評価される故ピエール・ブーレーズと、
アメリカの5大オケの一つであるクリーヴランド管弦楽団の
ザ・ゴールデンコンビによる録音。当時45歳のブーレーズの脂の乗った
指揮捌きと、ドラマチックな演奏が隅々まで冴えわたるおススメの一枚です。
ストラヴィンスキーは自作の解釈と深化に拘る人だったようで、
作曲後も果敢に改訂を繰り返していました。収録のものは1947年版。
曲としてのバランスが最も優れているバージョンじゃないかな。

原典版により近いニュアンスを聴き比べてみたい時は、
ディズニーの「ファンタジア」を観てみてね。

2021.06.05

衣替えは三次会の1か月半後だった ー『春の祭典』前編




白布の冬を生き抜き、間もなく同居1年のメーチャンズ(メダカ)。

譲り受けた当初は稚魚が1匹いましたが、いつのまにか大きくなり、
今ではどの子か見分けがつきません。
給餌は1日1~2回。人の姿を見かけると、
「…餌か?餌だな!おい仲間共、餌タイムだぞ!!」とまるで互いに
呼びかけ合うように一斉に縁に寄ってきます。
なんだ此奴ら…愛い。こんなミニマムな世界にすら食欲のパブロフが。
ちっちゃくても脳みそちゃんとあるのね(全世界のメダカに謝れ(笑))。
一方タニシは放っておくと無限に増殖して景観上よろしくないので、
2~3回躊躇なく間引きました。実に無慈悲。



さぁ、前回さんざん半裸だのリビドーだの"欲求"に正直だの、
旅館HPコンテンツにあるまじき単語を相変わらずかまととぶって
盛大に撒き散らしましたが、それもこれも、すべては今日のため。

シリーズ化しておきながら「衣替え」のこの字なんぞ自らの手で
木っ端微塵です(でも今回も同じ単語を無理やり入れた)。
「春の祭典」回この度で〆です!長いので前編後編で!!

『春の祭典』~La Sacre du Printemps~前編




↑初演時の様子。当時の音楽雑誌に掲載されていた写真のようです。
バレリーナたちの表情が揃ってこわ可愛い。ウィキペディアより引用。

20世紀を代表する作曲家の一人、イーゴル・ストラヴィンスキーが
作曲したバレエ三部作の一つ。1913年初演。
バレエ曲ですから、メインはバレエです。はいはい禅問答。

初演会場は、今も昔も世界のファッションの最先端を切り開く、
フランスはパリにあるシャンゼリゼ劇場でした。バレエに詳しくなくとも
相当名誉な待遇だったであろうことは容易に想像できます。
しかしこの演目の中身は最先端どころか、オシャレに抜かりない高貴な
貴婦人方&リッチな劇場でコンサート鑑賞というハイソな趣味からして
相当意識高い系の紳士方のはるか遥か斜め上をいく、奇想天外の謎エンド
ストーリーだったのでした。一言でいうと
「異教の神を崇める古代の人々(主に長老達)および生贄の乙女による
禍々しい宗教儀式」

「火の鳥」のような王道ハッピーエンドでもなければ、
「ペトルーシュカ」のように、不気味さを醸しつつも実ることのなかった
悲恋ものという感情移入しやすい物語でもない、設定も振り付けも狂乱の舞台。
そりゃもう初演会場は大荒れ。現代のSNSでいう「大炎上」を巻き起こしました。
バレエダンサー達や演奏者が途中で上演を中断せざるを得なくなるほどの、
かたや観客席では客同士の流血沙汰が勃発するほどの。
これ、実は結構オケ史上有名なエピソードです。

餌に湧きたつメダカが如く。いいぞもっとやれ(笑)。

ちなみに私、この曲を初めて聴いたのは大学1年生、自覚ゼロのままオケ入団
→早々沼につんのめって頭から引っ張り込まれつつあった頃でした。

20世紀以降の管弦楽曲は、価値観の多様化が織りなす人々の機微の代弁なのか、
はたまた心病む混沌の時代を言外に憂う作曲家の無意識の叫びなのか、
難解な旋律やリズムを刻む不穏な作品が目立つようになり(全部ではないが)
それらを聴くのはともかく、演奏するとなるとなかなか一筋縄ではいきません。
例えるなら、ただでさえ出番が少ない(ことが多い)&リズム楽器なのに

主旋律が読めなくて入りタイミングが大概突拍子もない打楽器陣は、
四六時中手に汗握りながらホラゲーでもプレイしている気分…ん?

そこで、演奏会の課題曲のスコア(全パートの音符が書かれたオケっ子
御用達の楽譜)はもとより、作曲に至る人・歴史の背景にも一通り目を通し
(CDのライナーノーツや伝記的な本etc)、作曲者の作風や同年代の他の
作品のさわりに至るまで広く浅く前知識としてあらかじめ頭に落とし込んで、
より演奏曲を深く解釈しておくというのが我がサークル(というより私が
所属していた打楽器part)の掟でした。
これが、シリーズ冒頭に登場したかのK先輩の与えたもうた愛のスパルタです。

オケの右も左も知らなかった私に、今まで触れたことがなかった打楽器の奏法
はじめ、ありとあらゆる知識を根気強く猛攻で叩きこんでくれたK先輩。
芸術学部文芸科に所属し、若くして人生酸いも辛いも噛み分ける器用で奇抜な
オケ&映画マニアでした(褒めてます褒めてます)。
つまり、彼が説く広く深い前知識の延長線には、必ずと言っていいほど
いっそ知らなかったほうがいいくても困らない爆弾も時々仕込まれていた
わけです(褒めてます?)。

「春の祭典」は前衛的なバレエ曲であり、鬼気迫る展開に終始飲まれるまま、
踊り狂った生贄の乙女が遂に昇天するラストシーンでは、ひたすら恍惚と恐怖の
爆発(乙女というか演奏者が)…に圧倒され、気が付けばブラボー!と
心の中で拍手喝采してしまう衝撃の約30分。

これがおおよそ、ライナーノーツ止まりで曲を聴いた時の月並みな感情でしょう
(活字化するとややこしくなる)。

実は春の祭典は、先輩も私も現役の間一度として定期演奏会の曲目に
ラインナップされたことがない曲でした。
つまりそれほど聴きこんでおかなければいけない課題ではなかったのです。
理由は単純。実際に演奏するのが難しすぎるから。

にもかかわらず、K先輩は何を血迷ったのか初っ端からハイでディープな
”ハルサイの洗脳”をけしかけてきましてねぇ。
なり手がいなかった打楽器partから他楽器へ浮気するなんて万が一にも
許さないぞと言外に凄みつつ、往年の大先輩が過去定期演奏会で見事披露した
春の祭典の本番模様を、何の前触れもなくCDで流しはじめたのでした。
割と大音響で。

…時は新歓n回目→指揮者の先生宅でなだれ込み三次会の真っ最中。

(続)

2021.05.23

衣替えするヒーローとヴィランが実は双子だった話(?)





前略 親愛なるK先輩、ご無沙汰しております。
ここ最近白布は肌寒いほどの涼しい日が続いていますが、そちらは
お変わりありませんか。暦に従えば間もなく衣替えの季節ですね。
私はといえば、相も変わらずあるがままの一日一生を謳歌しております。
(以下略…)

かれこれ20年近く会っていない大学の先輩。お住まいは遥か鹿児島県。
そう簡単には遊びに行けません。コロナだし。
うーん、久しぶりに手紙でも書こうかな…。

そう。もうすぐ衣替えです。
大人の身体は基本的に成長しないので、右から左へ衣装ケースの中身を
移し替えればいいだけの話ですが、時が経つのが早ければ子等の成長も
早いもの。成長期真っ盛りの子を持つ親は、必然的に我が子の服の
選別作業も必要になってくるわけです。

というわけで、見事に去年の服がほぼ入らなくなった娘の新しい夏服を
買いに、久しぶりに娘と二人で子供用服売り場を目指しました。

しかしまぁ最近の子達が着る服ったらお洒落なことオシャレなこと。
売り場に置かれたかわゆいマネキンに着せられているのは、丈の長さが
どう見てもホットパンツに、肩がちょっと開いたドッキリ大人っぽい
デザインのプルオーバー、裾にシースルーの入ったワンピース、
ふわっとしたデニムのガウチョに大きなフリルのついたブラウス…
えー、これホント小学生が着ていいヤツ?

昔から肌を露出するのが嫌いで、まして今は着物(しかも昭和ばb(略))
しか興味がない母のファッションセンスなど推して知るべし。太刀打ちできん。
仕方がないから、色デザインが被らない程度にほんのりアドバイスするに留め、
あとはほぼ本人に着たい服を選ばせる作戦をとりました。
そうでなきゃ、今やどこの店内放送でも耳にタコができるくらい聞かされる
「短時間のお買い物」なんてできないから!
また洗剤と間違えて外見クリソツな柔軟剤の詰め替えばっか無駄に買う
凡ドジ踏みたくないかんね!!

…と、いろいろ割り切って颯爽と用事を済ませたはずなのに。

服を物色する娘を尻目に、一人某売り場を行き来した挙句、気が付けば
その手に"伏魔御厨子"を握っていました。
まごうことなきThe king of curse...

オイオイ全然颯爽としていないよ?!
まるでカバオ君バグみたいな軽ーいノリで誰かさんの領域展開を
あっさり買っちまうとかどこのいい歳した大人?
なんて。ただのキーホルダーだから(笑)



もちろん逕庭拳と一緒に。本誌では実に犬猿の仲ですが、
来世はぜひお互い兄弟愛溢れる一卵性双生児になってくれ…たらいいな。
スー坊とユー坊。二人合わせてロケットエンジン。

※カバオ君バグ…今はもう売っていないであろうアンパンマンの
お買い物シミュレーション付き知育玩具で発見された、その筋では
有名な初期エラー。たくさんのキャラクターがその場にいるにも
かかわらず、なぜかカバオ君だけ売り物の「食品」と一緒に
お買い上げできてしまう
という世にも恐ろしい( ?)怪現象を、
とあるニコ主さんがupした動画がそのネタ度に拍車をかけました。
リンクを貼るのはちょっと恥ずかしい~わ~(何を今更)。
腹筋崩壊必至の元ネタ動画が観たい方はぜひ
アンパンマン カバオ 買える」でググってみて下さい(笑)

・・・いや、ここまで引っ張っておいてなんだけど、
私が書きたかったのはホントは双子ネタでもカバオネタでもないんだ。
ストラヴィンスキーの「春の祭典」の話がしたかったのだ。

(「はァ、どこが?!」というツッコミはナシよ!)

でも無駄に前置きが長すぎたからここで切り上げちゃえ。
本題は次回にぶん投げます(爆)




今日の一枚。今日は一枚。

Philip Glass ”Heroes Symphony”

Gidon Markusovich Kremer, Wiener Philharmoniker (1997)


(紹介したアルバムの視聴サイトがなかったので今回は
リンクナシです。Youtubeにいくつか他オケの演奏動画が
ありますので、気になる方はぜひ聴いてみて。)

故デヴィッド・ボウイのアルバム「Heroes」から数曲をピックアップし、
フィリップ・グラスが交響曲としてタイトルそのままに
オーケストレーション化した作品。
私はこれを最初に聴いてからデヴィッド・ボウイを”逆輸入”したから、
元ネタがデヴィッドの方だったと知って大層驚いたのはいい思い出です。
ちなみにグラスの交響曲作品としては第4番にあたります。
なんかすごい。原曲があまりにも有名なので、ボウイファンの方には
いまいちアレンジらしく聴こえないかも(特にHeroes)。
もちろん要所要所のモチーフはちゃんと取り入れています。
フィリップ・グラスその人も傑出した作曲家なので、
独立した音楽として聴いてもいいと思います。
なかなか味わい深いオーケストレーションなのでおススメです。
同じく「Low」をアレンジしたLow Symphony(交響曲第1番)も
ありますが、個人的におススメなのはHeroesの方かなぁ。

へっへ。ヴィランズ一辺倒のはずの私が敢えて「ヒーロー」を選びました。
怪しいでしょう。


2021.01.16

音のある生活 42 「冬の嵐の道しるべ」




1月13日、今年初めて上がった天元台高原↑。
冷たい風が吹きすさぶ標高1300メートルでしたが、意外と寒くなかった。
遅すぎる初詣ながらも天元台神社に手を合わせました。
小さいお社ですが、いつ来ても不思議な雰囲気です。

こんにちは。
正月休みの間に髪を20cm近くカットしましたが、自分から教えるまで
誰にも気づかれなかった若(…ええと、まだこれ付けてていい?)女将です。
元々“気をつけ”の姿勢で髪束を余裕で握れるくらい長かったのだから、
そりゃ先っちょ切った位では見た目殆ど変わらないわな。
四六時中結っていると本当に変化が見えません。
まごうことなき身体の一部です。はい。




2021年はコロナGoto感染拡大キャンセルボンバーで西屋内も作戦変更また
作戦変更、さらに大寒波による大雪との戦いがいっぺんにやってくるという
前代未聞の大混乱の中スタートしました。

暗い話題ばかりが延々わいてくるニュースはとりあえずシャットアウト。
目を通すだけでひどい方の二日酔いみたいになるし、逆にかじりつくように
聞き耳を立てたところで、希望や答えなんて出てこないから。
この状態が当分続くのはほぼ間違いないでしょう。凹むヒマがあったら、
同じ時間をもっと有意義に使ったほうがマシだと考えることにしました。


実際今の世の中、自分の力でどうにもできないことだらけです。
世知辛いとかいうレベルじゃない。

今我々が置かれている場所は、
さながら一面雪に覆われた真冬の山のようです。



見るものを圧倒する、荒涼とした白銀の世界。
寒さ、静けさ、あれほど眩しかった生き物達の絶望的な気配のなさ。
全てが痛冷たい。

自分が行きたい場所は分かっている筈なのに、
そこに至る道(方法)が全く見つからない。
人を寄せ付けない山奥へ敢えて足を踏み入れる畏れと緊張感ばかりが、
凍てつく風になって無数の細かな針のように刺さってきます。

実は先月末、表層雪崩で沢の上流が堰き止められて(真冬あるある)、
たまたま現場に居合わせた東屋のベテラン番頭さんと一緒に山奥の堰堤を
指しました。まさにこの「冬山いきなりメンタル詰む」状態でした。

しかもこういう時に限ってかんじきを装備してこなかった迂闊。
冬でなければ5分そこらでたどり着ける目的地ですが、腰までの雪の中
ゆうに40分はかかったと思います。さらに途中には川から4~5mほどの
高さの水路があり、四角い筒状のそれの上を渡って通っていかなければ
ならない箇所があるのですが、その幅約50㎝弱。
そもそも水路だからもちろん手すりはなく、加えてその上に雪がどっさり
積もっていてどこが縁なのか全く見えないという(惜しい写真撮ればよかった)。
うっかりこけたら川まで真っ逆さま、大怪我必至の鬼コース付き。



(↑ちょっと行かないでいると、三十三観音の沢も雲海の彼方の
夜空のように遠くなる。この穴の深さは私の身長を完全に超えています)

しかし行かねばならぬのだ。寒波だろうが大雪だろうが。
天候が緩むのをあてどなく待ったところで、いつまでも沢に水が戻らず
お風呂の温度調はできないままです。途中で諦めて引き返してしまったら
それこそ苦労がパーになるし、その場に立ち止まっていても凍えるだけ。


「はぁ~ん、そんな山仕事ごときで何を大げさな~。」
そう思われるかもしれません。
自分でも「こんなことやって何の意味がある?」と空しくなる瞬間がある。


でも違う。違うんだよ。聞いてくれ。
温泉は温泉旅館にとって文字通り“”なの。
その魂を誰かが支えなきゃ、人を癒すことなんて絶対にできないんだ。
魂のない温泉旅館なんてのはねぇ、長ネギ入れ忘れた鴨汁、
ミレニアム・ファルコン号のないスターウォーズみたいなもんなの!!
(まぁ個人的にはハン・ソロがいない方がありえないけどね(爆)!!)




(愛器:トマホークで取水口の氷を渾身の力でバキバキ割っている最中に、
手伝いに来たはずの子供達が無情にも雪を落としてくるザ・修羅場の図。)

「どんなに志が高くても、実際は自分の手の届く範囲しか守れない」
前に友人が口にした言葉です。なんだよカッコイイなチクショー。
これ一見悲観的な響きに聞こえますが、見方を変えると「自分はただの無力じゃない」
と同義です。一つでも二つでも実際に守れるもの、できることがあるんだから。
ちょっと待てなんだよそういう意味だったのかあいつカッコイイなチクショー。

お客様が一人でもいれば、そのお客様に気持ちよく入れる温泉を提供する。
私湯守だから。明確な目標があるから、こんな不毛な山仕事だって苦にゃならんの。



コロナの渦中で観光業だけじゃなく社会そのものに傷が広がりつつあります。
何をすべきかはいつも自分で決めるしかありません。誰も時計の針は戻せない。
今更不幸を他人のせいにしたり、浅薄なマスコミの煽動につられたり、
見えない誰かと足を引っ張りあったりするの、もうやめよう。
自分の限界と、その中でできること、守備範囲がちゃんと見えてさえいれば、
気持ちが折れても正しい軌道に戻して、何度でも立ち直っていけます。
とても友人のようにカッコよくないしただのくっさい言葉ですが、
今これ以上分かりやすい真実があるだろうか。行動あるのみ。

ついでに国のお偉方、これ以上タイミング逃す前にオリンピックは諦めよう。
大人の事情を総動員して開催招致するくらい頭よろしいんだから、
今ここで人の流れを加速するイベントなんぞ強行したらどうなるかぐらい
想像つくだろうよ。守りたいのが自分の地位と名誉なら、尚更その矜持を
もって日本の経済と人命を守るんだ!!






春先か、もう少し先かは分からないけど、
いつか世の中が平安を取り戻す時まで、私は温泉を守ると決めています。
いつか帰ってくるお客様のために。そう思うから、頑張れます。
実にまとまっていないコラムですが気にしていません。
読みにくくてすみません。

頑張ります。今年もよろしくお願いします。

※今日の一枚 


"Songs of Comfort and Hope"

Yo-Yo Ma & Kathryn Stott (2020)

※サムネイルクリックで、”Ol' Man River”のPVを
視聴できます(Youtube)。
ご存じ世界的チェリストのヨー・ヨー・マと、
彼と40年近くにわたり共演してきたイギリスのピアニスト:
キャサリン・ストットのアルバム。
新型コロナウイルスの脅威を前にして、明日への不安に揺れる
世界に向けた一つのメッセージとしてリリースされた一枚です。
なんと冬の嵐の音から始まります。
孤独にさまよう暗い森の中、彼方からぼんやりと光がさすように
アメイジング・グレイスが流れてくるという鳥肌の立つ感動の演出。
のっけから引き込まれます。
聴いたことのある曲も多いのですが、そのどれもが、
朝霧のごとく白濁した、それでいて透き通る虹色の輝きを放つ
水晶のような神アレンジばかり。丁寧に奏でられる表情豊かな
チェロの音色は必聴です。そしてラストの一曲もまたアメイジング・
グレイスで締めくくるのですが、冒頭と違い、なぜか嵐の音が
温かく聴こえます。同じ音源のはずなのになんという癒しマジック。
いいアルバムですよ~。

2020.11.28

閑話休題 ~下半期の懺悔②~




今日になって、再び白布は銀白色に染まりました。
雪景色は綺麗で神秘的な世界が楽しめるので、たまに見るにはいいですが…
ここで生活している人間にとっては、重労働ボンバーの始まりの合図でもある。
今年は大雪かな?暖冬かな?すべては神の"味噌汁”。

こんにちは。
最近足湯療養を始めた若女将です。

『なに足湯ゥ?
おのれ毎日温泉に入っているくせに足湯(沸かした水道水)
なんぞ浸かるとは邪道だクレイジーだ!!』

…とかなんとか…
今更カミングアウトしておきながら耳が痛い言葉の槍が飛んできそうで、
今まで挑戦できなかった禁断のツール(汗)

確かに、風呂入ってすぐ寝られる環境なら足湯に頼らなくてもOKだったかも
しれません。しかし今はコロナ密を極力避けなければいけないご時世。
実際私達家族はお客様が夕食中で明らかに誰も風呂にいないうちに
全速力で子連れ烏の行水をしているので、漸く寝る頃には手足に氷が
張り付くみたいな冷たさに逆戻りしてしまうのだ。

…というわけで、知人さんのおススメで毎夜の習慣に足湯を取り入れて
みたというわけです。
それがもう驚き。抜群の冷え性解消力と安眠効果を実感!
こんなに効くなら槍やらチャカやら気にしないでもっと早く始めていれば
よかった~(苦笑)!今では、毎年あんなに苦しめられていたしもやけから
解放されて、羽毛の上を歩くような心地よさで即寝落ちする毎日です?!



そんなことより太郎ちゃんはどうしたって?
はいはい、忘れるところでした(爆)

2週間かけて京都で生まれ変わった太郎ちゃんはこちらだ!!





ご覧くださいな。サラッサラの絹糸にきれいに切り揃えられた前髪。
顔も新品のような色白肌に塗り直してもらいました。
さすがプロの職人さん。眉も口元もめっちゃ可愛い。
まるで那田蜘蛛山が産屋敷家ご子息になって帰ってきた
みたいな見違えようです。

今は、事務所の私のデスク前にある棚を太郎ちゃん専用の小部屋に
改装して、くつろいでもらっています☆

ミシンが急に壊れて衣装をお色直しするのが間に合いませんでしたが、
この冬のうちに藤の花飾を添えて、かわいい振袖姿にして
あげたいなー(ネタ(笑))と思います。

ともかく睡眠中にちゃんと疲れが取れるようになってきたので、
(いや、むしろ今までが異常事態だったに違いない!)
空いた時間を使って裁縫に向かう気力が戻ってきたのも何よりうれしい。
足湯いいよ足湯。

※久しぶり!今日の一枚

アイーダ「なぁにが"勝ちて帰れ"だァア!!」

"AIDA" -(ハイライツ)

(1985)
指揮:ロリン・マゼール
演奏:ミラノ・スカラ座管弦楽団

☆サムネイルをクリックすると、近年国立歌劇場で
上演されたアイーダの荘厳なハイライトが視聴できます。
雰囲気ばっちり伝わってきます!

見事に生まれ変わって西屋に凱旋した太郎ちゃんにちなみ、
ジュゼッペ・ヴェルディが作曲した歌劇「アイーダ」から
ハイライトアルバムをピックアップ。
舞台は古代エジプト。第2幕の「エジプトに栄光あれ」
「凱旋行進曲」があまりに有名です。クラシックオムニバスの
オペラ版には高確率でこの曲が入っています。
私の手元にある上記のロンドンレーベルは、かの三大テノール
と称えられ一世を風靡した故ルチアーノ・パヴァロッティが
主役その2のラメダスを熱唱、ロリン・マゼールが指揮を執り、
ミラノ・スカラ座管弦楽団による演奏版です
(ライブ盤かどうかは不明)
このハイライツには、エジプト王が戦に向かう兵士を鼓舞する
「行け、聖なるナイルの河岸へ」という隠れた名曲も収録されています。
戦意高揚間違いなし。

とまぁこのオペラ、勇ましい曲が脚光を浴びることが多いので、
何かハッピーエンドが待っていそうな錯覚を覚えなくもないのですが、
敵国同士で三角関係はもつれるわアイーダ父(エジプトに侵攻された
エチオピア王)は娘の恋路を当たり前だが邪魔するわ、とばっちり食らった
(?)アイーダの恋人将軍ラメダスは結局捕まるわ、
とどめのラストシーンではアイーダ&ラメダスが獄中で心中してしまうわetc…
うわー悲惨すぎる…。

そんな昼ドラ要らんからかっこいい部分だけ聴いて
もりもり元気が欲しいわ!
そんな方は第2幕をどうぞお楽しみくださいませー!

2020.08.01

音のある生活 41 「雨上がり、優雅な炎」


こんにちは。
多分万年園芸ビギナーの若女将です。

まずは更新期間が1か月空いてしまった弁解は罪悪と知り給…。
色々ありました。落ち込んでいたわけではありません。
(いや、そりゃ、落ち込んでいましたが…;)
なにより物理的に忙しくしておりました。

というわけで1か月ダイジェストスライドショーだ!



7月中青空が見えたのはほんの数日くらいだったような気がする…。



数少ない花のオアシス。ヘリオトロープにとまるモンシロチョウ。



大雨で増水するたびに山に走ったよ…



7月下旬、子供たちの学校の行事で吾妻山の清掃登山に行きました。
この時だけ奇跡的に天候が回復。ラッキーにもほどがある!!



筋肉痛無しで久しぶりに登山ができました。
普段から鍛えておいてよかった。。



7月23日、「みんなの想火(そうか)」という竹灯かりイベントが
47都道府県各地で同時開催されました。白布温泉街は山形県代表の
開催地として、かもしかやさんの前の広場に幻想的な竹灯かりが
登場しました。



新美南吉の「木の祭り」のワンシーンみたいで、綺麗でした…。








月末には社長(主人)が急病で入院。
番頭さんもたまたま用事でお休みだった休館日明け、我自ら風呂掃除。
大変だが楽しい。お風呂最高。





昨日は雷雨から突然の快晴。
実に嵐のように忙しかった7月の締めくくりにふさわしい天気で、
気持ちも晴れやかになりました。大樽川の谷間をキラキラ輝きながら
舞うトンボたちがただ愛おしく思えました。



前半は母の死に思うところあり一念発起して鬼のような断捨離モード、
後半は連休の現場戦争とGo toキャンペーンの準備と子供たちの行事と
家族の入院etc見事に全休日が潰れたまま1か月丸丸働いていました。
さらに7月はとんでもない大雨月だったこともあり、
何ら庭仕事ができなかったおかげであちこちドクダミやミントの
ジャングルスペースに逆戻り(見ないふり、見ないフリ…(大汗))。
花を植えたところ、鉢を設置したところだけは何とか現状キープ
していたので、そこだけは可愛い花が次々咲くようになりましたが…。

先は長そうだわ。

尤も、かの有名な故ターシャ・テューダーも
「理想の庭を作るには12年は必要」という言葉を遺しているわけだし、
すぐに結果を求めるのではなくゆっくりのんびりお付き合いすれば
よいのだ。相手も命。心を込めて少しずつお世話しているうちに、
きっと草花は声なき声に応じてくれることでしょう。

そして件のGo toキャンペーン
散々方々からケチが付きながらもようやくスタートしました。
(板挟みだったであろう観光庁の皆さんホントお疲れ様です;)
西屋でも、社長の緊急入院というトラブルに見舞われながらも
何とか対象施設に登録され、新プランで予約受付を始めました。
本当に来年の1月末まで続くのかなぁ…(苦笑)
世の中はいわゆるコロナ第2派で騒然としています。
当然ながらこれ以上の感染拡大を防ぐためにもGo toは
やめるべきだという声も聞こえますし、じゃあ今まで準備と設定と
お客様へのインフォメーション&フォローにかけた膨大な労力は
何だったんだって話だし、これ単純にコケたらそれこそ観光業界は
これ以上ない痛恨ダメージを喰らうことほぼ必至ですし…
個人的にはいろんな意味で「てやんでぇ!!」な心持です。
私一人が吠えたところで何もならないのは重々承知ですが…。

誰か教えてくれ。
人間世界、どうして一事が万事シンプルに進まないんだ!?

誰か「だって人間だもの(ポツリ)。」



そんな行くあてのない疲れた脳内で何故か
エンドレス再生されていたのが、今日の1枚。

Saint-Saens Symphony No.3"Organ"

小林研一郎(指揮)&
チェコフィルハーモニー管弦楽団(2008)


ネット上にサンプルない!!Apple Musicその他で
ぜひ聴いてくれ!


「動物の謝肉祭~白鳥のテーマ」でおなじみのサン・サーンス作曲。
彼の交響曲の中でもとりわけ有名な第3番です。何しろ(パイプ)
オルガン付き!オーケストラのバックまたは脇でパイプオルガンの
音色が荘厳に響き渡る2楽章や4楽章は必聴です。

特に2楽章がずっと私の頭の中をぐるぐる巡っていました。
7月のテーマ曲はズバリ君だ!

なんでしょう、
この光あふれる、母も行ったであろう天国みたいな世界感。
フランダースの犬のラストシーンにも登場したルーベンスの
キリスト昇架みたいな静謐さ。うーん、名曲。

対して4楽章は絢爛豪華に展開しますが、パイプオルガンが実に
艶やかにいい味を出しています。
同アルバムの「死の舞踏」もカッコイイですよ。
夜ごと地底から現れて、亡霊と舞いながらバイオリンを弾く死神
と聞くとおどろおどろしいイメージしか湧かないのですが、
旋律が妙に色っぽいのがたまらんのです。
朝の到来を告げる鶏の鳴き声に震え、物悲しく冥府へ帰っていく
ラストシーンは、さながら道ならぬ逢引の別れ際のよう。
この主人公(死神)、もしかして女子?

演奏はチェコフィル、指揮は小林研一郎、またの名を「炎のコバケン」。
その細身で小柄なシルエットから、氏と同郷のオケ仲間は「こけしちゃん」
などとやたらキュートな愛称を付けたりしていましたが、彼の指揮は
文字通り炎の如くパワフルです。20年ほど前のコンサートではよく
飛んだり跳ねたりしていました。彼のチャイコフスキーやブラームスの
スラブ舞曲、ベートーベンはロックだったなぁ…。
東欧系の楽曲指揮が割と人気ですが、こちらのオルガン付きは非常に
優雅で解釈も分かりやすく、オーケストラにあまりなじみのない方でも
親しめるかなりの良録音だと思います。

機会があったらぜひ聴いてみてください。

2020.05.17

音のある生活 39 「新緑のAndante」




こんにちは。

伍番街のマ…七番街の若女将です。
23年ぶりにピザも蜜蜂も大きくなって帰ってきました(何を言ってるn(略))。

久しぶりの更新です。
書きたいことは沢山あったものの、休業中はさすがにはばかられました。

そもそも休業要請が出る前から、消費税UPやら暖冬やらと暗雲が垂れ込めていた
昨今の観光業界。そして最後にやってきたのが、思いがけない
毎日が日曜日(まるでいい意味ではないが…)」の1か月という…。

我々観光業の人間がGWまるっきりお休みなんて前代未聞です。
泣いても笑ってもどうにもならないので、ステイホーム中は子供達と一緒に
「今までできなかったことをしよう」をマイスローガンに掲げ、
(その本当の理由は下記にて。)
ささやかな仕事の傍ら



レンバス作ったり(「指輪物語」に出てきたエルフの携帯食(らしきもの?))



カレーパン作ったりしていました(しずくちゃんの絵本を参考に)。

特に、着物のメンテナンス(季節の入れ替え&襦袢作り&作り帯作り)
があれこれできたのは個人的に嬉しかったな。
ただいじるだけでなく、前よりさらに日常着らしくしようと着方を
工夫しながら何度か練習もしていました。その結果、見事「補正ゼロ」
「帯板不要」「衿芯ナシ」「着物の堅苦しさ完全無視」をクリア(?!)。
不定期ながら着物生活も復活させることができました。
着物は、母譲りの大事なアイデンティティ。
末永く自分らしさを保ち、お客様が求める鄙びた宿のイメージを大事に
守りたいと考えた時、やっぱり着物はマストアイテムだと再認識した次第です。
だいたい持っている着物の数があまりに多すぎて洗い(虫干しし)きれない…。
いっそ着ながら空気を入れてやろうという狙いもありますです。

他にも、
運動不足解消のため東屋さん中屋さんの子供達も一緒に白布大滝に行ったり



遊歩道を散策したりしました。



↑遊歩道の途中にある展望台からは飯豊連峰がくっきり!

春休みと重なる時期だったとはいえ、2か月半以上友達と一切会えない
休校期間はさぞストレスだったと思います。そんな子供達にとって、
雄大な自然に囲まれた白布界隈のミニ探検はたのしい遠足気分だったろう。





↑雪の重みで根本が斜面に沿って曲がった森の木々。遊歩道にて撮影。
ね、本当に「ロード・オブ・ザ・リング」の一場面みたいでしょ?

こんな感じで、休業中まともに山を下りたのは片手で数えられる回数程度。
不便だけど、こういうとき山に住んでいてよかったと改めて思うのでした。



(5月3日撮影。)

気が付けばすっかり日が長くなり、あたりは新緑に包まれています。

昼はエゾハルゼミが、夜はトラツグミ(鵺鳥)が、森の奥から
その不思議な鳴き声を聞かせるようになってきました。



霧の朝、晴れ時々通り雨、そして満天の夜空…
音もなく、流れるようにその位置を変えていく星々。
人間世界の混乱をよそに、自然はありのままに時を刻んでいます。

白布にずっといると、人という単位の小ささも相まって
本当に時間の経つのを忘れそう。先日のとある取材の折に
「見慣れた景色なのに違う世界にいるみたいだ」と話しましたが、
休業が明けた今でも時々、ふっとそんな気分になるときがあります。

コロナによって、我らを取り巻く環境は一変しました。


(人ひとり通らない白布温泉街。5月3日撮影。)

新型コロナウイルス…どこぞから降ってわいてきたミクロの物体
(ウィルスはその構造上非生物と言われている)。
目に見えないこいつのせいで世界各地の人々の命が奪われ、
とてつもない大勢の人々の仕事が奪われ、結果経済は急速に悪化し、
社会全体の価値観から人の動き方そのものまで変わってしまいました。
コロナの感染力を侮ってはいけないのはもちろんですが、個人的には、
今回のコロナ禍はインフォデミックこそが諸悪の根源と考えています。
人間に突如襲い掛かった"未知への恐怖"に対して、すっかり便利になった
ネット社会が仇となり、正しい呼びかけから根拠のないデマから
果ては混乱に便乗した扇動に至るまで、無秩序な嵐が防波堤のない岸辺に
押し寄せるがごとく、毎日テレビもラジオもネットもどこもかしこも
コロナ一色。いいニュースなんてどこにもなく、夢や希望がなくなる
わけです。それどころか、判断力や自主性まで奪われるあまり
とうとう自粛警察なんていう妙な副産物まで出てくる始末。
なにが警察だ。

プレジデント神羅「正義の執行者気取りはさぞ楽しかろう。」
↑若山弦蔵さんの渋い声でこのセリフは威力抜群でした。

旅館業や飲食業は、まだコロナがそれほど国内に蔓延していなかった
2月からインバウンドを中心に猛攻直撃を食らっていました。
相変わらずこのコラムでは余裕ぶっかましたようなことを書いていますが、
決して中身は余裕じゃありません。仲間の旅館の多くも共に営業を再開
しましたが、以前の客足が戻るまでにはまだまだ長い道程が覚悟されます。
正直、私達もどこまで耐えられるか分からない。
でも、旅館業は本来訪れるお客様に癒しと安らぎを提供するのが仕事です。
その私達が不安や悲観に打ち負けてオドオドしていたら、
お客様を温かくお迎えすることなんてできません。
だから休業中も前向きな気持ちを決して無くさないように、
子供達や家族から笑顔が消えないように、自分から積極的に自転して
「今やりたいこと」「今しかできないこと」を思い切り楽むぞ!
と言い聞かせていました。
だいたいこんなチャンスはきっとこの先当分ないだろうから、
いろんな意味で後から後悔することがないように、
そして同時に、いつか訪れるであろう明るい未来をひたすら信じて、
この約ひと月を過ごしてきました。

いよいよ休業要請や緊急事態宣言が徐々に解かれ、今までとは違う注意を
十分に払いつつも、少しずつ元の生活ペースに戻ろうと、みんな必死です。
願わくば、しぼんだ風船をもう一度膨らませるように、再び世の中すべてが
心を温かく広げ、安心して暮らせる日々が戻ってきますように。





というわけで、西屋も14日からなんとか営業を再開することができました。
訪れるお客様にとって、温泉の癒しが今も昔も不変であることを信じ、
これからも頑張っていきたいと思います。



はな「あたいにも会いに来てカモ~ン★




今日の一枚

BRAHMS/Symphonie No.1

ベルリン・フィルハーモニー/クラウディオ・アバド(1990)


(↑サムネイルクリックで、Youtubeでのアバド版アルバムが
視聴できます。14:17頃から2楽章。)

ヨハネス・ブラームスが生涯に作曲した4つの交響曲の中でも特に
人気が高いといわれている、ブラームス渾身の大作です。
同国の大先輩ベートーベンの交響曲を目指して、20歳そこそこで原案を
書き始めから推敲&試行錯誤することなんと20年以上、43歳の時に
ようやく完成したそうな。
全体に聴きやすい展開で、下記の通り学生オケにもモテモテ(?)。
第一楽章はズンズン重たく始まりますが、最後は抜けるような明るさと
ハイテンポで高らかにフィニッシュ。
特に第二楽章のアンダンテがおススメ。長い冬(第一楽章)を経て
ようやく温かい春が訪れたような、優しく田園的な旋律が実にのどかに
心癒してくれます。ただし打楽器奏者(ティンパニ)は出番が2回しか
ないので、心地よさにつられて地味に寝落ち注意(←経験者)。
この曲(アマオケの皆さんの愛称はブラ1)は大学4年生の時に
オケサークルの定期演奏会で演奏しました。4楽章クライマックスの
コーダでテンポがずれて分からなくなり、本番なのに全員空中分解寸前に
なったのはいい思い出(笑)
紹介したアルバムはクラウディオ・アバド指揮による1990年版ですが、
他にもたくさん「名盤」とされる録音があるようです。

長い自粛生活が開けて、ようやく青空の下で胸いっぱい深呼吸。
そんなときにふと思い出してほしい名曲です。


2020.01.13

音のある生活 34 「一年のスタートは"荘厳"に。」


おそくなりすぎましたあけましておめでとうございます若女将です。
ひらがなズラッと並ぶとやたら読みにくい日本語マジック。



ご存じの通り、今年は脅威を感じるレベルと言っていい
異常な雪の少なさで幕を開けました。
沢が全面見渡せる三十三観音。信じられにゃー。

雪国住人としては除雪に悩まされないのが有難いところですが、
先々(特に今夏)水不足に影響するのではないかと
内心すごく心配してもいます。



例のごとく湯守しながら常に山の様子を注意深く見守っていますが、
(↑作業に欠かせない「鎌(!)」「温度計」「LED懐中電灯」と共に。)
ただでさえデリケートな冬の温度調整がいつになく難易度の高い
作業になり、実は裏山で一人四苦八苦しています。



↑三十三観音から引いてきた山水。この水ホースを左右に僅か2~3
センチずらすだけで…



↑同じく前後にほんの3~4センチ動かすだけで…



↑これでもかと湯滝の温度が激変します。
簡単なようだけどね、本当に難しいの。
勘と経験で温泉と水の流れや混ざり具合をある程度予測できるとはいえ、
ベストの状態に安定させるまで長いときは30分以上かかります。

こんな燃費悪い湯守を日々続けているせいでしょうか。
いつもの冬とまるで違う妙な気配が否が応でも伝わってきます。







↑今月3日に撮影した、長さ6~7センチに及ぶセレナイトのような
見事な霜柱。誰かさんの髪のツヤにもそっくりさん。
源泉が通るパイプと沢の間のわずかな隙間にだけ見られるレアもの。
この冬まだ一回しか遭遇していません。

ふつうこの時期ならもっと空気が冴えわたっていて、
森も山も人を寄せ付けないまるで結界のような雰囲気すら漂わせているのに、
少なくともここ西吾妻界隈は、大地も大気も芯がなく"緩んでいる"感じ。

なぜだろう?
…いや、自然に対して"何故"は愚問か。
ならば人間活動のせいか?
…否、地球環境は決して一枚岩じゃない。

こうも気候変動が予測不能になると色々と意見を言う人々が
湧いてきますが、これからの時代は目先に左右されず注意深く
慎重に歩まなければならない…強くそう感じます。
まず疑うべきは"思惑"そのものなのだ。

何かが変化しているのを感じた時、それは何故かと問い始めた時、
一歩踏み出す毎自分を決して見失わないように。
かといって、石橋を叩きすぎて本来渡るべき橋を自分からぶっ壊す
カッコ悪いオチは絶対踏まないよーに。

というわけで私、
今年一年は引き続き内省と学びの年にしたいと考えています。
ずっと昔取り組んで途中放ったまま長期間ブランクがあったもの、
いつかやりたいと思っていたこと、どこから手を付けたらいいのか
とりあえず時間との相談ですが、掃除のたびに新鮮な風を部屋に
取り込むがごとく、いつも心の窓を解放して、脳内すっきり状態を
キープしたいと考えています。





だらだらと前置き失礼しました。
今年一発目の紹介アルバムは幸先よくゴーカ?に行ってみよう。

"Back to Bach" (J.S.バッハ:「名オルガン作品集」)

Kei Koito(2019)


(残念オンライン視聴できるサンプル楽曲がない!)

日本ではあまり知られないないようですが、
本場ヨーロッパではその道のカリスマとも呼ばれている
世界的オルガン奏者:小糸恵さんのアルバム。
数百曲に及ぶバッハのオルガン作品から厳選した17曲が
収録されています。

パイプオルガン。言わずと知れた世界最強のアンチモバイル楽器。
ストップ(鍵盤の左右についているドアノブorもんじゃ焼きの
ヘラみたいな器具)を出し入れすることで、神々しくも
コケティッシュにも変化する魔法のような音色が昔から大好きで、
サイモン・プレストンやヘルムート・ヴァルヒャなどなど
名演奏家による主にバロック時代のオルガン曲を折に触れ
聴いていました。
その影響か、どちらかというと「(厳格な)宗教的」「男性的」
「機械のような正確さ」みたな印象の強かったバッハオルガン。

ところが小糸女史の演奏は、今まで聴いたどのタイプとも違う
独特のオーラを感じます。人間らしい柔らかさと同時に人間離れした
世界観が同居している…というか、
バッハその人があたかも作りたての音楽を弾いているような、
素晴らしく瑞々しいオーラ。
小糸さんご本人はバッハというよりグーニーズのフラッテリー・ママに
(かなり)似ている方なんですが(←なんつー失礼…)、
とにかくどの曲もしっとりと生命感あふれる素敵な響きなのです。
収録に選んだパイプオルガン(500年以上前に作られた
北ヨーロッパ最大級の名器)もさることながら、選曲の素晴らしさも
このアルバムの大きな魅力です。
1曲目のトッカータ、12曲目のタイトルからしてドツボな
「来たり給え、創造主なる聖霊よ」あたりおススメ。

目を閉じると浮かんできます。正装したネクロードがネクロノミコン
みたいなステンドグラスの地獄絵バックにゴシック豪華な
パイプオルガンを弾きこなす姿が。(ちょっと待てそれ吸血鬼でわ?!)
教会の神聖な楽器という立ち位置とは裏腹に、なぜか私の脳内では
世紀末メメントモリな方々がパイプオルガンを弾くというギャップ萌えが
発生してしまいます。ルシファー(元天使→堕天使→悪魔)繋がりかな?

ああ今年も一年こんなノリでいっちゃうのか私(いっちゃうんだけどね)。
こんな趣味だからしてパイプオルガン好きでもあるわけだが。
我ながら一体どこにストライクゾーンが付いてるのやら(笑)
ご安心ください、誰もフラッテリー・ママが悪魔だなんて言ってません
(↑分かってて自ら意味不明な墓穴を掘る)。

というわけで、この世界に悩めるすべての魂をも浄化するような
魅力的な名演奏(オチ!!)。今年一発目のおススメでした~!

2019.08.26

米沢のいい所あれこれ 【第26回:カフェ蓮桜(れんおう)】


こんにちは。
先週、不覚にも風邪でKOダウンしていた若女将です。

最後に熱を出したの、いつだったっけ?多分ブランク5年以上。
これまでの間、家族がインフルエンザで次々倒れようが
息子がマイコプラズマ肺炎で入院しようが、ネジ野郎バリバリ元気で
走り続けてこれたのに…不覚!!
最初は「やっちまった!が所詮はただの風邪だぐはは気合で治してやる(爆)」
つもりでした。ところが発症して3日経っても熱が下がらないどころか、
体温計が示したまさかの「39.8度」。初めて焦りました。

そうか、今年の夏は猛暑が直接身体に憑りつくタイプだったのか!!
(んなわけないだろ(笑))

話には聞いていましたが夏風邪は本当に曲者です。
いつもの“動いて治す”根性論が全く通用しません。
おとなしく医者に行き、処方された薬でよしんば熱が下がっても、
身体の中で何かが重力崩壊するごとくどんどん体力が奪われ続けていきます。
ひどい寝汗はかくし、しまいには浮腫みまできれいさっぱり干からびて、
それはもう干し芋のような貧弱な姿になりました(苦笑)

真夏日は脱したようですが、気温や天気が変わりやすく油断はできません。
皆さんもどうかご自愛ください。



さて、前回・前々回と連続で地獄のような音シリーズが続きましたので、
今日は癒し255%の素敵なカフェと音楽をご紹介しましょう。

米沢のいい所あれこれ第26回、上杉神社のお堀のすぐ近くにある、
カフェ蓮桜(れんおう)さんのご紹介です。



蓮桜さんはお堀の北側、米沢牛紀伊国屋さんから上杉神社駐車場へ
入った道を右に曲がった曲がり角にあります。
隣にはカイロプラクティックの施術室があって、お姉さんがカフェを、
妹さんがカイロ整体を営んでいらっしゃいます。
実は私、カイロ整体には長いことお世話になっておりまして、
整体の後にカフェにお邪魔するというなんとも贅沢なコースが、
ひそかな楽しみとなりつつあります。



お店の中はこぢんまりとしていながら開放感があり、
ユニークなテーブルや椅子の配置がリラックスした雰囲気を醸しています。





カフェのオーナーさんはアロマセラピーもされているので、
店内ではハイクオリティなアロマオイルやヒーリンググッズ、



ステキな服や雑貨なども売られていて、眺めているだけでも飽きません。

さぁいよいよメニューのご紹介よ。

私が好きなメニューは各種ハーブティー



こちら↑はフルーツガーデン
名前の通り、色とりどりのフルーツを思わせる華やかな香りが最後まで続き、
これ一つで優雅なひと時が楽しめます。



一方こちら↑はメディテーション…と、これまた大好きなスコーンのセット。
フルーツガーデンと色身はそっくりですが、メディテーション(=瞑想)には
ローズヒップ系の甘酸っぱい風味と共に、気持ちを落ち着かせる
カモミールが配合されています。香りに誘われるまま飲むうちに、
張り詰めた気持ちや落ち込んだ心がふわ~っとほぐれていくのがよく分かります。
ストレスの多い現代社会人にもぜひ試してもらいたいお茶です。
そしてスコーン!!
プレーン・紅茶・チーズの各フレーバーで、右から順にメープルバター・
自家製桃ジャム・クロテッドクリーム(※)が添えられています。
フレーバーの組み合わせは自由。プチサイズですが、もうこれが
たまらなく美味しいいい。こちらも大変おススメです!

※スコーンの本場:イギリスでのティータイムには欠かせないといわれている、
高脂肪乳を煮詰めて作ったクリーム。

今年の夏休み初日には子供たちにもリラックス気分を味わってもらおうと、
ちょっと背伸びカフェで蓮桜さんに連れてきました。

子供たちがこぞってオーダーしたのは厚切りトースト
以前このコラムでご紹介したことのある「愛とパン」の手作り食パンを
贅沢に厚切りし、カリッモチッの絶妙な食感にトーストした大満足プレート。



↑写真を撮る前に息子がうっかりバターを塗ってしまったので、
実に臨場感あふれるポートレートになってしまいました(爆)



こちらは夏にアイスで飲むのがひたすら美味しい、爽やかなはちみつゆず。
ステキな陶器の割り水までついて、のんびり味わえるのがうれしい。




そしてこちらは本格的な生クリームがどっしり乗った魅惑のチョコドリンク
トッピングの生クリームはアイスかと見違えるほどソリッドながら、
風味がギュッと詰まっていて本当に絶品(どうやって作ったの?!!)。
来店のたびにこれを注文する!というリピーターさんも多いとか。

どれも飲みごたえ食べごたえ抜群のサイズですよ。



さらに素晴らしいのは窓辺からのロケーション。
お店のあるお堀端は、季節になると一面のスイレンが美しく咲きそろいます。
7月後半~8月いっぱいくらいまでが丁度見頃です。
エメラルドグリーンの茂みから高貴に咲くスイレンを眺めながらの
ティータイムは極上の癒しです。上杉神社を散策した後にもGood!
ぜひ皆さんも一度いらして下さい~。


【珈琲・甘味 Cafe蓮桜】公式サイトはこちら
〒992-0052 山形県米沢市丸の内1-7-30 
電話 0238-24-8887
営業時間 10:00-19:00
駐車場 お店の前に数台分のスペースがありますが、上杉神社の駐車場も利用可。 
定休日 火曜日

※ 

さて、天国タイムその2。今日ご紹介するのは、
イタリアのピアニスト、ルドヴィゴ・エイナウディの名曲です。

1."Una mattina"

Ludovico Einaudi(2007)

現在イタリアの音楽大使も務めている、ピアニストにして名作曲家の
ルドヴィゴ・エイナウディ。映画のワンシーンを思わせるような情緒的な
旋律が印象的で、徐々に表情を変えながら心穏やかに奏でられるクラシカルな
ミニマルミュージックはまさに癒し。
そんなルドヴィゴ氏の代表作の一つがこのアルバムです。
特にNuvole bianche(邦訳:白い雲)がいい!
数年前にTSO Photography(公式サイト…Facebook)というノルウェーの
アーティストが“The Mountain"というタイトルのタイムプラス映像を発表しました。
そのBGMに採用されたのがこのNuvole bianche。これがもう鮮烈な美しさで、
以来すっかりルドヴィゴ氏の魅力にはまってしまいました。



(↑サムネイルをクリックするとvimeo公式サイトで"The Mountain"が視聴できます)

銀河を見つめながら、ゆっくり地球が自転しているのがよく分かります。
日頃のちっぽけな悩みなどたちまち消え去っていくような、雄大な時の流れ。
何気ない日常を音に表現したアルバムだけあって、どの曲もリラックスして
楽しむことができます。

2."Ludovico Einaudi Portrait"

Angele Dubeau & La PIETA (2015)

カナダ・モントリオール出身のバイオリニスト:アンジェル・ダオーと
オール女性の弦楽奏者グループ:ラ・ピエタによる、ルドヴィゴ・エイナウディの
ストリングアレンジアルバム。ルドヴィゴ氏の往年の名曲をチョイスしていますが、
どれも良アレンジ。特にI giorni(邦題:「光、溢れる日々」が素晴らしい。
深い悲しみも解けるように癒されていく…そんな光あふれる優しいピアノソロを、
これまた見事にストリングバージョンに昇華しています。
初めて聴いたのはアンジェル・ダオーのライブ版でしたが、かなり感動しました。

Youtubeで聴く"I giorni" by Angele Dubeauはこちら

落ち込んだりして元気がどうしても出ないとき、好きな飲み物を飲みながら
聴いてみるといいですよ。

今日はあまり能書き(?)は書きませんでした。
ぜひ皆さんも、好きな1曲を見つけてみてください。

2019.04.20

音のある生活 24 「The 日本 ③」



こんにちは。絶賛花粉症の若女将です。
お日さまぽかぽかの三十三観音では、抹茶色の杉花粉が
うねるように飛び交っています。目と鼻と喉に痛恨の一撃!
白布よいとこ、春だけアウェー。取り囲まれても心配ご無用。
薬を飲んで完全武装だ!

(話が飛びます飛びます♪)
つい最近不思議な夢を見ました。
現代から1億経った未来の西吾妻山の景色でした。なぜか1億年先。
ニック・レーンの本を読んでから横になったせいかな?
人工物や天変地異の残痕がそこかしこに散らばっているのかと思ったら、
そうでもありませんでした。




それは雲ひとつなく、
今より遥かに濃い青空の彼方で太陽が燦然と輝いている穏やかな景色でした。
スキー場はなくなり、温泉も見えなくなっていて、山の全てが深い緑に
覆われていました。文明の名残は跡形もありません。
残念ながら人類は既に絶滅しているようです。
しかし大地からは強い未知の生命の気配が感じられました(夢の話だよ!)。




それらを強く、希望に満ちた意識全体で感じ取っているという夢。

目が覚めてからしばらくの間は、どっちが夢なのか分からないくらい
本当にリアルでした(↑の写真はイメージです。近所の写真を加工)。

今のところ、50億年~百億年単位の未来は天文学的にもかなり具体的な
筋道が予測されていますが、恐竜の時代から見た現代、くらいの微妙な期間
となると、私含めていまいちピンとこない人の方が多いと思います。
10年先も予想できない今の世の中、明らかに自分がこの世にいない
1億年後なんて興味すら湧かないのは当然のことです。
ほぼ確実に言えるのは、環境依存度の高い人間は須らく滅びているだろう
ということ。これまでの地球史を鑑みるに、1億年の間に一度は隕石衝突なり
大規模気候変動なり起きても確率的におかしくありません。
それらにことごとく耐え長い期間繁栄を保てるのは、環境変化の緩やかな
深海の生物か、地中に生活圏を持つ微生物くらいでしょうから。




はな「そうか…にゃんこも1億年は無理ぽいニャ…ZZZ」

とまぁ、やたら無意味に思える1億年後の未来ですが、
今と同じような青空があって(つまり大気構成は殆ど変わっていない)、
緑があって(人類による砂漠化や環境破壊は未来に影響を残さず自然回復したようだ)、
新たな生き物の繁栄の時代が訪れているらしいことが判明して、
私は妙に明るい気持ちになって目が覚めましたYo!というお話でした。

遺伝子は逃れようのない死をコードしていますが、その遺伝子を
構成している原子そのものは、太陽の先祖ともいえるどこかの恒星の
炉の中で生れ、何十億年も巡り巡って取り込まれたもの。
それ自体のバランスが崩れない限り、この先も世代を超えて受け継がれて
いくでしょう。ある意味私達は肉体が滅んでも“(ほぼ)未来永劫生き続ける”
わけです。行き先、取る形が何であれ。
夢オチなのに変に納得できちゃったのは、その辺ぼんやりと理解していたおかげ
なのかも。すみません。相変わらず訳のわからない独り言でした。
最近しょっちゅうこんなことばかり考えています。
memento mori, carpe diem.



さて、「The 日本」シリーズ最終回となりました。
今日ご紹介するのはこちら。

伊福部昭 「シンフォニア・タプカーラ」2-Adagio

(演奏者は違いますが、Youtubeでの試聴はこちら。)

ゴジラのテーマ曲!
といえばその名を知らぬ人はいないほど有名な伊福部昭さん。
そんな彼の初期の傑作が:シンフォニア・タプカーラです。
タプカーラというのはアイヌ語で「立って踊る」という意味です。
北海道出身の伊福部さんは、幼少期に住んだ北海道の地やアイヌの人々の
文化に思いを寄せてこの曲を作曲したのだそう。
民族の違いはあるものの、心同じくする日本という広い意味でチョイスしました。
独特のリズムと旋律のある舞曲風で、終曲は大団円のように華やかです。
個人的には2曲目のアダージョがイチオシ。
ハープと弦楽器の静かな伴奏で始まる夜明けのような情景で、手つかずの
自然が広がる北海道、はたまた日本のどこかの山野が脳裏に思い浮かびます。
歴代の大怪獣映画のサントラ、ヤシモリ作戦の場面で再び脚光を浴びた
「宇宙大戦争」のメインテーマなど、日本のSF界のミュージックシーンを
長年牽引してきた氏ですが、日本狂詩曲や二十五弦筝の為の幽玄なソロ曲など、
記憶の底にある日本人の魂を揺さぶる荘厳で素晴らしい曲も数えきれないほど
世に送り出しています。
タプカーラのアダージョが奏でる、どこか悲しげであり優しい牧歌的な響きは、
まだ人が誕生する前の時代、はたまた夢に見たはるか未来の、
誰かがそこで平和に暮らしているであろう大地の、
静かな命の讃歌のようでもあります。

もうすぐ日本は新しい時代を迎えます。
人が聡明に今を歩み、この国に留まらず、世界中が末永く穏やかで、
命が巡りあふれる星であり続けることを願っています。

2019.04.05

音のある生活 23 「The 日本 ②」


こんにちは。
チコちゃんの何がいいのか未だによく分からない若女将です。
(つまりはアダルトチルドレン(ど死語!)?)

新年度に入り、いよいよ次の時代の年号も発表されましたね。
どんな世の中になるんだろう。
私の身の回りでは、子供達の通う小学校の廃校決定、市内唯一の
デパートの閉店決定(8月)と、前へ進むごとに環境が大きく変わってゆく
(しかも失われるパターンが多い)宿命が意外と多く存在します。

終わらないと思っていたものが終わり、
在り続けると思っていたものがなくなり、
当たり前が当たり前でなくなり…まさに諸行無常。

かたや時節は春。
去年と同じ場所で、同じようにスイセンが芽吹こうとしています。



自然はこんなにも循環できているというのに、
人の世はまこと右から左へ流れ去る一方ですな…。
尤もこの世に永遠は存在しないので、ある意味それは仕方がない。
執着を捨てて今を生きることが悟りへの道だと二千年以上も昔にお釈迦様も
説いたわけです。求めるものは少なくあれ。林の中の象のように。

それにしてもここ最近のニュースで一番衝撃だったのは、先日新聞の一面に
載っていた「児童虐待の通告件数8万人突破」の文字。
明るみに出たケースしかカウントしていないわけだから、残念ながら
この数は氷山の一角でしょう。とはいえ何なんだこの異常な数は?
8万人といったら、米沢市の人口に匹敵する数じゃないか。
相当な異常事態だと思うのですが、皆さんはこのニュースを知って
どう感じただろうか。

有史以来、人間は大義名分にかこつけて戦争だ侵略だと
無関係な大多数の他者を巻きこんでやりたい放題地上で暴れてきた、
色々な意味で罪深い生き物ではあります。
しかし一方で深遠な思想や芸術、宇宙の果てまで見通さんとする
素晴らしい学問や科学技術を数えきれないほど生み出してもきました。
その知的探究心さえあればもっと潔く歴史に学んで、上記の象とまでは
いかずとも、もう少し今を穏やかに生きることができるはずなのに。
なぜそうならない?
言うまでもないが虐待なんてものは問題外。
種の保存の為に、征服した群れの子供を殺すという類人猿の例外は
あるにせよ、まだ非力な子、まして自分の子供は本能的に命に代えても
守りぬくのが親のあるべき姿。異論はあるまい。
四足の動物や鳥ですら、そうやって厳しい弱肉強食を生き抜いているのに。
言葉はきついけれど、その本能さえ忘れ去ってしまった人間はもはや
哺乳類のはるか以前に退化してしまった(自分で産んだ子を自分の子と
認識できずに“共食い”する魚類とか昆虫類クラス)としか思えないのです。
いっそヒト属じゃない別のカテゴリに分けてくれ。
雑学なんぞよりそれこそチコちゃん得意の喝入れるところじゃろう!と
私は声を大にしてツッコみたい(そんな私が実に毒舌)。



というわけで完全におまけポジションに追いやられてしまった
The 日本 ②」。クールダウンしましょう(自分が)。
今日はこちらの紹介です。

冨田勲 「新日本紀行テーマ曲」

(↑画像をクリックするとYoutubeにリンクします。)

高度経済成長期に湧いていた当時、失われつつある日本の原風景を
追い続けたNHKの番組(昭和38年~昭和57年放送)の印象的なテーマ曲。

リアルタイムで番組を観たことはないものの、途中で挿入されている
祭りの笛のモチーフを聴くと、実家近くの神社の夏越祭や花火大会を
思い出します。そういえば縁日やお祭りを長い間見ていないなぁ…
(遠いし旅館の繁忙期とかぶるしetc…)。
聴く人によって思い浮かぶ情景も様々だと思いますが、
不思議と懐かしい気持ちになれます。
日本のどこかの、まだ穏やかな時間が流れていたあの頃。
西屋はそういう時間を大切に守っていきたいと思っていますが、
最近私個人余裕がなくていかん。

ふと、心の中をリセットする時に聴きたくなる名曲です。

2019.03.29

音のある生活 22 「The 日本 ①」


こんにちは。
一度でいいからネイルに挑戦してみたい!とひそかに憧れている若女将です。

この間初めてIKEA(仙台)に行ってきました。
ショールームはひたすら広く、ところどころに隠し扉のような近道まで
あったりして、なんとまぁダイアゴン横丁ファンタスティックな店内。
一方の1階は半分倉庫のようになっていて、どことなくコストコに似た感じです。
スケールの大きさとインテリアデザインの素晴らしさは流石であらしゃる。
ライフスタイルや好みのパターンに合わせた魅力的な家具調度・
モデルルームはどれも参考になるものばかりで、足を運ぶたびに
新しい発見に巡り合えそう。米沢くんだりから行くには実に
(インテリアに興味のないおとっつぁんには苦痛かもしれない!)
一日コースですが、ぜひまた行きたいお店だと思いました。
(ちょっと待てこれじゃいい所シリーズの〆みたいだ(笑))




今日は(も)マニア炸裂の音のある生活シリーズです。
「The 日本」と題しまして、古き良き時代にタイムスリップできそうな
名曲をシリーズでいくつか紹介してまいりたいと思います。

①回目はこちら↓

古関裕而 NHKラジオ第1「ひるのいこい」テーマ曲

(↑画像をクリックするとYoutubeへリンク!)

日本のスーザと讃えられ、いつまでも耳に残る勇壮な行進曲を
数多く残した他、抒情あふれる「君の名は」から「モスラの歌」!!
まで幅広く手掛けた20世紀日本音楽史の大御所の一人:古関裕而氏。
来年4月からスタートするNHK朝の連ドラ「エール」は彼と金子夫人が
モデルになるということで、今たいへん話題にもなっている方です。
「ひるのいこい」は、1952年の放送開始から70年近く経った今も続いている
NHKラジオ屈指の長寿番組。
日本各地の季節の便りや話題などを紹介する文字通り“憩い”の番組です。

何それ初めて知ったよ!というそこのあなた。とにかく聴いてみて下さいな↑。



いいでしょうこのテーマ曲!西屋っぽいと思いませんか(笑)?
どこか懐かしく、雄大でのどかな故郷の風景を思い起こさせるような、
温かい曲だと思いませんか?
私にとって古関裕而といえば、「六甲おろし」でも「栄冠は君に輝く」でもなく、
この「ひるのいこい」なんです。そして思い出すのが岩手山(故郷じゃない(爆))。
盛岡でOLをしていた独身時代、昼休みに必ずこの番組を聴いていました。
優雅にそびえる岩手山のシルエットを仰ぎながら、ラジオから届けられる
まだ見ぬ土地の情景に思いを馳せたものでした。

番組内のBGMも多分同氏の作曲だったと記憶しています。
こちらもとてもいい曲なので、ぜひNHKラジオ第1の番組アーカイブサイト
お楽しみくださいませ。

2018.12.23

音のある生活 16 「マタイ受難曲」


こんにちは。
いなばのタイカレー缶(特にグリーン!)大好き若女将です。

もうすぐもみの木じんぐるべぇーですね(笑)。
実際は旅館に(自分が!)缶詰の日々、とてもクリスマス&
年越し気分じゃないんですが、たまに出かけた道すがら
軒先に飾られたイルミネーションを見つけたり、
お店で流れるクリスマスソングを聴いたりすると
「ああ…一年が終わるなぁ」とぼんやり感じたりします。

そういえば我が家の朝のBGMも、冬らしいヒーリングから
最近は宗教曲メインにシフト中。
音楽のあるところ時の流れあり、喜怒哀楽あり。
美味しいお茶と音楽(そして時間…)があれば私は何も望みません。
どうか来年もいい年になりますように…。



さて、今日はクリスマスに因んだお薦めのアルバムをご紹介します。


Johann Sebastian Bach " St. Matthew Passion"(1736)(1958)
(リンク先はAmazonです。ジャケットはApple Music版)

ヨハン・セバスチャン・バッハ作曲「マタイ受難曲」。
音楽の授業で名前は耳にしたことがあるかと思います。
新約聖書の「マタイの福音書」からキリストの受難を描いたもので、
生涯に1000曲以上もの作曲を手掛けたバッハの最高傑作とも、
オラトリオの頂点ともいわれています(まぁ、意味は同じか…)
総演奏時間は約3時間(演奏者によっては2時間半位)、
奏者もオーケストラにパイプオルガン、合唱にソリスト群
(ソプラノやテノール等の歌い手)と作曲当時としては割と大編成で、
原典版のほか、作曲からおよそ100年後の復活演奏によって
バッハの再評価につなげたメンテルスゾーン版が有名です。

こちらのカール・リヒター指揮、ミュンヘンフィル演奏1958年版は、
数あるマタイ録音演奏の中でも歴史的名盤とされています。

実際聴いてみると…けっこうピッチ(音高)が高め。
個人的に442Hz~くらいに感じます。
現代ではバロック音楽の演奏ピッチはけっこう低めに抑えるのが
主流らしいのですが、当時の流行り?

でもこれがいい!

テーマが”キリストの受難”だけあって、十字架を背負いVia Dorolosaを
歩む姿が目に浮かぶ1曲目から既に鳥肌もの。
それでいて重苦しさは感じません。
ソリストの感情移入も素晴らしく、全体的にとてもドラマチックです。
オペラを聴いているような錯覚さえ覚えます。

Apple MusicでDLできるのはもちろん、Amazonで試聴もできます。
気になる方はぜひ。

とりあえず1曲目、31曲目、41曲目、47曲目、63曲目あたり。

2017.08.02

音のある生活 1 「クラシック音楽」



前回のコラムで「好きな音楽について」さわりだけ書き出しましたが…
実はさわりの段階で、「参った、どうやってまとめよう・・」と頭を抱えていました。

なぜなら、私の好きな音楽のジャンルがあまりにも幅広く
なかなか一口でまとめることができないからです。
またまた連載?!

というわけで、新シリーズ「音のある生活」


ジャンル別にお届けしていこうと思います。
今日はイントロ&クラシック音楽から。

(かなり長文です!)
1.レコードから部活まで
そもそも私が音楽の魅力にはまりだしたのは小学生のころ、
当時実家にあった両親のレコードがその出発点でした。
クラシック名曲集、ハリウッド映画のサントラ、ポールモーリア、二ール・ダイアモンド…
映画サントラはチャップリンからジェームス・ボンドくらいまでのシリーズ。
(年代が…(笑))

未だにその多くの曲を覚えているのだから、印象は強かったのだと思います。
ピアノも習っていたことから、中学校での部活は吹奏楽部に一直線。
練習に励む傍ら、次第にクラシックの深みにはまっていきました。
さらに大学では学業の傍ら管弦楽サークルに所属していました。
自他共に認めるオケオタクの濃ゆい先輩方に出会い、夜通しの名演奏観賞会に
鬼のような指導(パートは打楽器)、涙と感動の演奏会、
果ては知られざるコンサートホールの舞台裏話まで…(笑)
今思えば要らん知識も混ざっていたような…(笑)
ともあれ当時は、仲間たちと青春を分かち合いつつ、当時は古今の作曲家たちの名曲を
競い合うように聴きまくっていました。
ただ聴くだけでなく、演奏する側から見聞を広め、耳を鍛えられたのは貴重な経験でした。
さらに、いろんな管弦楽器に身近に触れる機会にも恵まれたためか、
異国情緒あふれる民族楽器の音色や歌い回しも大好きになりました。
イスラエルのヴード、アイリッシュハープ、ガムランなどの神秘的で透き通るような音。
そして様々な言語で歌いあげられる古の叙事詩…
一般に「ワールドミュージック」と呼ばれるこれらのジャンルを含めると、
旧約聖書(例:ユダヤ系の皆さんのシナゴーグ音楽・古文書から復活した古代ギリシャの竪琴)
の時代から20世紀末~21世紀の現代音楽(例:武満徹、ラウタヴァーラ、オラ・イェイロ)
まで幅広くカバーしていることになります。
結論を申し上げましょう。
マニアです(笑)




2.30秒でピックアップした個人的に好みのクラシック名盤


そんな私が好きなクラシックの中から、特に好きな曲(の一部)をいくつか挙げてみます。
① モーリス・ラヴェル バレエ「ダフニスとクロエ」


「音の魔術師」の異名を持つモーリス・ラヴェルのバレエ曲。
第2部が有名ですが、個人的には第1部、特に序曲が好きです。
弦楽器とTimpaniによるpppのA音から始まる静謐な調べに、ハープや木管楽器が
幻想的な旋律を重ねてくるだけでもう鳥肌が立つほど神秘的。舞台は森ですが、
森どころか宇宙に行ける(かもしれない)。
10分未満の序曲だけで、全曲中の殆どの登場人物のモチーフが表わされています。
すべての楽器がffになり、高らかに夜明けを歌いあげても全く透明感を失わない
和音の美しさは、さすがラヴェルといったところ。
上品でストーリー性のあるバレエ曲ですので、全体に聴きやすいと思います。
※ジャケットはサイモン・ラトル指揮、バーミンガム市響演奏のもの。



2 O.レスピーギ 主題と変奏「第12施法によるメタモルフォーゼ」



ローマ三部作(・噴水・祭り)やバレエ曲「シバの女王ベルキス」が有名ですが、
敢えてこの「変容」を紹介します。同じフレーズを異なる楽器や表現で演奏し、
曲と曲の間に切れ目を持たせない変奏曲。最後はパイプオルガンまで登場し、
カッコよく〆。
これが不思議と聴き飽きず、イメージとしてはどこか古代の都の王家の栄枯盛衰を
タイムプラスで見ているような感じです。ポジションは王女様(?)。
特に9曲目「レント・ノン・トロッポ」からの厳かな雰囲気から終曲に向かう上昇気流のような
流れが特に好きです。隠れた名曲です。もし興味がある方はぜひ聴いてみて下さい。
※ジャケットはG.サイモン指揮、フィルハーモニア管弦楽団演奏の1985年版。
ベルキスと一緒に収録されたCDは珍しく、個人的にもお気に入りの一枚。
("密林"で買えます!)



3 L.H.ベルリオーズ 「幻想交響曲」



当時27歳のベルリオーズが最初に作曲した交響曲で、彼の作品の中でも特に有名な大曲です。
クラシックにあまり詳しくない人でも名前や曲のさわりは知っているのではないかと思います。
曲調は、かのバーンスタイン曰く「サイケデリック」。失恋したヤケクソでアヘンを吸いながら
作ったというのだから、すっ飛んだ題名通りそれぞれの場面がリアリティに描かれています。
第2章冒頭の美しいワルツもどこか千鳥足リズム。第3楽章ではのどかな田園風景のなか
牧歌が流れていたと思いきや、地の底から湧きあがる不安と共に雷の音が不気味に鳴りだし、
(中略)第4楽章でファンファーレが鳴り響く中、夢の断頭台で拍手喝采の(?)死刑を
食らったのち、最終章のサバトで悪魔と大団円に至るというかなりカオスな展開。

編成も大規模で、とてもベートーベンとほぼ同時期に生きていた人の作品だと思えません。
打楽器奏者が4人、おもむろに並んで一人1台Timpaniをドロドロ叩く雷のモチーフは
なかなかシュール。他にもハープは4台必要とかカリヨン(教会の鐘のような形をした
打楽器)を2台楽団もエキストラ奏者だの楽器集めだの大変だと思いますが、
ぜひ生演奏で観てほしいところ。
※ジャケットは小澤征爾指揮、サイトウキネンオーケストラ演奏の2014年ライブ版です。
(鬼気迫る小澤さんがまさにサバト…なんて思っては決していけません(笑))


4 E.ラウタヴァーラ 交響曲第7番「光の天使」 & 「天使たちと訪れ」



2016年7月に87歳で亡くなったフィンランドの国民的作曲家、ラウタヴァーラの代表作。
アカデミーで教鞭をとる傍ら多くの曲を作曲し、特に上記の「光の天使」はグラミー賞に
ノミネートされたことで話題になりました。特に後年の作品には“天使”と名のつく名曲が多く、
透明な宇宙を思わせる神秘的な旋律は、彼自身の幼少期の体験にルーツがあるようです
(アルバムのライナーノーツでそのことが触れられています)。
同じく「天使たちと訪れ」。英語でのタイトルは「Engels and Visitations」
実は私、この曲の日本初演の聴衆の一人です。東京オペラシティのタケミツメモリアルでした。
指揮はミッコ・フランク、演奏はバンベルク響でした。
彼の描く「天使」は、どうも人々の願いに耳を傾ける身近なタイプではなく
より高次元の、善悪を超越した「神霊的存在」といった感じです。
その印象は「天使たちと訪れ」の方が強いかも。
途中、オルゴールのような美しい旋律が異なる楽器によるアンサンブルで演奏されますが、
その後の展開が破壊者的で、最後の審判か何かのような激しさも垣間見えます。
神聖でありながら厳かな狂気をはらんだ旋律は、もはや異次元的な美しさ。
※ジャケットはハンヌ・コイヴラ指揮、ロイヤル・スコティッシュ管弦楽団演奏(2003年)。
もはやこのCDの紹介と化していますが、天使好きにお勧めの1枚。
ナクソスGJ。


5 黛敏郎 「涅槃」交響曲



もはやタイトルがすべてを物語っています。
芥川也寸志、武満徹とならび日本を代表する現代音楽の生みの親、黛敏郎氏の作曲。
管弦楽曲と天台宗の声明(男声合唱で表現)を合わせ、生きとし生けるものが
永遠の涅槃に至る様を作曲した全6楽章にわたる交響曲です。

梵鐘の音はバンダ(本来オーケストラは舞台上で演奏しますが、音楽表現上舞台裏や
客席側(!)で演奏する小楽団)を駆使して再現しており、コンサート向けの大編成。

(ちなみにバンダ編成を必要とする曲は上記の「ダフニスとクロエ」「シバの女王ベルキス」
「幻想交響曲」ほか、有名どころではホルストの「惑星(海王星で加わる女声コーラスが
舞台裏に立つ)」、ワーグナーのオペラいろいろ…)

一般的に生身で「死んだことのある人」はいないわけですから、涅槃は
生きとし生けるものにとって“未知”そのものです。
涅槃交響曲も全体に暗いのですが、ただ真っ暗な涅槃に落ちていく、みたいな
絶望的な感じではありません。人知を超えたものへの畏れを正直に不協和音であらわしつつ、
極楽浄土を願う声明を今わの際まで唱え続ける。
そんな印象の流れで、とても人間らしい心理表現だと個人的には思っています。
やがて「全寺の梵鐘が鳴り響く」中、虚空の彼方の涅槃に至った先には無音の闇ではなく、
永遠の安息が待っている…。
ラストでは、この世の苦しみをすべて浄化するような荘厳な響きが待っています。

「死」って何だろう?とふと哲学したくなったとき、
この曲は何かヒントを与えてくれるかもしれません。

※ジャケットは岩城宏之指揮、東京都交響楽団・東京混声合唱団演奏(1995年)。
晩年の黛敏郎氏自ら監修に当たった貴重な録音です。
C.Wの天台宗声明は、薬師寺の現役住職さん達の演奏(?)。
いつものお寺のお経のイメージが180度変わるパワフルな内容です。
オススメです。



結局、どこかタイプが似通ったアルバムばかり挙げてしまいましたが…
せっかく紹介するならメジャーどころを外そう!
というコンセプトでしたので、まあまぁ狙い通り?!

とはいえ、クラシックに関してはあまりえり好みはしません。
合唱曲も好きなので、メサイアやレクイエムなどもよく聴いています。
他にもマーラーやストラヴィンスキー、ハイドンやモーツァルト、ドビュッシーにバルトークなどなど
挙げたらキリがありません。

クラシック音楽は、同じ曲でも演奏者によってだいぶ印象が変わるので、
聴く人によって好みも分かれるところ。今回は私が所有しているアルバムを
紹介しましたが、他にも隠れた名盤がいっぱいあるはずです。クラシックの魅力は
尽きません。皆さんもぜひ、お休みのひとときにお気に入りのクラシックを見つけて
みてください。
次回はワールド・ミュージックです。
いざ、紀元前へタイムスリップ!!

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