若女将コラム

日々西屋と山を駆け巡る湯守兼女将による、自由奔放すぎるコラム改めエッセーコーナーです。
人生は奇想天外に生き抜こう。趣味のことや日々思う事etc...ほぼ西屋に関係ない話題ばかり載せています。

そうしてまた一枚、私はボロボロの皮を脱ぎ捨てた


先日、私はがっつりコロナに感染しました。

子供がいつの間にやら外からもらってきた流れ弾を、
うっかりそのまま被弾してしまったのでした。







保健指導じゃ隔離とかナントカ言いますけどね?
どんなに通気性のいい家に住んでいようと、
同じ屋根の下にいたらまず躱(かわ)すのはムリですからね?

我が子はPCR検査を受けましたが、私はそれとほぼ間をおかずに
喉だの熱だの症状が次々出できたため、医療機関の受診を経ずに
保健所から「みなし陽性」と診断された次第です。
たかが陽性、されどコロナ。
不幸中の幸いだったのは、西屋に一切影響を与えずに済んだことです。
偶然まとまった休館日が始まった頃に感染したこと。
普段別棟に暮らす私達母子と違い、主人と彼の両親は母屋で
生活をしているため、そもそも隔離ができていたこと。
ここのところ事務か湯守かで他のスタッフとほぼ接触が
 なかったため、結果関係者の誰にも感染者が出なかったこと…。
これら綱渡りのような偶然が、良い方に天秤を傾けてくれました。
きっと日頃の行いの賜物だ(?)。

ゆえに西屋は通常稼働のまま。
私一人のダウンで済んだのだから、まぁ安いものです。
体調は最悪ですが()





コロナになったおかげで、そこそこ良好だった我がコンディションは
一気にガタ落ちしました。感染してなお無症状のまま人も結構いるので
一概には比較できませんが、聞くだけなのと実体験するとでは大違いです。

まず喉の違和感から始まったわけですが、
そこから1日もしないうちに熱が急上昇。
40度一歩手前まで行きました。
ついでやってきたのが頭痛、倦怠感、激しい咳…
熱が下がらないまま、3日目くらいからはとうとう味覚が狂い出し、
「視覚情報はバッチリ入ってくるのに、
何食べて飲んでるのか全くわからない!!?!」と、
食事の度に脳みそがバグを起こすハメに。
元々少食な方でしたが、そんなこんなで当然食欲は急降下。
昼も夜も咳の発作が出るのでただでさえ体力も奪われ、
食べられないし眠れない。
熱より咳よりこっちの方がはるかにしんどいものでした。
おかげで熱が治まった今も、ひどい頭痛や眩暈、倦怠感に
悩まされています。
大好きだったビールは、味覚がぶっ飛んだままなので
当分お預け…喜べない。

仕方がないので、割り切ってプロテインで栄養を補っています。


さて自宅療養の間、何故か私は自分に鞭を打ちまくっていました。

「よぅもコロナにかかったなァああ我ぇええ(ビシィイイイ)!!」
…いやそっちの意味ではなくて(笑)。

時々湯守作業で(人気のない時間帯を狙って)裏口から西屋に
侵入する行く以外は大人しく家に篭っていました。
そしてできる範囲で仕事をしたり、執筆をしたり書道の
練習をしたり、あれこれ本を読んだり調べたり…おい何してる。

そんなこんなで、実はほとんど横にはなりませんでした。
いや、横になれなかったと言うのが正しい。
普段以上にひどく焦り、ひたすら自分に苛立っていました。

本来ならキチンと静養するのが正しい過ごし方なのでしょうが、
いきなり日常から梯子を外され、宙ぶらりんな自由時間が
降って沸いたたおかげで
「大変だ!今のうちだ!!寝よう勉強しなっきゃ!!!!」
と、何故か斜めに思考がいってしまったのです。
で、ただでさえ体調が悪いのに、ヘタクソな文章術&
まだまだ未熟な習字スキルを今のうち上げるべと、
止せばいいのにみっともなくもがいていたのでした。
しかし体調が優れないんだから、そもそも効率は良くないし
集中力だって欠くに決まっています。なのに「おかしい、
上手くできない。おかしい、頭バカになったんだろうか」
とよく回らない頭で焦るまま悶絶していました。
文章作成に至っては、気がつけばトイレの落書きのような
散文を何万字分も書き込んでいて、それらが
全然まとめられないままやっぱりメモの山で悶絶。
何やってんだか。



体調が悪くなると、どうしても気持ちが弱くなります。

それまで張っていたバリアが薄れ、いつも以上に
身から出た錆(本音というか弱音)がまろび出てくるもの。

今回ひどく苛まれたのは、どうしようもないレベルの
自分への自信のなさ」でした。

前にもエッセで言及しましたが、これはもう私の根本的な
性格というか欠点なのだと思う。特に、本を出すなんて
言ったばっかりに後に引けなくなり、いちいち
「書く文章は悉くうまくまとめなければいけない」
そして習字に取り組んでいる手前
「普段から達筆でなければならない」と幾つもの謎の
プレッシャーを自分にかけて、自ら首を絞めていました。

そして止しゃいいのにどっかの庭の芝ばかり見て、「上手な人は既に
高いところにいて、その才能を活かして活躍できているのに、自分には
相変わらず能力がない、何やっても上手くいかない」
とあべこべに凹んでいたのでした。
ちょっとタローマンあたりに説教して貰おうかな…

コロナで熱にうなされながら、私は悶々と自問自答していました。
上ばかり見て、その差が埋まらない、どうすればいいのかと
頭を抱えてばかりいました。


やがて湧き上がる妄想のままに、脳内に湧いてきたもう一人の自分。
黒い裁判官のような憎たらしい恰好をして、こう問いかけてくるわけだ。

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『何がそんなに不満だ。』

あー、不満ていうか不安。
コロナ禍が始まる頃からずっと感じていた、先行きへの不安。
お盆以降、お客さんの動きが閑散として…同じ観光業なら
少なくとも分かるだろう、この何ともいえないもやもやした気持ち。
私はこのぼんやりとした不安を、長い間いつも抱えていたのだよ。
そして羨ましいと思っていた。

『何が羨ましい。』

私が渇望する才能を既に十分備えていて、その世界で活躍している人。
世の中の浮き沈みに苛まれず、社会的に豊かな暮らしができている人。
経済的に安定していることはもちろん、何より自分の才能に早くから
気づいて、夢に向かってまっすぐ努力し(生きることに対する
充足感を得たという意味での)成功を納めた人…。
なんでこちとらこんなに不安なのに、上手くいっている人は
なんもかんも上手くいっているんだ。世の中不公平じゃ。

『あのな、それ只の妬みだぞ。
「人生は公平ではない、そのことに慣れよう」とビル・ゲイツも
述べているではないか。彼らだって最初から何もかも恵まれていたわけじゃ
ない。今でこそ第一線に立っている人だって、長く苦しい下積みがあった
はずだし、今も、我らのあずかり知らぬ輝かしい世界で相応の苦労や
苦悩を抱えているだろう。それは押し並べて比較はできない
はずである。
それでも羨むのか。』

くそぅ私のくせに、まともなことを聞きやがる。
背景は知らん。ただその世界の明るさだけが見えて仕方がなかった。

『じゃあ己はそういう人たちのように強くはなれないのか?
努力を全くしていないわけではあるまいに、能力がないから、
しがない山暮らしだから、どうせチャンスに恵まれないから、
そこにたどり着けないと思うのか?』

待て待て、いやなんでそこまで卑屈になってたんだ私?
こいつが私なら、あんまりにも自分をけなしすぎじゃないか。
やだちょっと恥ずかしい。

(…裁判官風情の私はなおもたたみかけてきます。
全ては妄想の産物ですが。)

『オイ私。よく考えてみよ。』

何だよてやんでぇ。とっくに考えてるわ色々。

『そもそも、自分は自分が羨ましいと思う人になりたいのか?』

え?それは否。それは違う。
私は私だ。それ以上でもそれ以下でもなし。
確かに才能ある人はめちゃくちゃ羨ましいし、世の中から
もてはやされる存在は一見華やかにしか見えないが、
それはあくまで「他人の人生」であって、私はその誰かさんではない。
背伸びしたところでその人になれるわけじゃないし、
なろうとは思わない。
私は私の世界で生きなきゃ。

『…何だ、答えはでているではないか。』

あれ?そういえば…

『羨ましい羨ましいと言っていた誰かになんぞ、
少しもなる必要ないじゃないか。十分自分を生きているじゃないか』


おお、そうかなるほど…

思えば今まで抱いてきた自分への自信のなさ、
架空の誰かに対する一方的な妬み?恥ずかしさは、
全部勝手に脳内で作り出した一人相撲だったわけだな。
「他人の価値観」と言う偽りの物差し、
「隣の青い芝」という名の幻の垣根…
ようやくそれらの呪縛が解けてきた…様な気がする。

足元をよく見てみれば、決して私は立ち止まっていたわけでも
遊んでいたわけでもなく、無力さにもがきながらも諦めずに
少しずつ努力していたわけで。
とりあえず、散々自分で貶してきた今までの悪あがきは、
どうやら無駄ではなかったらしい。
あ、少しスッキリした…。

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ブロニー・ウェアは、著書「死ぬ瞬間の5つの後悔」の中で、
人が死の間際に悔やむことの一つとして
自分に正直な人生を生きればよかった」…
と挙げていました。

2年前に亡くなった母は、終活半ばでした。
まだまだやりたいことがたくさんあったはずなのに、
一気に悪化した病気のせいで、身辺整理も、気持ちの総括も
ままならなりませんでした。最後の瞬間を看取ることは
できたけれど、晩年の日々はさぞ無念だっと思う。

生きる意味を深く考えるとき、私がいつも思うのはこの
「死の間際に思う悔恨」です。

今回体調を崩して体が思うように動かなくなった時、
このまま何もできずに命が尽きるとしたら、
自分ならどう思うか。そんな事をしょっちゅう考えていました。
つくづく生き方泥臭いな私は。

しかし、そうだ、私には目標がある。
将来の夢はまだ漠然としているけれど、
死ぬまでに実現したいことがいくつかある。
それを今生で果たせるよう、
只管そこに向かって行きゃいいんだ。

そこから少しずつ、絡まった糸をほぐすように
自分の思考を改めるきっかけを見つけ出したわけです。
何でよりによってコロナのグロッキー真っ最中に!
…と自分で自分に問い詰めてやりたいところですが。

虚勢で張っていた皮がむける瞬間ていうのは、
いつだってメンタルボロボロの時です。
時には打ちのめされなきゃ人間成長できない。
私が行動を起こすときは、いつも泥沼のような悔しさの
真っ只中からでした。希望に満ち足りていたら、その場から
動こうとはしなかった。無力への悔しさは私の原動力だ。
それは決して悪いことじゃない。
今なら胸張ってそう言えます。


スティーヴ・ジョブズ
「あなたの人生は限られている。だから、他人の人生を
生きたりして無駄に過ごしてはいけない。自分の心と直感を
信じる勇気を持ちなさい。それはどう言うわけか、あなたが
本当になりたいものを既に知っているのだから」


文章力は相変わらずヘボいじゃんか、とか、
字だってまだ納得いくレベルに程遠いじゃん、
表に出していいの?とか、こんなんでマジで本出す気?
正気??とかナントカ…

未だに数多の私もどきが、地獄の魑魅魍魎のように脳内で
騒いでおります。…が、うるさい知るもんか。
誰だって最初から完成されたものなんか書いたり描いたり
していない。下手くそでも中途半端でもいいからアウトプット
してやる。それでも未熟だ恥を知れと騒ぐなら、
ツラが自分でも容赦なく斬り落とすぞ私もどき。

母を失った2年前のあの日、私は母の分も生きると決めました。
泥沼からスッキリ咲く蓮のように。
もう一度胸に刻め。そして走れ、私!!



今日の一曲

"Weightless"

Ben Böhmer & Panama(2021)
(↑公式YoutubeからPVが観れます。
すりガラスの向こうで只管踊るお姉さん。ちょっと謎の内容。)

国際的に活躍するドイツのミュージシャン兼プロデューサー:
ベン・ベーマーのシングルから。主なジャンルはチルハウス系。
どれも耳に馴染みよく、最近運転中のBGMでよく聴いています。
とくにこの曲はよい。洗練された躍動感ある曲がかっこえぇです。
気分がいい感じに高揚するのでおススメ。

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