若女将コラム

日々西屋と山を駆け巡る湯守兼女将による、自由奔放すぎるコラム改めエッセーコーナーです。
人生は奇想天外に生き抜こう。趣味のことや日々思う事etc...ほぼ西屋に関係ない話題ばかり載せています。

Quo vadis? ~後編~





暑い。めちゃ暑い。
というわけで、話題とは全く関係ない涼しい写真を
冒頭に投げ込みます。サムネイル対策。
三十三観音の小さな滝で撮った水しぶきです。
色味など弄っています。Photoshopは奥が深い…勉強頑張ります…




身長約180センチ。
豪奢な光背と冠衣装をまとい、スッとした眼差しで
古式床しくアルカイックスマイルを浮かべた神秘的な表情…。
このお方、実は相当なイケメンだったみたいよ。

…さて、「彼」は誰でしょう。





Quo vadis? 後編です。

当初はもっとあっさりした話題で終わるつもりでしたが、
書いている途中でどんどん話が膨らんでしまいました。
毎度同じツッコミですが…どうしてこうなった。

今回は本当に長いので、少しでも読みやすいよう
段落名をつけてお届けします。



1.衝撃のクラファン


聖徳太子をリアルモデルにしたと言われる「救世観音」が
安置されている、奈良の法隆寺。

先日その法隆寺が、境内のメンテナンス費用捻出のために
クラウドファウンディングを始めたという衝撃的なニュースが
先月報じられました。いや、本当に愕然としました。

だって、あの世界遺産・国宝・重要文化財の
キングオブデパート法隆寺よ。世界屈指の知名度を誇る名寺よ。
コロナによる参拝客の激減とはいえ、檀家をそもそも持たない
別格のお寺とはいえ、よもやクラファンに頼るほど深刻な
資金難に瀕していたとは、だれが想像したであろう。




↑救世観音が安置されている法隆寺の夢殿。建物も柱も八角形。
手前に立っているのは息子です。
太子にあやかって、すくすく育つのだ。


2.古ければ古いほど維持は大変  

あまりピンと来ないかもしれませんが、古くなった建物の
維持というのは、実はとんでもなくお金と労力がかかります。
現代の建物とは色々事情が異なるのです。

例えば…ちょっとジャンルは違いますが、
マニア垂涎のヴィンテージカー。
ハコスカとか、117クーペとか。
想像してみて下さい。燃費、車検代、いざ故障した時に
必要になる代替え部品(無論とっくに生産終了)の確保、
ついでにセキュリティ万全の保管場所…
考えただけでもまぁ大変。
ただの趣味で持っていられるような代物じゃない事が
よくわかるかと思います。

建物の場合、それが重文や国宝など
「歴史的にとても価値がある」とみなされた史跡だと
さらに厄介です。ちょっと具合悪い箇所が発生しても、
そう簡単には工事に着手できません。自分達だけの
所有ではない訳だから、国や自治体への修繕許可だの
事前調査だの、意外にも面倒な手間が多く発生するのです。

西屋(米沢市景観重要建造物(第一号))でさえ、
以前母屋の屋根を葺き替えた時がそうでしたから。

法隆寺の貫主さんは、インタビューで
「ボロボロの境内では、せっかく訪れてくれた参拝者の
皆さんに申し訳ない」と悲しげに仰っていました。
分かります、その気持ち。その場所に住んでいると、
つい細かいボロが目について切なくなっちゃうのよね。

でも、春にお寺を訪れた時は、見窄らしいなどと
これっぽっちも思いませなんだ。
むしろその貫禄に圧倒されるばかりでした。
1000年以上長い間この世にあるのだから当然です。
それでいてどこか懐かしくて、やさしくて、いつまでも
ここにいたいと思ってしまうほど、心が和む場所でした。




↑境内の回廊。右に見えているのは金堂。

年数が経てば経つほど、その希少価値はいやが応にも高くなります。
万が一壊れたり燃えたりして、この世から失われてしまったら、
二度と再建できません。どんなに形や素材を同じくして
建て直しても、長い年月が育む唯一無二の風格だけは、
絶対に真似できないからです。

まして法隆寺は、あの広い境内全てが重文以上の文化財。
責任も重大だろうし、管理するのは本当に大変だと思う。
当然景観や建物の保存が優先されるため、快適な空調設備もありません。
お坊さん方は、この酷暑の夏も底冷え厳しい冬も、昔のままの
設えで慎ましく耐えています。境内を案内してくれた
ガイドの岡村さんはしみじみ語っていました。

「…お坊さんも人間だからね。
さすがに真夏は暑くてたまらん言うてるなぁ…」

そりゃそうだ。ネットで調べましたが、
ここ数日の奈良の最高気温はなんと40度近く。
しんどいだろうな…どうか皆さん身体を壊しませんように。

そしてどうかたくさんの善意で、法隆寺が無事に
修繕事業を行えますように。


(女将はクラファンどうするのかって?
代わりと言ってはなんですが、春の参拝の折に
私は軒先瓦を奉納させて頂きました。)


3.日本津々浦々、古き良きものの危機


今回の法隆寺のニュース。
実は私、少し羨ましいと思っていました。

同じくらい有名な観光名所ならともかく、そうでない
他所がもし法隆寺と同じようにクラファンを展開した
ところで、多分、そう簡単には資金が集まらないだろうから。
どこの観光地も、コロナの影響でそれまでの状況が
大幅に悪化し、客足が遠のきました。しかしこれは
あくまで物理的・一時的な引き潮に過ぎません。

元々時代の変化に柔軟で、世代を問わず強い
集客力を持っている都会や観光スポットは、
じきにもとの賑わいを取り戻すはずです。
法隆寺や古都の他の古刹だって、海外からの旅行者さえ
再び動き出せば、いずれ苦境を脱することができる
だろうと私は見ています。

古き面影や歴史を守っているのは、法隆寺だけでは
ありません。全国津々浦々、同じような社寺仏閣・
古民家がたくさん存在しています。おそらく今、
その多くが同様の資金難に直面しているのでは
ないかと思います。
もちろん西屋も御多分に洩れず。


文化財保護法など救済措置はありますが、
公共の施設でもない限り、なんだかんだ言って
維持管理費用の殆どは自助努力で捻出していくしか
ありません。観光スポットとは無縁の小さな
一軒宿ともなると、維持費がかかる割に集客力で
どうしても有名どころに劣ります。当然収入だって
"それなり"です。
わずかな資金でどこを直すのか、それとも支出を抑えて、
現状維持でこれ以上壊れないための小細工に留めるのか…
実際はいつも綱渡りです。


ご存じの方がどれほどいるのかは分かりませんが、実は、
国内旅行者はコロナ禍が起きるずっと前から減少の一途を
辿っていました。
コロナの影響とはいえ、(連呼してゴメンね)法隆寺ですら
国内旅行者だけでは収益をカバーできないほど、一時
ピンチに陥ったのですから、他所はさらなり。


観光業界ではかなり以前からこれを問題視していて、
業界誌の特集にもたびたび取り上げられていました。
専門家によっていろいろ意見はあったようですが、
規模や立地などそれぞれ抱える事情が違い過ぎて、
なかなか全容解明に至る答えに
たどり着けませんでした。


というわけで、観光業最前線(ど僻地)にいる一人の
肌感覚として、私なりに思い至った要因は2つです。

一つは世の中の価値観の変化
もう一つは守り手の衰退と減少


4.世の中の価値観の変化~古きものへの関心の薄れ



↑五重塔東側。雨が中に入らないよう工夫されてひさしが組まれています。
風雪に晒されながらも当時と変わらない、どっしりした姿。好き。

時を止めたような古都の社寺は、その圧倒的な存在感と
得も言われぬ優しさで、人々の心に忘れられない記憶を焼き付けます。
山奥の茅葺の建物は、住んでいた場所でもないのに
なぜか見ただけで「懐かしい」と思わせる不思議な力を持っています。

一言で表すのは難しいのですが、日本人としてのDNAが無意識から
呼び覚ます共通の感覚、といえばいいしょうか。
誰でも一度は経験したことがあるのではと思います。


かくいう私も、古き良き温泉文化を守るという使命感のもと、
変わらない姿を維持することこそが価値だと思い、持てる力を
以て西屋を日々守っています。古臭さ、不便さを知りながらも、
それをよしと理解してくださるお客様が元気になれるよう、
日々お迎えしながら白布に暮らしてきました。


ところが昨今、そんな日本人の日本人たる原風景への憧憬が、
我が国古来の文化に対する理解と関心が、少しずつ薄れつつある…。
旅館に携わるようになって以来、ずっとそんな印象を抱いていました。
というのも、この十数年、あることに気づいたのです。

客層の年代が徐々に上がったまま、なかなか若返りしないと。
常連さんも然り。いつまでも世代交代しない。後に続かない。

時代のうねりに流されるように、人の価値観は止まることなく
変わり続けています。キラキラした新しい世界が次々生み出され、
進化のスピードがどんどん速くなっています。
前述の通り肌感覚なので根拠があるわけじゃないんですが、
なんとなく、若い世代ほど、古いもの=既に知っている
(新しいものに比べてさほど興味をそそられない)ものとして、
過去にどんどん切り離してしまう傾向が強くなっている
ような気がしてなりません。

もちろん歴史が大好きな人もいるし、興味関心がゼロになる
なんてことは流石にないと思いますが。

今の若い子たちは一昔前と違って、溢れんばかりの便利な情報
社会の中に生きています。
果たして彼らは、点と線で時空を隔てた古き良きもの、
不便だけれども、今は無き人々の人のかけがえのない思いを
宿した大切な「器」をどう捉えているだろう。

例えば修学旅行の希望の行き先。
彼らが真っ先に思い浮かべるのはどこだろうか?

歴史的名所だろうが世界の果ての僻地だろうが、今や
学校で教わる以前にネットで簡単に、しかも詳細に
検索し、情報を得ることができてしまいます。
ならばわざわざ修学旅行で
行く必要はないと、
あたかも既に行って見てきたかのように疑似体験で
完結してしまっていないだろうか。
実際にその地に足を運び、本物を目の当たりにしたときの
圧倒的経験を知らぬまま。


それらが、単に私の中のくだらない杞憂であることを
切に願っています。願いつつも、次の世代に対する漠然とした
不安は日々膨らんでいます。
この先、変わることのない古きもの、古き文化に熱い
眼差しを向ける人々がどれほど続いていくだろうかと。


5.世の中の価値観の変化~   
  価格を下げる=価値を下げる=体力を失う


以前このエッセで、ネット予約サイトの便利さ、
そして便利だからこそ選ばれにくい難しさがあることを
書きました。

>よく利用されるのが、じゃらんや楽天みたいな
ポータルサイトです。好みの条件で手軽に宿を絞り込める上、
値段も口コミも一覧で見比べられるからホント便利なツールです。
あとはお客様自身の好みや予算etc.に全て委ねられるわけです。
(2022.3.7 掲載「Dr.スランプ女将ちゃん(後編その2)」より)


それまでの旅行代理店による宿泊予約手配から、ネット予約事業が
市場を席捲し出したのは今から20年近く前です。
私が西屋にきて最初に取り掛かった仕事も、このネット予約
受付のための設定と運営でした。

快適なネット環境が僻地まで広がっていくにつれ、
手軽で便利なネット販売に参戦する旅館の数も激増しました。

そうなると必然的に勃発するのが「競争」です。

ポータルサイト内での表示順位と露出度をいかに上げるか。
口コミのポイントや、目新しさを強調した広告販売で、
いかに他より多く販売件数を獲得するか。
まさに仁義なき戦い(?)。今も水面下で続いています。


工夫の仕方は色々ありますが、当初から最も惹きが強いと
言われてきた差別化の手法は「販売価格を割り引くこと」でした。
「何かをおまけでつけるのもいいのですが、
特典で一番喜ばれるのはやっぱり値下げすることですね」
エージェントさんにも、当たり前のように
そう言われ続けてきました。

とにかく他よりも安く、お得に。それでもって質は下げない。
よりいい料理、よりいい部屋をより良いサービス価格で提供する。
よく考えなくても、相当無茶振りな売り方です。

さて。同じことを同じエリアの旅館が一斉にやったら
どうなるでしょうか。
答えは言わずもがなです。


凄く例えは悪いのですが、バナナのたたき売り状態。
自分の旅館の個性も体力の限界も悉く度外視して、画一的な
薄利多売の俎上に自ら進んで上がってしまったようなものです。

そりゃお客様からしてみたら、安く泊まれて贅沢できる宿ほど
魅力的に映るものはないでしょう。そういうところがいい宿だと
評判になるのも当然だろうし、そのいい評判=表示順位UP
を目指して、宿が躍起になってしまうのだって仕方がない。

しかし、本来サービスと料金は等価のものです。
身を切ってまで提供するものではありません。

なのに、ただでさえ差別化しづらいネット上で生き残るため
だからと、決して削るべきではない価格に我らは真っ先に手を
つけてしまったのです。
価格を下げるということは、建物の維持費から仕入れ原価から、
一番大切にするべき人件費にいたるまで、すべてにわたって
自ら余裕を狭めてしまったも同然です。特に最後。
接客業は働いてくれる人こそが資源なのに。

…という問題だらけのデフレ販売体制。
せめて短期決戦の切り札に留めておくべきでしたが、
結局競争熱が収まらないまま、常態化してしまったのでした。
西屋も乗ってしまった。

遠因かもしれないけど、この流れが結果的に業界全体の
弱体化につながったのではないかと、今では思います。
もっと早く、このやり方の間違いに気づくべきだでした。
小手先に頼るのでなく、自分の旅館が持つ価値や個性に、
もっとちゃんと目を向けるべきだった。


6.守り手の衰退

①スタッフのこと

最近、「底辺の職業ランキング」とかいう当事者に失礼
極まりないトンデモ記事をSNSに乗せて、
大顰蹙を浴びたとある就職情報サイトがありした。
一応旅館業は、そのランクには入っていません。
が、部分的にかぶる部門が複数ありました(飲食業・清掃)。
つまりはそういうことです。
サービス業は総じて下に見られがちです。
業腹だが、偏見が一部にあることは否定できません。

旅館業は万年人材不足です。
ついでに後継者不足です。
それも、どちらも極めて深刻なレベルで。
少子高齢化の煽りは、特に地方に暮らす世襲が基本の
小規模経営を、これでもかと直撃しています。

旅館は、言ってみれば「時間を売る」商売です。
スタッフは住み込みが主体。当然労働・拘束時間が長くなるし、
立地によっては働く場所も人里離れた僻地だったりします。
車がないと通勤も大変です。特に冬の白布。

にもかかわらず、上記の理由もあり、どうしても働いて
くれているスタッフの待遇を厚くすることができません。
さらに工場と違ってシーズン引け醒めが激しいから、
シフトも極めて組みづらい(収入になるべく波が出ないよう
配慮しなくてはいけない)難しさ。
努力不足と言われてしまえばそれまでですが…
あまりにも歯がゆいジレンマです。

そんな特殊な仕事だからか、旅館業は昔から(というか昔は)、
様々な疾患や家庭問題など、日常生活を送るには色々と難しい
事情を抱えた人も普(あまね)く受け入れる、
いわば寺子屋的な職場でした。

前にも書いたと思いますが、私は学生の頃、夏休みを利用して
裏磐梯のホテルで住み込みアルバイトしたことがあります。
その時一緒に働いていた人たちは、
それはもう訳ありドラマありの人生街道オンパレード。
DVから逃れてきた人、刑期を終えて俗世に戻ったものの
家族に受け入れを拒否された人、天涯孤独で住む場所がなく、
たまたま宿に拾ってもらったという人…
ある意味社会の縮図です。
今は殆どいなくなりましたが、一昔前は、
本当にそういう人が多かった。

働く側にしてみたら、収入を得られるだけでなく、
衣食住が保証されて路頭に迷う心配がなくなります。
雇う方にとっても、貴重な働き手が常時宿にいてくれる
安心を得られます。
まさにwin-winの関係(…でもないけど…)です。

経営者は、さまざまな事情を抱えつつ働いてくれる
そんな彼らの人生を文字通り丸ごと預かる形で、
時に厳しく、時に情けを以て、大家族のような時間を
共有してきました。時代は変わりましたが、
今もそのスピリットは変わりません。
そもそも少人数だから、公私のサポートが多少は
できるくらいは目が行き届きます。

しかし、働く人だってやがて年齢を重ねていきます。
徐々に世代交代しないといけません。
でも、それがなかなかうまくいかない。
なぜか。とにかく新しく入ってくる人がいないから。

平たく言うと、仕事がきついと敬遠されがちです。
まぁ…否定はしません。確かに体力は使います。
かくいう私も女将ですが、番頭(そもそもいないけど)
差し置いて湯守をしているし、調理場にも入るし、
掃除やベッドメイキングだってします。
立ち入らない部署はほぼないと言っていい。

もちろん、そんなやり方じゃ続かないのは分かっています。
私の体力だって無尽蔵じゃない。人がいないからカバー
しているだけで、騙し騙し回しているに過ぎません。


②後継者のこと

今は少子高齢化の時代です。労働人口がそもそも
減っているのはもちろん、国がなかなか有効な政策を
打ち出せないまま、全体的に経済状況は悪化しています。
暮らしにくい地方はどんどん人口が減少し、
学校は統廃合され、何もかもが市街地中心部に
遠ざかりつつあります。

白布温泉も然り。ほとんど陸の孤島です。
買い物に行くのも、子供を学校に通わせるのも一苦労です。
今でこそ義務教育のおかげで登下校の送り迎えを自治体が
請け負ってくれていますが、高校生になったら、
確実に下宿させないとまともに通学できなくなってしまう。

そんな状況です。
私達が単体で知恵と体力を絞ったくらいでは、到底解決できない
社会全体の問題が広がっています。それこそ何十年という単位で。

そこに未曾有のコロナ禍。瞬く間に世界を駆け巡って二年半。
収益が激減する中、何かと維持費用のかかる建物(固定費)も抱えて
もはや苦境なんてもんじゃありません。国や自治体のフォローで
何とか道を繋いできましたが、今となっては、我等の体力は
実際殆ど残されていないというのが現状です。
西屋は小規模ゆえ、新陳代謝がまだ低く収まっている方ですが…。
旅行として、たまに訪れるにはいいかもしれません。
けど、暮らすのには相当の覚悟が必要です。
守るべきものを絶対に見失わない強さを保つことが大切でも、
ガッツだけではまかりなりません。
物理的不利、経済的苦境、そして経営の大変さ。
すべてを吞みこんで、なお我が子に跡を継いでくれと、
あなたなら言えるだろうか?


もしもこの先、世の多くの人々が、何かをきっかけに
旧(ふる)きものへの大いなる価値を再発見したとしましょう。
しかし、その頃私たちが今と変わらず営業を続けていられる
保証はありません。既にその数を大きく減らしているか、
よしんば生き残っていたとしても、昔懐かしい面影を
止める力をとうに無くしてしまっているかもしれない。

書きながらふと思いましたが、世の中の価値観の変遷よりも、
私達自身の余力の方が深刻かもしれない。
なにも手を打たずに坐していたら本当に破綻する。
そんな現実が、遠からずやってきてしまいます。

人知れず、静かに失われていく古き良き面影、
古き良き温泉文化。
知り合いの旅館やお店仲間が、後継者がいないことや
働き手がいないこと、これ以上建物を維持できないなど、
さまざまな事情を抱えて看板を下ろす姿をポツポツと
見るにつけ、胸が痛むばかりです。

たとえ戦争が起きなくても、国が貧しくなれば
文化(人々の社会活動)は衰退する。
つくづく思い知らされます。

老舗だとて、その将来が保証されるわけでは
ありません。人はノスタルジーに憧憬を抱きますが、
その守護の代償に背負うものは、世間一般が思うよりも
はるかに重いものなのです。


かなり話は遠回りしてしまいましたが、
法隆寺は、そんな複雑な現実の一端を
垣間見せてくれたと、私は思います。




いつか、もう一度「会い」に行きたいな。


7.Quo vadis?

未来は誰にも予想できない。
「指輪物語」の賢者ガンダルフも、
「STAR WARS」のマスター・ヨーダも、
異口同音にそう主人公に諭していました。

散々自問してきた「どこへ行く?」ですが、
私もきっと、この答えを
生涯見つけることはできないでしょう。

どのみち、かたちあるものはいつか壊れます。
永遠はない。それだけはハッキリした未来です。
いかなる「器」も、たどる道は同じです。
いつかこの世から姿を消します。

抗うことはできない。分かっている。
でも、少しでも長く未来に残したい。
それは、古き良きものを守る人達の共通の願いです。
今の状態を保っていくのはとにかく大変ですが、
今はただ、逃げずに今と向き合っている自分を
誇りに思いたい。たとえ誰も褒めてくれなくてもね…。

時間、人生、気持ち…様々な場面で行き着くところまで行った時、
どういうわけか人は、もう一度懐かしい世界に還りたい、
あの日に戻りたいという感情が湧き上がってくることがあります。
それは晩年に差し掛かったある日、ふと過去を懐かしく振り返り、
楽しかった日々に思いを馳せて、そこから今を再び見つめて
生きる糧とする、それに近い心理です。


だから、その時彼らが安心して還って来られる場所が必要なんだ。


"Quo vadis?"

私はどこへも行きません。
この地に留まり、温泉を、温泉文化を守ります。
いつか、誰かに必要とされる日が来ることを待ち続けながら。



今日の1曲

木こりと魔女 

逆瀬川剛史(2017)


↑本人のライブ映像から。



若手のギタリスト、逆瀬川剛史のアルバムに収録されている
「木こりと魔女」。USENで流していたチャンネル
「ギター・コンピレーション」で偶然この曲が流れていたのを
聴いたのが、彼の名を知ったきっかけです。
どこかで聴いたことがある様な、
それでいてひどく印象的な曲になぜかピーンと来るものが
ありました。まるで朝霧の白布の森を歩いているような感じ。

なぜか耳に残る名曲です。

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