若女将コラム

日々西屋と山を駆け巡る湯守兼女将による、自由奔放すぎるコラム改めエッセーコーナーです。
人生は奇想天外に生き抜こう。趣味のことや日々思う事etc...ほぼ西屋に関係ない話題ばかり載せています。

若女将エッセー

2022年06月

2022.06.27

Quo vadis? ~前編~


どーん。
ちょっとヤケあり、傷あり、汚れあり…
いかにも中古なこれらの大型本。



しかし、私にとっては紛れもなく宝の山です。



久しぶりの更新となりました。

前回までのシリーズを書き終え、
一つ大きな山を超えたような心境でおりました。
かの巨匠ミケランジェロは「私は大理石の中に天使を見た。
私は彼を自由にするために掘るのだ」という名言を残しましたが、
この度の私も、胸の内に滾(たぎ)るインプレッションの塊を
漸く吐き出した感じです。まぁ…インプレッションと言っても、
ミケランジェロの完成された天使には到底及ばない代物ですが…。

流石にエネルギーを出し切ったせいか、ちょっと燃え尽きまして。
今しばし筆を休めたい。
そう思い、空っぽになった頭の中をあらためて整理しつつ、
暫くインプット(学習)に集中しておりました。


で、具体的に何をインプットしているかと言いますと…
残念ながら、資格取得だとか、ビジネスに即役に立ちそうな
知識だとか、そんな将来性のあるお堅いジャンルでは全くない
ことだけは確かです。やってる本人だけが大真面目なだけで。

というかエッセでも散々触れましたね。
ただいま私、書道に続いて新たに仏教美術(仏像・仏画全般)
に絶賛傾倒中です。それどころか、門前の小僧習わぬ経を
なんとやらで、とうとう仏典まで齧り始めてしまいました。




平等院鳳凰堂に描かれた九品来迎図(右)。そして、
ナセBAこと米沢市立図書館で借りてきた仏画の描き方解説本(!)。

どこにいくんだ小僧…もとい私。
これまで全くと言っていいほど興味関心がなかったはずの仏様の
一体どこから「萌え」要素を発掘してしまったのでしょうかねぇ…。
やっぱり春の出会いかなぁ。




京都・宇治市にある伏魔御厨子…でなくて平等院鳳凰堂。
高校時代の修学旅行時はもっとすっぱげた色でしたが、いつの間に
綺麗に塗り直され、創建当時と変わらぬ美しさが蘇っていました。感動。
雲中供養菩薩の彫刻他、上記の九品来迎図が内壁に描かれています。

百聞は一見に如かずとはよく言ったもので、本物との出会いは
あまりにもインパクトが違いすぎました。
本当に自分でも予想だにしない化学反応が起きてしまった。
それが、今も続いています。

まぁ、書道も仏教云々も方向性はあんまり違わない(?)し、
たとえ過去志向の文化知識でも、バタフライ効果じゃないけど
人生のどこかで思いがけず役に立つかもしれないし、
気が済むまでとことん付き合ってやろう!
とまっしぐらに沼にハマった結果が…冒頭の通りです。
我ながらよくわからない推し活である。





ちょっと話が逸れました。
さて、冒頭の写真にある古本の入手先は様々です。
先月、東京は神田町へ繰り出した時に求めた「戦利品」他、
地元の図書館で借りたらすごく内容が良かったからと、
密林やらヤ○オクやら駆使してようやくゲットしたものナドナド…。
もちろんどれも格安で!!
「リサイクルなどけしからん、ライターたるもの本はきちんと
新品を書店で買うべし」とは元朝日新聞名物記者・近藤康太郎氏
の弁。分かります。物書きが本代ケチるなって話よね(違)。
ぶっちゃけよう。元値いくらすると思ってんねん。
そもそもお目当ての本はほぼ絶版で、新品ではまず手に入らない
ものばかりです。選択肢は最初からありませんでした。
中身が無事で落丁でもしていなければ、私は基本的にガワの
新旧は気にしません。むしろ、あの如何にも年季が入って
やや黄ばんだ色味や、古本独特のまるで落ち葉のような
ほのかに甘い匂いが大好きです。
(正体は何だろう…まさかカビ(笑)?)
あたかもそれ自体が命を宿したかのように、時と共に重みを増す
古書・古筆の不思議な貫禄。
本も仏画も建物も、その雰囲気はどこか同じものがあると
私は感じています。







さてこちら↑
日本に現存する古筆のうち、最古にして、あの聖徳太子筆と
伝わる法華義疏(ほっけぎしょ…日本に最初期に渡ってきた
(大乗)仏典である法華経の解説書みたいなもの)です。

聖徳太子といえば…説明するまでもありませんね。
智謀才略に富み、冠位十二階や十七条憲法など大陸由来の
制度を日本仕様に整え、飛鳥時代の中央集権体制を幾年にも
渡って支えてきた、まさに偉人オブ有名人。
あり得ない話ですが、もしも彼がパ○ピ孔明みたいに現代に
タイムスリップして、さらにはうっかりTwitterアカウント
なんて開設した日にゃ、1日でフォロワー1000万人突破
くらいあっさり実現できそう。何の話だ。

どういうわけか聖人君子のイメージが強い聖徳太子ですが、
実際は目的のために政敵を失脚させたり時には誅殺したり、
そこそこ…いや相当やる事もやってたお方であります。
まぁ彼が生きていた頃はそういうのが日常茶飯事な時代
でしたから、そこは引き算するとして。

そんな彼の直筆は…あら何だか丸こくて可愛い。
肝心の記名がないため、太子の真筆ではないという説も
あるようですが、そこはスルーするとして。

書道専門書の解説によると、彼の字は隋朝の書体を踏襲
しつつ、軽快かつ迷いのない筆運びで行草字を認めており、
当人の理解力、知性の高さが伺えるとのこと。
素人の私が見ても、頭の理解に手の方がギリギリついて
いってるような、行書と草書が混じった興味深い書き方だと
思います。きっと、書体を整えるよりも何よりも、次から
次へと伝えたい事が溢れて、筆が止まらなかったのでしょう。




この法華義疏しかり、
たとえば知恩院の阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)、
顔真卿の祭姪文稿(さいてつぶんこう)しかり…
今は亡き先達が、ひと筆ひと筆に込めた、その人にしか
醸しだせない一瞬の“魂“。これらに触れた時、私は言葉では
語り尽くせない感動を覚えます。書いてある内容だって、
傍らに専門書さえあれば、本人の直筆を通してちゃんと
理解することができます。

もちろん直に会うことはできないわけですが、
こうして遺された貴重な肉筆の数々と向き合うたび、
彼らの面影や気持ち、果てはなぜか幻の声までもが、
ありありと伝わってくるような気がします。

それがなぜか、とても嬉しいと思えてなりません。


彼らが見つめ、認めた実物が当時のまま現存していることが
そもそも感動だし、「ああ、やっぱり同じ人間だったんだな」
と親しみを覚えるし、決して見ることは叶わない遠い昔の
はずなのに、例えば聖徳太子や、彼が生きていた時代に
一瞬で飛んでいけるような気がするから。

そんな「出会い」や「対話」が何より好きだから
尚更私は古きものの懐を心地よいと感じられるのだと思います。
書も、仏像も、西屋のような建物も

まだ機械のない昔、誰かの手を、思いを経て作り出されたもの。
それらは、本来儚く短く流れてゆく人の魂を、その瞬間その姿の
まま切り取り、幾百年も留めてくれる「器」のようなものです。

しかしそれは、永遠の存在ではありません。
ただ存在するだけではだめです。何しろ器ですから、
放っておいたらいずれ時と共に劣化していきます。
きちんとを守る者がいなくては、やがて朽ち果て、
永遠に失われてしまいます。

なんなら守り手にならなくてもいい。
その価値を理解してくれるだけでもいい。
いずれにせよ、そこに宿っているものを極力壊さずに、
その思いを未来へ確かに運んでくれる存在が必要なのです。
それはいつかきっと、未来の誰かを目覚めさせ、
時には癒してくれるから。

日々、考えています。
私がいま守っているものは一体何なのか。
遺したいもの、未来へ継いでいきたいもの、
それはどのような形なのか。誰が継いでゆくのか。

漠然としながらも、それが何なのかは凡そ知っています。
ほんの小さな器ですけれどね。

しかし一つだけ、全く答えを出せていないものがあります。

それこそが、

”Quo vadis?” (どこへ行くのか?)

(続)




今日の一枚 

Henosis

Joep Beving (2019)


↑サムネイルクリックで、公式Youtubeチャンネルから
1曲目の「Unus mudus(1つの世界)」を視聴できます。

オランダの気鋭ピアニストにして作曲家、
ユップ・ベヴィンのアルバム。
ベースはクラシックですが、ピアノの主旋律をさりげなく
支えるようなシンセサイザーのアンサンブルが、
イイ感じにセピア色の世界観を醸しています。

そうね、例えるならピアノが湖の上にうかぶ小舟、
後者は湖そのものといったところです。

すべてインストルメンタルで、ピアノソロが多め。
時間帯や季節で刻々とその姿を変えてゆく湖とその景色を、
湖畔の木々になっていつまでも眺めているような、
不思議と癒されるアルバムです。

2022.06.08

音のある生活 46 「寄り添うもの」-③




『 わたくしといふ現象は、仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です(あらゆる透明な幽靈の複合体)
風景やみんなといっしょに、せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともり続ける 
因果交流電燈の ひとつの青い照明です 

ー宮澤賢治「春と修羅」

太陽系の外にある光らない星、系外惑星。
望遠鏡を覗いただけじゃまず見つからない「地球の仲間」ですが、
今年に入ってから、その総発見数がとうとう5000個を超えたそうな。
驚きの見つけ方は何通りかあるようですが、中でもトランジット法
と呼ばれる「公転中の惑星が、恒星の前を横切る時に生じる僅かな
光り方の差(要は日食)をもとにその存在を見つける」という方法が
採用されたことで、一気に発見数を加速させたそうです。

へぇぇなるほどぉ…。

しかしこれ、地球と系外惑星(の公転位置)とその親玉が
ほぼ横に並んでいないと、当たり前ですが使えない方法です。
まさか学者さん方、こんな針の穴に蜘蛛の糸を通すような
現象を見つけるために、恒星という恒星を日夜観察してる
ってこと?どんだけ気の遠くなる作業だ。
それでも実際に何千個もの惑星を実際見つけてしまうのだから、
ただただ驚くしかありません。
一体全体この銀河系だけでいくつ星があるのだろう。
そんな銀河だって、宇宙に無数に散らばっている銀河仲間の
一つに過ぎませんからね。惑星の数なんてとても数えきれない。
この底なしの闇のどこかにはきっと、人と同じように、宇宙の
向こうに未来を探し、自らがどこから来てどこへ行くのか
問い続けている知的生命がいるはず。

もっとも、当の宇宙は光の速さで今なお膨張中です。
現実問題、彼らと真面に会えるチャンスは恐らくないでしょう。
こうして宇宙の大きさを知れば知るほど、
「これが全て」と思っていた自分達の住む世界が
どんどん小さくなっていく…。



はい、前回、前々回に引き続き、
「寄り添うもの」パート3(最終回)です。
もはや何のための「音楽のある生活」シリーズ?ですが、
ちゃんとフラグ回収しますのでご安心を。

またもや長たらしい話題ですので、
本シリーズの前・中編をざっくり要約します。

主に仏様と自然界の話です。誰かの強い願いと祈りを胸に、
千年以上も時を止めたまま生きる仏様。そして、
人の領域の外にあり、あらゆる命がひとつの流れとなって、
ゆったりと巡り続ける自然界。
この両界には見えない共通点…生きとし生けるもの全てに
横たわる不可視の揺らぎ…「生と死」の循環であり
「救い」である…そんな内容です(うわぁ…)。


先述の通り、私が現在住んでいる白布は
「人を寄せ付けない領域」のほとりです。最先端の
技術やインフラ、煌びやかなエンターテイメントが
集う世界とは正反対。生命の基部とも言える自然の
深みから渾々と温泉が湧き続ける、そんな場所です。

水と火山に恵まれた日本は、温泉文化が古くから
根付いていました。今も、地理的な環境によって
色々なタイプの温泉が何千カ所も沸いています。

そのひとつである白布温泉の泉質は、ちょっぴり
アルカリ性の「カルシウム-硫酸塩」泉。
主成分は「硫酸ナトリウム」「カルシウム」で、
打ち身や切り傷、神経痛に効くと言われています。
ほぼ無色透明ですが、空気に触れるとしっかり結晶化
(最初は白→酸化して黒)します。



真っ黒な湯滝風呂の石造↑はオリジナルカラーではありません。
何百年も温泉にさらされるうちに少しずつ温泉成分が堆積して
変色したものです。

温泉が持つ力や有り難みは、みなさんもよくご承知だと思います。
日本人にとってあまりにありふれた存在だから、
特に珍しいものとは思わないかもしれません。
でもね、実はとんでもない奇跡の賜物なんです。


温泉を温泉たらしめる中身は、
どれも昨日今日に生まれたものではありません。




かつて生命の一部だった(かもしれない)もの。



その昔空から降ってきたもの、



それこそ地球が誕生するよりは遥か以前に、
太陽のような星の炉で生まれたもの…


これらが幾星霜もかけて天と地を巡り、
やがて地中で一つになり、
地球の体温を纏い、再び地上に還ってきたものです。
気の遠くなるような時間と、数多の小さな道筋が、
目の前を流れる温泉のその一滴に詰まっています。


温泉にゆっくり身体を預けていくうち、
緊張も疲れも不思議と解れていきますね。

記憶にはなくとも、温まりつつある身体の奥底では
思い出していると思うのです。
ずっと昔、お母さんのお腹の中にいた頃の、
あの安心しきったあたたかい日々のことを。
悩みも、苦しみも、言葉さえも。温泉は全てを包み、
流していってくれます。

昔から日本人は温泉好きで、交通が不便な人里離れた
山奥でも足繁く訪ねてきました。
温泉が本来持つ「魂を回帰させる力」「究極の癒し」を
無意識に求めている、そんな側面もあるんじゃないかと
最近私は思っています。



仏教の話に一瞬飛びますね。

どうやって調べたのか全く分かりませんが、
聖武天皇の発願で奈良の東大寺が建立された当時、
日本の人口は約520万人くらいいたそうです。
(あぁ、いつかの「手紙」エッセで書いたなこれ。)
併設されたミュージアムのナレーションで耳にしました。
それを聞いて心底驚いたのは、大仏建造にかけた
延べ人数の多さではありませんでした。
それだけたくさんの人が当時生きていたというのに、
今ではその面影も記憶も、何一つ残ってないという事実です。
彼らは何を思っていたのか、
どんな人生を歩んだのか、
今となってはもう知る術はありません。
残されているのは、例えば萬葉集のような言葉の断片、
その思いや祈りを託された、僅かな数の仏様達だけです。
千年以上の間、移りゆく世を憂い見つめてきた仏像たちの
やさしい眼差しだけが、微かにその名残を伝えています。


かたや温泉は、地球の、命の記憶そのもの。
あなたが今何気なく触れた温泉のどこかに、
もしかしたら520万人の誰かの命の欠片、あるいは、
あなたがかつて愛した人の記憶が微かに宿っているかも
しれません。人の歴史よりもはるかに長い時間世界を
渡ってきた温泉です。今という刹那を生きる人々を
癒して余りある力を持っているのは、
ある意味当然と言えます。

しかし、出会えるチャンスは仏様と違ってほぼ一度だけ。
見た目はどんなに同じでも、絶えず流れ、空へ地へ
離合集散する不可視の存在ですからね。「同じ組み合わせ」
になる
可能性は極めてゼロ。
次はいつ、どこで会えるのか、誰にも分かりません。



もしかしたら、温泉ではない形で再開を果たしている…
かもしれませんよ。

さて、私は女将であり湯守です。
人と自然の境界線に暮らしながらお客様を日々迎え、
温泉との一期一会を言祝ぐことが生業です。

温泉が巡れば、訪れるお客様も様々です。
日々の暮らしにふと疲れ、日常を離れたいと願った人、
不安や寂しさを感じて、あたたかな癒しを望む人、
或いは、これからの日々どう生きたいのか、
心のどこかで考え始めている人。

迎える西屋には華美なものはありません。
豪華な食事がでるわけでもない。温泉と静かな時間、
古き良き建物、そして周囲を取り囲む自然があるだけです。
でも、それでいい。
万人受けする旅館になることは不可能だし、
なる必要はないと思っています。

「自分をほんの少しリセットしたい」と感じて
西屋を訪れたお客様が、安心してその願いが果たせるように、
そしてまた元気に明日のスタート地点へ立てるように。
小さな安らぎや幸せでも、
それをきちんと届けられる宿でありたい。

仏様の世界と自然界、そして温泉…
すべて、それぞれの在り様のまま人に寄り添うもの。

ならば湯守はどこのポジションか?
…全部を彗星みたいに行ったり来たりしている感じかな。

唯一かすらないとしたら仏様の世界ですかね。
そりゃ私だってまだまだ中途半端な人間だから、
いっぱい悩むし、無力さが悔しくてのた打ち回るし、
隣の青い芝をつい見てはギリギリ歯ぁ食いしばっちゃう…
しょっちゅうです。
でもまぁ、到底菩薩にゃなれないけれど、
志を同じくすることはできるとは思う。
この世を謳歌するどんな成功者も、
世の中不公平だと嘆く人も、皆いつか再び千々になって、
小さなこの星を循環する記憶の欠片になるのだから。

今更何をくよくよする必要があろう。

「今」という時代の歯車は、いつだって、喜びも悲しみも
飲み込んで、軌道を外すことなく回ってきました。
そう思うと、悟りじゃないけど、
少しは心が凪いでくるような気がします。

だから今は自分の可能性を諦めず、誠実に生きていこう。
それだけは固く決意しています。
忍耐と寛容さ、どちらも教えてくれる温泉の"声”に
日々耳を傾けながら…精一杯できる事を為して過ごしています。


「憂」という字は、「人」偏を携えると
「優」になります。
短い人生だから、誰かのために生きる。
誰かのために、自分を磨く。


めまぐるしい時代の中で今、古き良き温泉文化は
少しずつ失われつつあります。あと何年もつのかは
分からないけれど、その担い手の一人として、
私は寄り添っていこうと思う。
時間も空間も超えて連綿と流れ続ける温泉に、訪れる人に。
異界のほとりから、今日も見守ります。

(終)



今日の1曲


"温泉” 

くるり(2010) 

1998年デビューのデュオ、くるりのアルバム
「言葉にならない、笑顔を見せてくれよ」から。
タイトルそのまんまです。
温泉ってよりお風呂です。ロケ地も素敵な銭湯。
めっちゃ余談ですが私、銭湯「も」大好き人間。
またいつかカポーンしたい。

実は今回の「音」シリーズ46回目、PR設計の
布石を兼ねて書き綴っていたものでした。
ライティングのトレーニング、PR設計作り、
自分がやりたい事や考えていることを整理する…
一石三鳥じゃん!みたいな。
そもそもこんなに掘り下げるつもりはなかったのだよ!
誰も信じちゃくれないだろうけど…。

もっと単純に「奈良京都で見た古い御堂と白布って
なんか雰囲気似てるし、自然から生まれる温泉には
きっと大昔の智慧だ記憶だ魂が詰まってるんだ。
だから癒しの力がすごいんだ~湯守やっててよかった!」
の話にしたかったのに、
書いてる本人が初っ端から
「重すぎる、もうダメじゃあ~!」
なんて墓穴掘りまくったせいで結局よく分からない
結末になってしまいました。

だから〆の一曲はその意趣返しです(自分でやるか普通…)。
パーっと〆!!ドリフターズの某曲の方がよっぽど
温泉じゃん!なんてツッコミはなしよ!!
あれ白布温泉ラインナップされてないから(笑)!
お客様にはただシンプルに温泉であったまって元気に
なってほしいのだよ。この明るい歌のように。
小難しいことは考えるのは湯守の仕事に留めます。
どうか皆さんぜひお風呂に入りに来て。
好い湯加減にして待ってますから~~♨♨♨

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