若女将コラム

日々西屋と山を駆け巡る湯守兼女将による、自由奔放すぎるコラム改めエッセーコーナーです。
人生は奇想天外に生き抜こう。趣味のことや日々思う事etc...ほぼ西屋に関係ない話題ばかり載せています。

若女将エッセー

2022年05月

2022.05.28

音のある生活 46 「寄り添うもの」-②

 

先週、私用で久しぶりに東京を訪れました。



母が生まれ育ち、祖父母が今なお眠る、私の第二の故郷です。
相変わらず白布とは180度世界の違う大都会ですが、新幹線を
降りた途端懐かしさがこみあげ、かつて暮らした日々のブランクも
一気に消し飛びました。
思い出はもとより、身体がちゃんと覚えているんでしょうね。
何のためらいもなく、複数の目的地をひたすら動き回った2日間でした。


古本求めて神保町を奔走した後、時間があったので神田明神に参拝へ。
御祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名大神。
いずれも温泉の神様。なにげに母方実家の近所だったりします。
今の自分が温泉地に住んでいることもあり、あらためてご縁を感じました。



境内の文化交流館では一時スマホを落とし、泡食って探し回ったのは
いい思い出(?)。預かっててくださった売店のお姉さん、本当に
ありがとうございました(汗)




夜の新宿。一番歩き慣れたエリアです。

「疲れて、時々都会を離れたくなる」
白布を訪れる大都市圏の皆さんの中には、そう口にする方が
時々いらっしゃいます。田舎と都会、両方を知る私には
その気持ちがよく分かります。空に延びた無数のビル、
縦横無尽に走る道路や線路、独特の匂い、止むことのない喧騒音…。
見事なほど人間が造り上げた、人間のための街。
無秩序なうねりとなって日々人々が動く様は、
まるで形のはっきりしない真綿の上に立つ、
不安定な世界にも思えます。

人ひとりの単位が小さすぎて、
逆に孤独を感じたこともありました。
それでも、私は嫌いではありませんでした。
あまりにも"今"が目まぐるしくて、
見なくてもいいもの…例えば過去や未来のようなもの…
にとりあえず蓋をしたままでいられる、一種安心感みたいな
ものがあったから。実際東京で暮らしていた頃は、
将来自分が地方に定住する選択肢なんぞ
微塵も抱いていませんでした。
それがいつの間にやらこの通りよ。
よもや田舎すらすっとばし、最寄りの集落まで約10km
なんていう山奥に住む羽目になろうとは。
人生何があるか分からんものです。




翻ってここ、白布温泉。
米沢市街地から車で約30分、西吾妻山麓標高850~900M、
西屋を中心とした直径20km以内の人口密度は約24人。
(↑酔狂にもわざわざ調べてみました)
その低さは実に東京都の1/256、全国で最も人口密度の低い
北海道のさらに1/3。まごうことなき山の中です。

そんな白布で湯守になって、かれこれ10年近くが経ちました。

日々宿と森を行き来していると、
否応なしに自然界の本性を目の当たりにします。
儚く美しい四季の移ろいだけが全てではありません。
突き付けられるのは、生きるか死ぬか、
自然淘汰と食物連鎖のヒエラルキー。
森も動物もすべてが等しく享受する、生々しい命の循環です。
エンカウントは突然に。
例えば…
目の前で動物の捕食場面に遭遇したことは
一度や二度ではありません。
真夜中の庭先で、何かに捕らえられた獲物が
断末魔の絶叫を上げるのを聴いたこともあります。





西屋裏のお薬師堂の軒下には(写真上部)、
もう何年も前にクマが付けた爪痕が残されています。
この中に作られたハチの巣から蜜を取ろうとして、
必死に背を伸ばして爪をかけたのでしょう。
高さ2mくらいもある位置だから、すごい執念です。
誤解されがちですが、クマは見た目に反して警戒心が強く、
めったに人の前に姿を現しません。
そんな子が、食べ物のためとはいえ相当な危険を冒して
人の住む場所のすぐ近くまでやってくるというのは、
白布では極めて珍しいことです。
よほど飢えていたか、他の仲間になわばりを追われたか。





↑眼下には西屋が見えます。
こんな近くまで、彼?彼女?はやってきたわけです。
何にせよ、過酷な状況に追い込まれていただろうことは
想像に難くありません。


もっとショッキングな話。
温度調整で水を引いている裏山の沢では、
上流から動物の亡骸や骨がダイレクトに流れ着いてくることもあります。




↑ご安心下さい!これは木の枝です!わりとそっくりさんだったので
思わず拾ってパチリしました。
こんな感じで流れてくるよー…というイメージです。

どういう最期だったのかはもちろん知りようもありませんが、
比較的無傷なものもあれば、死後それなりに経過したものも…
とだけお伝えしておきます。つまりだ、なんだかんだいって、
そこそこのエンカウント率ということですわ…。
良いのか悪いのか、今では見つけてもさして驚かなくなりました。
だいたい驚いても仕方ない。
人にあらずとも、死なば仏。
私は彼らを見つけるたびに水底から引き上げ、岸辺近くに
埋めずに置いて、軽く手を合わせるようにしています。

なぜ埋めないのかって?

別に怠けてるわけじゃありませんよ。
初めの頃はちゃんと埋めていましたとも。
でも次の日になると、その亡骸がほぼ確実に何処へと
消えてしまうのです。本当に。忽然と。
ある時、とうとうその原因を見つけました。
掘り返したと思しき場所に残されていた、動物の爪痕を。
つまり、匂いを嗅ぎつけた別の動物が、棚ぼたとばかり
夜のうちに持ち去っていったわけです。

嗅覚凄いな!というか、腹壊さんのか?
いやいや…そんなことよりも。

たとえ骨であろうと、その屍を糧に今日を生き延びようと
するものがいる。言い換えれば、死した命を無駄にせず、
意図せず次へと引き継いでくれるものがいる。
なんと情け容赦なく、尊い命のバトンタッチだろう。
その事実に気づいたときの衝撃は、なんとも表現しがたい
ものでした。

…ああそうか。
これはきっと、無暗に人の情を加えてはいけない領域なのだ。
そう気づいた私は、彼らの亡骸を埋めることも、
余計な感情を挟むことも止めたのでした。



とぐろのように木々を巻く朝霧の中。
あるいは満天の星の下。
大滝の音が木霊する谷間の向こうで。
今日もめくるめく生と死のドラマが繰り広げられています。
食うもの食われるもの、寿命を終えればみな等しく、
誰に弔われることもなく草木に覆われ、朽ちた木々もまた
年月をかけて大地に沈み、再び山に還っていきます。

時を経たそれらの残滓を目にするたび、思います。
ここは、どこまでも深く仄暗い命の世界だと。

その、茫洋として清濁併せ呑む無尽蔵の懐は、憐憫や忌避といった
人間の尺度では到底推し量れません。
常にこちらに開かれていながらも、
決して人を受け入れているわけではありませんから。
私は湯守として、そんな「異界」と人の領域との境界を
行き来するうち、早くから、「彼ら」の声なき声に耳を
澄ませるようになりました。そしてある時から、
その向こうに蠢く、得も言われぬ何かを、
強烈に感じるようにもなりました。
尤もその正体が何なのか、ごく最近まで分からずじまいでしたが…。

湯守の仕事は須らく自然相手です。
圧倒的不可抗力である自然の僅かな「機微」に対し、そこに
寄り添う人間として常に謙虚で注意深くあらねばなりません。
たとえすぐ近所の持ち場でも、気を抜けば時に危険を伴うからです。
その強い緊張が、知らず精神を鍛えてくれたのかもしれません。
ただ山に住んでいるだけだったら、おそらく知りえなかった
感覚だと思います。




前回も書きましたが、私達にとって死は恐れです。
いかなる解釈や信仰でメンタル補強しても、
古今永遠のテーマでることには変わりありません。
何しろ人間てのは、ほかの種と違って未来や死を
意識せずにはいられない、実に因果な生き物ですからね…。

一方自然界においては、
死は終焉でも度し難い恐怖でもありません。
時間と共に螺旋を描いて巡る、大きな命の流れのひとつの現象、
通過点に過ぎません。
そういう意味では、死は「救い」とも言い替えることができます。
前回のエッセでも触れました。善き生き方、輪廻、解脱と涅槃…
仏教の思想は、自然界の掟をまるで最初から知っていたかのように、
驚くほど説得力を帯びています。私が、白布の森と仏の世界に
なぜか通じると感じた共通点が、まさにここにあります。
尤も、白布界隈だけがオカルト的だとか特別だとかいう
意味では全然ありませんからね。そこが手つかずの自然、
つまり「人間の領域の外」であれば、どこだっていいのです。
ただそこに身を置いたとき、深遠に横たわるライフストリームを
見出すかどうか、その一点です。

こんな風に思ってしまうのは、私だけかもしれんが……。
そしてまたもやTo be continue...




今日の一枚!!!!
なぁにが音のあるほにゃららシリーズだよ。
ほんとタイトル詐欺もいいところだ。ごめんなさいね。
今回はどうしても吐き出したいことがあって、
脱線しないように書くので精一杯で、
音楽成分ほとんどひねり出せませんでした。

というわけでご紹介するのはコチラ。

 黛敏郎「涅槃交響曲」

岩城宏之&東京都交響楽団(1995)


↑1998年7月サントリーホールでのライブ版。
黛敏郎氏の追悼コンサートにて。
全曲通してみるのはキッツいと思いますので、
せめて32分20秒あたりのクライマックスから
見てみてみてー

本エッセーでは2回目の紹介です。
自分で言うのもなんですが、本文があまりにもあまりで、
もうこれしか思い浮かばんかった。
「涅槃交響曲」。黛敏郎氏1959年の作曲です。
本体オーケストラの他、男声合唱団と、客席側2か所に
別舞台(バンダ)演奏が加わった大編成で、
全部で6楽章あります。2楽章と4楽章には天台宗の
読経を抜粋した歌?歌詞?
うーん、足して二で割ったようなアンサンブルが入ります。
タイトルにたがわず、特に前半は重ーい、暗ーい展開。
CWはよりにもよって奈良薬師寺の声明。
そうでなくともみんなの苦手な現代曲だし、
聴いたことないよって方が殆どだとは思いますが、
私好きなの、このアルバム。
学生の頃、懐かしの新宿タワレコで買って以来、
20年近く聴いています。(もしや、その頃から
湯守っ気あったんじゃないか?呼ばれてた??)

5楽章に入ると一気にスパークします。
「すべての寺の梵鐘が鳴り響く」という場面設定だそう。
そこから途切れず6楽章に入れば、途端にあの世が見えて
きます。徐々にボルテージを上げる眩い涅槃のシーンです。

終盤の合唱は読経ではなくヴォカリーズのみですが、
和音構成が荘厳でめちゃくちゃかっこいい。
涅槃を超える瞬間ってこんなにドラマチックなのかと
妙に感動するほど。んなこと言われても全くもって
ヴィジュアルイメージが浮かばんわ!という方は、
ぜひ創建当時の煌びやかな平等院鳳凰堂や東大寺(法華堂)、
または知恩院の講堂あたりイメージしてみて下さい(んな無茶な)。

2022.05.15

音のある生活 46 「寄り添うもの」-①





この間の休館日のこと。
娘「ただいまー、お母さんお寺みたいな匂いするー」

ふっふっ娘よ、よく気付いたな。そして煙くてごめんよ。



この日焚いていたのは、沈香(じんこう)という香りの線香でした。
ほのかに甘く、法要であげる焼香を思い起こさせる、いかにもお寺!な芳香。
旅先で触れた記憶が娘にもしっかり刻まれているようで、
母は少し嬉しく思いました。

最近、書斎にこもるとき、そして寝る前に日記をつけるとき、
私は必ずと言っていいほどお香を焚いています。
それもバラだのラベンダーだの今時のタイプではなく、
白檀やたまーに伽羅(きゃら)といった、まさに"抹香くさい"やつ。
「説教じみて、いかにも仏教的」。
使いようによっては揶揄ともとれるこの言い回しですが、
お香をたくと、不思議と気持ちが落ち着いて、何をするにも
集中できるのです。京都や奈良で訪れた由緒あるお寺でも、
さりげなく香が焚かれていました。




(↑奈良の元興寺の極楽堂(本堂)。良い香りに包まれていました。)

香りがもたらす見えない境界、とでもいえばいいのか。
一歩中に入っただけで、そこが特別な場所であることを
嗅覚が教えてくれます。その空気感が、私はとても好きです。

あの旅以来、私は古寺が醸す仏様の世界にすっかり魅了されました。
強い親近感を抱くようになったのです。
全く場所も雰囲気も景色も違うはずなのに、纏う雰囲気というか
空間そのものが、なぜか日頃住まう白布と非常に似ていると感じました。

というわけで、今回は「音のある生活」シリーズ。
といっても、実際の音楽要素はかなり薄め(笑)
仏様と白布の山々のめくるめく世界について、思うまま
じっくり掘り下げてみました。




今回の旅では、いくつもの忘れがたい経験を得ました。その一つが、
東大寺法華堂での不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)との
出会いです。



法華堂↑は、大仏様で有名な大仏殿を見下ろす小高い丘の上にあります。
約8世紀(天平時代)の建築で、境内では一番古い建物です。
保存状態が極めて良く、入ってみると存外古さを感じさせません。



↑正面の入り口。
写真右で謎の屈伸をしているのは我が娘です…いやマジで何してた??

御堂の中、須弥山を表した壇上には、本尊である不空羂索観音をはじめ
四天王や阿吽、梵天、帝釈天といった錚々たる神仏の皆さん
(どれも身長3~4M)がドーンと並び立っています。
天井も彼らに合わせてメチャクチャ高く造られており、
文字通り圧巻の一言に尽きます。



↑ご本尊の不空羂索観音像。公式パンフレットより。

この法華堂で私と子供達は、桜舞う観光シーズンだったにも
関わらず、他に誰一人参拝者が来ぬまま30分近くも
仏像たちを独り占めするという、あまりにも幸運な機会を得ました。

(朝の開門直後で、平日だったこと、冷たい霧雨の降るあいにくの
コンディションだったことetc.色々条件が重なったと思われます!)

不空羂索観音…呪術廻戦ファンでもなきゃ、あまり聞き慣れない
名前の観音様だと思います。さてどんな観音様?
実はこの方、経典の中でなんと自己紹介しています。曰く、
「私は救うことに関しては最高の観音である。
生死の大海で苦しむ人々に妙法蓮華(みょうほうれんげ)という
花の餌を撒き、それに縋(すが)ろうと集まってくる衆生を、羂索
(=慈悲の心を糸とする百発百中の大投網)を使ってもれなく
救い上げ、悟りの世界、極楽の世界へ一挙に導くことができる」

…だそうです。
まぁなんとも、ゴーカイというか、そもそも悟りの順番が逆というか…
敢えてツッコむなら、さりげなく人間の扱い雑過ぎやしませんか観音様。

羂索さん「ブラフマン?話すと長くなるから、とりあえずこっち
(浄土)来てから学んどこうね。そいや~っ(投網)!!」

その後は仏陀さんに説法役を丸投げ。
そんなパワー技を延々繰り出しているお方。多分。
えー、適当な紹介でごめんなさい。




↑三対の腕のうち、一番下の左手に羂索を携(たずさ)えています。
一見ただの紐ですが、隙を感じさせません。「いつでも広げられる」
と言わんばかりの不可思議なオーラが漂います。
(出典「魅惑の仏像12 不空羂索観音」)



仏教といっても、たいていの人は葬儀や法要で関わるくらいで、
普段はあんまり馴染みはないと思います。不祝儀というイメージが
強いから、敢えて意識されない側面もあるかもしれません。

しかし驚くべきことに、仏教の祖である仏陀の教えには、
普(あまね)く人々の死後救済を直接説くくだりは存在しないのです。
如来や菩薩も然りです。
彼らは元々仏陀の悟りの過程を示す「概念」であり、
独立したキャラクターを持つ存在ではありませんでした。
仏陀が説いたのは、極めて哲学的な「善き生き方」。
つとめはげみ、宇宙の真理を識(し)り、生きながらにして魂の
高みの極致に至る(梵我一如(ぼんがいちにょ)というらしい)
ことを悟りとしており、肝心の涅槃の彼方については、終ぞ
明言しませんでした。

もう一つ。仏陀さんは、生前既に文字が存在していたのに
「書くと(教えが)"自分"から離れる」というよく分からない理由で、
説法内容を文章化することを許しませんでした。
その後、見解の相違で宗派が分裂したことを慮るに、この拘りこそが
かえって混乱の元を作っちまった気がしないでもありませんが。
このため、彼の教えは、しばらくの間弟子の間で口承記録として
語り継がれてきました。そりゃ記憶だけが頼りなうえ、
聞く人によっては解釈も異なるでしょうから、教えの内容が
途中で形を変えてしまうのは必然でしょう。
そうして漸く仏典が活字としてまとめられたのは、
なんと仏陀の死後200年程経ってから。
その頃にはいくつもの宗派が生まれていました。
さらに時代が下り、ようやく日本に仏教が伝わったのが6世紀中ごろ。
仏陀が涅槃に入ってから、およそ千年もの時が流れていました。

この時伝来した仏教の系統は「大乗仏教」に分類されるそうです。
『出家して厳しい修行に耐えた人だけが悟りを得られるのではなく、
頭を丸めなくても、きちんと信心をもって精進すれば、
みんな平等に救われる(悟りに導かれる)よ。』
一般民衆にも平易な解釈で、イージーモードといったところ。

『生きることは大変で、時に苦しいものです。
前世からの業、今生の次に待つ輪廻…
その終わることのない「生老病死」の繰り返しは、
悟りを得ることで漸く解放(解脱)され、
涅槃に至ることができるのです。』

いつしかこの教えは、
多くの人に受け入れられながら時代を渡るうちに、
生きる上での心の支えに留まらず、「浄土(あの世)への憧憬」へと
変遷していったのでした。今日の日本の仏教の在り様が
そんな性格を色濃く持つのは、こういった経緯があったからです。

さて解説が長くなりました。
話を戻します。



↑大仏殿から法華堂へ至る参道。参拝者他に誰もおらず。




法華堂は、もともと聖武天皇と光明皇后が、長男だった
基皇太子(満2歳没)の菩提を祈るために建てられた山寺でした。
不空羂索観音も、当時の記録から、彼らが存命中だった
西暦740年代に作られたことまでが凡そ判明しています。
既にこの世にいない我が子への想いを両親から託され、
以後千三百年以上もの間、我々衆生のために祈り(投網をし)
続けてきたわけです。

ここでちょっとした疑問が残ります。
他にもたくさん菩薩さんはいるのに、
なぜ羂索観音だったのだろうかと。

前述の通り、彼?は救いの力にかけてはピカ一の実力を持つ観音様です。
数多の苦しみを抱える人々に対し羂索観音の力強い救済を説くことで、
もしかしたら、光明子さん夫妻は、我が子を亡くした悲しみも一緒に
昇華したかったのかもしれません。
…つまり、それくらい死別の悲しみが深かったということ。



↑実際はすごく見えにくいのですが、
羂索観音の合掌する手の中には、直径3cmほどの水晶玉が光っています。
人々に惜しみなく与える慈悲の象徴と言われているとか。
(絵はがきの写真より)


救済とは、業の浄化、生きる苦しみからの解放、悟りへの導き。
解放とは、輪廻の終わり、涅槃の境界線への到達。

それらすべての根底にあるのは""です。
人間の、死に対する悲しみや恐れは今も昔も変わることがありません。
より善く在りたいという魂の願いは、まだ見ぬ彼岸の美しい情景を次々
生み出し、今日の祈りのかたち、如来や菩薩の姿になりました。

法華堂に安置された仏像たち、色褪せた金箔の鈍い輝き、
仄暗いお堂の中で薄く煙を上げる香…私がここで感じたのは、
その仄暗い静寂の中に滔々と横たわる、深い死の気配だったのです。

その身の裡に"死"を抱えながら、時を止めて"生きて"いる仏達。
そして彼らが住まう異次元の空間。その渾然とした不可視のゆらぎは、
数えきれないほどの祈りを携え、これからも迷える人々を
静かに見守っていくでしょう。
白布の奥深く、暗い森のように。




↑白布薬師堂へ至る道。ちょっと加工してます。




今日の一曲

"絞首台”~「夜のガスパール」より

Maurice Ravel/辻井伸行(2016)

残念!リンクがない!
Apple Music使用可の方はぜひ聴いてみて!

"管弦楽の魔術師"の異名を持つ20世紀の作曲家:
モーリス・ラヴェル。有名なのは「ボレロ」やバレエ
「ダフニスとクロエ」ですが、初期の傑作と言われている
作品の一つがピアノ組曲「夜のガスパール」です。

ルイ・ベルトランという詩人が書いた同名の詩集から
三篇を抜粋して音楽化したもので、今回は2曲目の
「絞首台」をピックアップしました。

(冒頭に挿入したのは、原作である詩篇「絞首台」の
一節です。あ、ファウスト入れるの忘れた。)

「ガスパール」は一応人の名前です。
ガス管パーツじゃないよ!
キリストの誕生を予言した東方三博士(メルキオール・
バルタザール・カスパー)のカスパーを指します。
聖書では、カスパーは未来の受難である「死」を象徴する
老人の姿をした賢者とされています。

しかしベルトランは、そんな彼を敢えて死神的な
ダークサイドとして描写したのです。

曲中では、終始重めのペースで鐘のような音が
バックで鳴り続けています。前後の2曲と比べても
非常に暗ーい曲なんですが、そこは流石のラヴェル。
神秘的な和音展開で、色褪せた死への憂いに、
甘美なまどろみを見事に重ねています。

同じくラヴェルの作品である
「亡き王女のためのパヴァーヌ」とは全く趣の異なる
メメント・モリ。年月を重ねた御堂の、どこか憂いを
帯びた仏像たちの醸す、この世ならざる気配によく合います。
法華堂の裏BGM…?!

2022.05.07

マスクで隠していた"椎茸"




桜満開だった白布のGW。おかげさまで期間中は連日満室御礼でした。
ここ数日のニュースを見聞きするかぎり、コロナ禍も今や日常の一部に
どんどん消えつつあるなと感じます。

たとえGW後にコロナの感染者が多少増えたとて、
誰かを責めるべき要素は何一つありません。
いつまでもじっと家に閉じこもっていられないし、
たまには外に出て美味しい空気を吸いたいじゃないか。

一度始めた習慣はそう簡単に切り替えられないのかもしれないけれど、
屋外にいるときぐらい、いい加減マスクは外してもいいんじゃないかな。

さて、春先に宣言した「エッセー書籍化」の布石もあり、
私ただ今、SNSでのブランディング強化中です。
といっても全然大したことをしているわけじゃありません。
主にTwitterで試験的に日々呟いては反応を確かめ、
少しずつ文章力のブラッシュアップに努めています。
買い物メモみたくただ気軽に呟いていられればいいんですが、
PR要素を入れなければいけないため、あまり表に出たくない
元祖猫派穴倉派な私にとって、これがなかなかの苦行。
フォロワーさんの数は増えると嬉しいですが、
繋ぎ止める力はないに等しいので、あまり気負わず、
地道に努力を続けていこうと思っています。
その中でも飛びぬけて四苦八苦しているのが、
SNSでの顔出しです。





「認知度を上げたきゃ、HPでもチラシでも積極的に顔を
晒しましょう。イメージでもいいから覚えてもらいなさい。」

というのがコンサルさんの弁。
はい、ごもっとも。耳が痛いでござります。

しかしまぁ、このアドバイスがなかったら、顔出しなんて
絶対に使わない手段ですね。本当に心が折れるから。
「なんでそんなに顔出しが嫌なの?」
家族にも友人にも幾度となく不思議がられました。
自意識過剰だとも。それは違う。絶対違う。
理由なんて一つです。
そうね…はっきり言うとかえって恥ずかしいのですが、
「顔面にカット椎茸(鼻)が乗っている」…と
いえばわかりやすいかな?え、なんのこっちゃ?
そう、鼻の形。実は子供の頃からコンプレックスでして。
どうも人様に見せるのが恥ずかしかったのです。
他の方の多くはすっきりした柳の葉なのに、こちとら
顔面の中央に堂々と菌類が鎮座してやがる!なんて。
アラフォーのくせに今更アオハルか?!と笑われそうですが。
まぁ、私本人が勝手にそう思い込んでいるだけなんですが…
冒頭で「美味しい空気を吸いたい」なんて宣いましたが、
やっぱりずっとマスクのままでいいや(笑)

そんな、子供の頃からの妄想じみた劣等感を少しでも
克服したくて、筋トレをしたり、ボイストレーニングをしたり、
(このあいだNHK「バリューの真実」で放送していたアレ)
いっそ外見は諦めて中身を磨こうと、書道やら何やらと
必死にかじりついているのは、ここだけの話です(苦笑)




漸く本腰を上げて、主にPhotoshopで再び絵も描き始めました。
人物が致命的に描けない私が苦肉の策(?)で選んだ、
「いつか表現したいもの」のトレーニングのひとつです。
illustratorと並行していますが、あれやっぱ難しいわ…えしいちゃん。。
昔々趣味で描いて以来の取り組みだから、これまた長い道程になるなぁ…。
書道も絵もまだ臨書・模写の域を出ません。でもこれでいい。
いずれきちんと技能を習得すべく、少しずつ頑張ります。
(ちなみに↑の元絵は俵屋宗達の「舞楽図屏風」(部分)です。)


とにかく、西屋のこと、自分のことをもっと
知ってもらわにゃ何ひとつ始まりません。
自信ないなんて言ってられない。
悩みに悩んで、漸く腹を括りました。
鼻はもういいや。いっそ椎茸を食べまくって
コンプレックスを乗り越えるからー--!!!

毎回はきついので、頻度はそれほどでもないかもしれませんが、
Twitterメインでたまーにポロっと私(実物)がいたりします。
どうか鷹揚に見守ってやってください。
このHPのトップページに各SNSのサムネイルが表示されているので、
UPすればすぐ分かるかと思います。ひー(笑)

今日の1曲
「海を見ていた午後」

荒井由実(1974)


荒井由実のセカンドアルバム「MISSLIM」から。
この中には映画「魔女の宅急便」のEDである
「やさしさに包まれたなら」も収録されていますが、
この「海を見ていた午後」を初めて聴いたときの
インパクトは絶大でした。ちょっとほんわりしたテンポ、
夢の中のような旋律。そして綴られる歌詞。どれをとっても
情感溢れていて、あっという間に世界に引き込まれます。

ソーダ水の中を 貨物船がとおる 
小さなアワも 恋のように消えていった 


デビューして間もない若さでこの表現力とは。
爪の垢を煎じて飲みたい。

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