若女将コラム

日々西屋と山を駆け巡る湯守兼女将による、自由奔放すぎるコラム改めエッセーコーナーです。
人生は奇想天外に生き抜こう。趣味のことや日々思う事etc...ほぼ西屋に関係ない話題ばかり載せています。

大切な"今"を連れて、いざ千年の都へ


グレーのフキダシに淡々と打ち込まれた、
スマホのショートメッセージ(現物)。

一言一句、ここまで凝視したのは初めてかもしれません。


先日、私の腕時計が突然狂いだしました。
日付と曜日が、存在しないカレンダーのどこかを頑なに示し、
文字盤脇のモード切り替えボタンも一切反応を示さなくなりました。
どこに行くにも腕時計装備が欠かせない私にとって、正確な時刻を
確かめる術を失うのは片腕を落とされたも同然です。
もちろん一大事。
すぐに、腕時計を購入した市内の三原堂さんに持ち込みました。
そして待つこと数日。送られてきたメッセージが、冒頭の通りです。

三原堂さんは、人生で初めて眼鏡を求めた時から何年もお世話に
なってきたお店です。仕事のきめ細かさはもちろん、
接客にかける姿勢もとにかく丁寧で、お店で世間話をしながら
過ごすひとときはひそかな癒しともなっています。
今回故障したのは、その三原さんのイチオシで求めた腕時計でした。
だから迷いはありませんでした。
私はすぐに返信しました。

「修理をお願いいたします。本当の寿命が来るまで
肌身離さず身に着けたいと思います。」



↑件の腕時計。たまたま故障前に撮った一枚。
結局メーカーに入院することになりました(泣)
腕の青タンはじゅかしー。湯守作業中に梢から落ちてきた氷塊のせい。

「中身をいじるどころか総とっかえときたら、ほぼ買い替えと
一緒じゃないか。それでも直すんだ?」事の次第を告げた私に、
主人は特に感慨を抱くこともなくそう言いました。
そこまでお金がかかるなら、いっそ買い替えてもいいんじゃないの?と。
むべなるかな。
今どき、時間を確かめる機能を持った代替品(なんなら腕時計より
はるかに高機能)なんていくらでもあるし、純粋に道具でいいなら、
さっさと手ごろな新品に買い替えるのもアリだったでしょう。
でも、違うんだ。
モノがモノ故、修理金額がある程度嵩むだろうことは最初から
予想していました。大事なのはそこじゃありません。
うまく言葉では言い表せませんが、私は、その時計だから手元に
置いておきたいと思ったのです。365日、休むことなく一緒に
過ごしてきた苦楽の日々の記憶は、バンドのそこかしこに細かな
傷となって刻まれています。
たとえ一番大事な心臓部が入院先のメーカーに引き取られて
しまっても、「私の時計」のまま手元に戻ってきてくれると
いうのだから、十分修理代を払うに値するというものです。

その感情を表す言葉を知らなくとも、
自分の"今"にいつも寄り添ってくれる大事な時計。
そんな相棒を連れて、私は京都へ行くと決めているのだ。


というわけで・・・・
ついにカミングアウトするときが来ました。


私事かつ唐突ですが、今月末から約一週間、私は子供達2人を
伴って、奈良・京都へ旅立ちます。

…えー、色々ツッコまれる前にとっととフラグ回収します。

なぜ京都。 まぁ聞いて。

当初の目的は「日本庭園に強い憧れを持つ息子に、そろそろ
進路を見定める上で、将来へのヒントとなる"本物"を
春休みの間に体感させる」ことでした。
そして、私。書道(かな文字)を学習するうちに、
「古典文学が数多く生まれた地に赴き、千年前の人々が見た
景色や心に触れてみたい」という強い願いが去年からふつふつ
湧いてきたこと。
2つのベクトルの先が京都にぴったり重なったわけです。

もひとつ回収。

なんで今。 まぁ聞いて。

ご存じの通り、今年に入ってから様々不穏な出来事が続き、
かなり世の中騒然となっております。
子供達の通う学校の先生も、春休みに入るのを前に
「(コロナ的な意味で)不要不急の遠出はまだ望ましくない」と
告げていたことも、正直快く思わない方もいるであろうことも、
よーく理解しています。

さればこそ私は問い返したい。
じゃあいつなら良いのかと。
コロナの国内新規感染者数が限りなくゼロになってから?
世界に平和が戻ってから?
そんないつ来るとも分からぬ日を延々と待っていたら、
次の冬が来る前に国内観光地の多くが再起不能に陥るだろう。

1933年、世界恐慌の傷跡も癒えない混乱の最中、アメリカ合衆国
第32代大統領に就任したフランクリン・ルーズベルトは、
就任演説でこう述べました。



私の好きな名言の一つです。
(敬意をこめて画像ごと作りました。データ元はウィキペディア。)

暮らしに余裕がなくなると、人は大抵必要としなくなったものから
切り捨てていきます。そうでなくとも、これだけ暗いニュースが立て続けに
報道されれば、経済事情がどうであれ、晴れやかに観光しよう、なんて
気持ちだって湧いてこないと思います。前回も同じようなことを書きましたが。
ならば温泉旅行は?
かつては行楽の代名詞のひとつだった温泉の旅ですが、今や世の中の煽りで
下火モード。このまま状況が好転しないまま、
やがて、要らないものとして忘れ去られてしまうのだろうか?

私はふと考えました。
西屋、そして白布の温泉を愛おしく思う気持ちに一切の偽りはありません。
宿の灯が消えない限り、湯守として最後までこの地を離れない覚悟です。
しかし、コロナ禍が社会の在り様を大きく変えて約2年。
あまりにも狭い世界に閉じこもっているうちに、
西屋と私の何たるか、
何を守り、伝えるべきなのか、
お客様(特に常連さん)は何を求めて幾たびもここを訪れて下さるのか。
いつの間にか、きちんと言葉や行動で表現できなくなっていたことに
気が付きました。

私にとって温泉とは何か。旅とは何か。もとい、人生とは何か。

故障して手元から離れて初めて、腕時計への愛着を再認識したのと
多分同じです。当たり前のように近くにいすぎて、見失ってしまったもの。
とても大事なもの。

ならば一度、思いっきり今いる場所から遠く離れてやろうじゃないか。

人生はよく旅に例えられます。
2泊3日の物見遊山ではありません。
まさに、生まれてから死ぬまでの長い長い旅です。
目指す目標に至るまでの道のりの、なんとややこしく遠いこと。
その旅の大義を、極端な話、一行で言い表そうというわけです。
多分すぐには見つかりません。
今だって、頭の中がまとまらない言葉の切れっ端で大渋滞です。

それでも、私は答えを見つけると決めました!!
そのヒントを得るためのセルフ・バシルーラだよ!!!

つきましては、誠に勝手ながら
3月29日~4月6日迄、西屋は1週間休館日(日帰り入浴のみ営業)と
させて頂きます。完全留守ではありません。主人が残ります。
誤解なきよう!決して置いてくわけじゃありませんからね!!!
本人の意向です!!!!!!!

もちろん、スタッフのみんなにも主旨は伝えました。
休みの間は家族と団欒するもよし、
なかなか帰れなかった遠い実家に帰省するもよし、
それぞれの気の向くままに、ゆっくりと自分を見つめ直す
大切な時間を過ごしてほしいと。

今回は、今までの人生で一度も経験したことのない旅のかたちに
するため、ど素人根性で旅の計画を立てました。
旅先の土地勘が全くないのはもちろん、利用する交通機関も、
宿泊先も、敢えて今まで選択したことのなかった手段を取っています。
お客様を普段迎える旅館の女将が、経験値ゼロのまま
子連れで1週間の旅に出る。すでにハプニングの予感…否!
絶対得難い経験になると確信しています。
出発まであと約10日。
身体を壊さないように十分注意して、その日を待ちます。
だから…早く帰ってこい…私の腕時計…(汗)。

※今日の一枚

毎度おなじみ、その日の気分が全てを支配する
闇鍋ジャンルコーナー。

Symphoney No.8'The Journey'

Einojuhani Rautavaara
New Zealand Symphoney Orchestra & Pietari Inkinen(2008)


↑リンク先はヘルシンキフィル版です。全曲ぶっ通し。

このコンテンツでも何度か紹介したことがある、
フィンランドの作曲家E.ラウタヴァーラ。交響曲第8番は、
彼が生前最後に作曲した交響曲です。
副題は"The Journey"。直訳すると「旅」ですが、
ググってみたところ、英語圏では、Trip < Travel < Journeyと、
旅する期間の長さによって使われる単語が違ってくるそです。
この交響曲のテーマは、ニュアンス的に「人生(=旅)」という
意味合いが強いように感じます。緩急の付け所が面白く、
なぜか第2楽章がFeroce(伊:荒々しく)。ちょっと焦ってるというか、
若木の至りを表現したかったのかしら。

神秘的ながらも解釈しやすい展開、
オーケストレーションの美しさはさすがラウタヴァーラです。
そんでもって最終章は初っ端からやたらカッコいいです。
もはやどっかのヤバい映画のラストシーン(?)みたいに
カッコいい。まさに旅(語彙力)。できれば4楽章、
コバケンじゃないけど最後の30秒だけでもいいから聴いてみて。

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