若女将コラム

日々西屋と山を駆け巡る湯守兼女将による、自由奔放すぎるコラム改めエッセーコーナーです。
人生は奇想天外に生き抜こう。趣味のことや日々思う事etc...ほぼ西屋に関係ない話題ばかり載せています。

鳥小屋の扉 3(完)

 


まだ年越し前ですが、
クリスマス寒波でトータル1m以上雪が積もった白布では、
早くも上流の沢で表層雪崩が発生しました。
そりゃ毎日50cm前後雪が降りゃ何が起きてもおかしくはない。
当然お風呂用の山水もバッチリ止まってくれました(現在は復旧)。
ひと冬のうち一度は起きると思ってはいたけど、こうも早い到来とはな…!






↑どこが沢だ?そう思うだろう。見るんじゃない感じるんだ!

翌日出向いた三十三観音は完全に雪原になっていて、
取水口も沢もどこにあるのか分からなくなっていました。
うん、これも通常運転だ。息子と2人でせっせと掘りましたとも。



はい堀った。

年末年始も寒波が来るという予報が出ています。どうなるかなぁ。
人の都合でどうこうできる天気じゃあないことは分かっているんですが、
凡俗だからつい願ってしまいます。
もう少し穏やかな天気のまま年越しさせてくれと。





さて、本題です。

私がまだ彷徨える独身だった()頃、
一時理由あって老人保健施設に勤めていたことがありました。
その施設は病院系列だったためか、老健といいつつ終末医療機関的な
性質がとても強く、介護度が重く自宅も病院も滞在が困難だったり、
看取りの段階まで病が進行したりした高齢者の皆さんを積極的に
受け入れる、いわゆる「終の棲家」のような所でした。

そこで私は、人生初の看取りを経験したのでした。

彼女は、百歳を目前に控えた超高齢の方でした。
地元では知らぬ人のいないほど有名なお寺の女性住職さんでしたが、
初めて会ったときはほぼ寝たきりの状態で、老衰のため言葉を
口にすることも、覚醒することさえもありませんでした。
申し送りの時点で「余命持って約一週間から10日」と
かなり今今な状態であることを伝えられていたので、
きっと生涯その声を聴くことはなく、遠くないうちに見送る
ことになるのだろうと思っていました。

ところが、それから2~3日後のある真夜中、たまたま夜勤で
私が各居室を巡回していた時でした。
なんと、彼女がぱっちり目を開けて、無言のまま、
天井をじっと見つめていたのでした。
時刻、およそ午前1時。
そりゃーもう口から心臓が飛び出るほどびっくりしました。
お休み中の皆さんをいたずらに目覚めさせないように特別に
用意された、控えめにしか灯らない懐中電灯をその場で
落とさなかった私を誰か褒めてくれ。

さて、巡回の真っ最中である。
じんわり手ににじむ汗を感じつつ、深呼吸と共に少しずつ
気を取り直して、彼女の様子をよーっく見てみると、
無意識なのか、彼女はわずかに首を左右に振っていました。

あれ、もしかしてどこか具合が悪い?
入所中の皆さんに異変があれば、すぐに看護師に伝えなければ
いけません。ほんの少し怖い気持ちを腹の奥にねじ込んだ私は、
恐る恐る近づいて、とにかく驚かさないよう声のボリュームに
注意しつつ「…〇〇さん、具合はいかがですか…?」と
話しかけてみました。

…どのくらい間をおいたか。
しばらくして、彼女は首を振るのをぴたりと止めました。
そして、目線は天井を向けたまま、
徐(おもむろ)にこう尋ねてきたのでした。

「…さて、鳥小屋の扉は開かれているか?」

…ん?

…ん"ん??

今なんて??!!

なんともオーラのある、落ち着いた声。
やや低く掠れてはいたものの、「お迎え」が間近に迫った
人の声にしてはあまりにもしっかりした声量だったので、
一時的に彼女が目覚めたことへの驚きよりも何よりも、
彼女の言わんとする言葉の意味にすべての意識を持って
いかれてしまいました。

鳥小屋…ニワトリか?
いや何か違う。
多分、そのものの鳥小屋という意味ではなく、
仏教的な禅問答に違いない。なるほど分からん。
しかしこれは対話しなきゃいけないやつだ。
誤魔化さず、きちんと答えなきゃダメな問いかけだ。

数秒間ほど必死に頭を働かせて、私はとっさに答えました。

「はい、ちゃんと開いていますよ。」

すると、彼女は視線だけゆっくりこちらに向けて、
わずかに目を細めました。「そう…それでいいんです」
最初の声よりもやや柔らかい、何となくホッとしたような声でした。
表情は殆ど変わらなかったし、眠っている姿しか見たことが
なかったから確証はないけれど。
たぶん、その時の彼女は微笑んでいました。

そうしてどのくらい、無言のままそこで突っ立っていただろう…
とにかく滅茶苦茶心臓がバクバクしていたのは覚えています。
その後のことはもうあまり覚えてはいません。
結局そのまま、再び意識の奥へ眠りに入った彼女を見届けて、
布団をかけ直して居室を出たような気がします。

その数日後、
医師の見立てに違わず、彼女は静かに天寿を全うしました。
何という運命の引き合わせなのか、彼女が身罷ったのは、
これまた私の勤務時間中のことでした(日勤)。
上司である看護師と一緒に未だほんの少し温かい身体を
清拭しながら、ずっと件のやり取りが頭の中を巡っていました。
その後僭越ながらエンゼルメイクも施したしだいですが、
すべての処置を終えた後もなお、彼女は時間を進めながら
眠っているようにしか見えませんでした。
細身でやさしげな目元、凛とした姿はまさに菩薩様。

×時×分 チェーンストーマ呼吸、バイタルほぼ計測不能
×時×分 バイタル停止、昇天す
     エンゼルメイク施し、×時×分、退所

…と締めくくられた彼女のカルテを読んだときの、
あの胸をかき毟りたくなるような言葉にならない感情は
何にか例うべき。全く赤の他人同士だったわけですが、
私にとってあまりにも貴重な経験となりました。







…あれから十数年が経ちました。

今でも時々思い出します。
あの鳥小屋は一体何を意味していたのだろうかと。
繰り返しになりますが、あの時彼女は長い昏睡から目覚めた
ばかりでした。でも、声質や言葉の内容からして、とても
夢現状態だとは思えませんでした。

なぜ、扉が開かれていることが是だったのか。
なぜ彼女は最後に微笑んだのか。
そも「扉」とはいったい何を指すのか。

仏教の思想に頼らなくとも、およそいろいろな解釈ができます。

人生もっと自由に生きなさい、とか、
固定観念に囚われてはいけない、とか、
あらゆる執着を捨てよ、とか。

その本当の意味への問いかけは、私のその後の
人生の道程で折々形を変えながら、ずっと心の奥に
燻ぶっていました。

…そして、ようやく最近、ホントに最近、気づきました。
これは私にとっての「香厳撃竹()」だったんじゃないかと。
それも、一発覚醒で終わりじゃない、長い長い悟りの過程に
導く尊いきっかけだったのだろうと。

☆香厳撃竹(きょうげんげきちく)…
中国唐代の頃に生きた香厳という禅僧にまつわる故事。
才能に恵まれていた香厳は、ある時師匠の問いに答えられず
大きな挫折を味わいました。自分に失望した彼は地位や権威を
捨てて、敬愛していた昔の僧侶の墓守になって、毎日お墓掃除に
明け暮れていました。ある日、箒でいつもの掃き掃除をしていたら、
たまたま弾き飛ばした瓦のかけらが近くの竹に当って、
メチャクチャイイ音が鳴ったそうな。カーンとか、コーンとか。
そこで彼は大悟!
悩める自分に気づきとなる言葉を与えてくれたかの師匠に、
心から感謝したのだった!!
…という一見どこにオチがあるのかよく分からない内容ですが…
分かりにくいかな…。
かいつまんで言えば、自分におごらず真摯に問い続ければ、
人生のどこかで"撃竹"に出会うって話よ。…多分!


前回のコラムで、過ぎた期待はやがて"価値観の強制"につながる、
みたいなことを書きました。親子とは言えそもそも他人。何もかも
理解しあおうとすることは不可能だというのに、理解できないが故に
お互い苦しんでいた等々。
私は、思いがけない墓参りやそんな息子との一件その他諸々を通して、
いろんな意味で「自分の中のこだわり・執着を手放す」ことの大切さを
少しずつ教えられてきました。

鳥小屋の扉のエピソードは、
あるべきままに生きよという彼女からの深遠なメッセージだったと、
今では思うのです。

「鳴かぬなら××××ホトトギス」って有名な例え文句がありますね。
信長の如何にも短気なアレ、
秀吉の「実現するまで回り道はしねぇ!」生き方、
家康の「でも最後に勝つのは俺だから」タイプ…
ググってみると、各々有名人に当てはまる色んな亜種?があるようで。
きっと世の中、人の数だけ××××があるんだろう。そして、人ひとりが
生きている間にも、何度だってその中身は変わっていくんだと思う。
私も過去××××にいろんな言葉をぶっこんで、七転八倒しながら
生きてきました。総じてろくでもない××××が多かった気がするが…
…今更だな(爆)。
大概苦しかったし、挫折してから立ち直るまで時間もかかったし、
なんなら今歩いている道だって平坦じゃありません。
けれど、変えることのできない過去を今更悔やんで何になろう。
失った時間を惜しみ、自分のダメさを責めて何になろう。
悔恨も執着も捨てて、みんなまとめて赦してやってもいいじゃないか。
枡野さんの本にも書いてありました。解き放つことの大切さを。

だから、
「鳴かぬなら、扉を放とうホトトギス」。
今の私は、こう繋ぎます。

もしも鳥小屋が家だとする。居心地がいいならその場に留まるのもいい。
だからといって、別に置かれた場所で鳴かなきゃいけないわけじゃない。
逆に「自分の鳴く場所はここではない」と思ったのなら、より自分が
納得できる場所を探して、心の赴くままに飛んで行ってもいい。
自分自身がそうであるように、家族や他人に対しても、扉は開かれている
べきなんだと思う。誰しもが、全の中の個でありながら、決して
埋もれているわけじゃなくて唯一の個でもあるわけだから。
心がどこまでも自由であることは、きっとこういう境地なんじゃないかしら。

子供達よ、卑屈になることなく、胸を張ってあるがままに育つが良い。
扉に鍵なんてかかっていないから。いつでも開け放って自由に
飛び立つがいい。

自由に、穏やかに、誰とも比べない自分のままで、
みんなのびのび生きていこうじゃないか。

今生の終わりまで。



今日の1曲

"Return To Innocene" ~The Cross of Changes

ENIGMA(1993) 



(↑公式ようつべPVへゴー!)

前作MCMXC a.D.(サッドネス・永遠の謎)で
グレゴリオ聖歌ブームを世界中に巻き起こした
エニグマの2ndアルバムから。
Return to Innocenceは作中唯一シングルカットされた
曲ですが、これがまたミリオンヒットしました。

この度のテーマの締めくくりにドストライク(私が)。
とにかくいい歌詞なのはもちろん、死から誕生まで
とある男性の一生を少しずつ時間を巻き戻しながら
展開されていくPVも秀逸なのでぜひ見て聴いてみて~。

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