若女将コラム

日々西屋と山を駆け巡る湯守兼女将による、自由奔放すぎるコラム改めエッセーコーナーです。
人生は奇想天外に生き抜こう。趣味のことや日々思う事etc...ほぼ西屋に関係ない話題ばかり載せています。

鳥小屋の扉 1




先月、つっても初雪が降ってくるよりさらに数日前のある日
(あらぁもうだいぶ前だ…)のこと。

ふと思い立ち、母の眠る墓を一人たずねました。
県を跨いで他家に嫁いだ身乍(なが)ら、実家から軽く日帰りで
行って来いできる距離に住んでいるのは僥倖、といえばいいのか。

で、突然の気まぐれを起こしたきっかけは、まー…あれだ。
恥ずかしながら、ちっとばかり実父と喧嘩をしましてね。
その折に不意打ちで喰らった、本当ならスルー出来るはずの、
言った本人からしたら何気なく発した一言。
何故かそれがひどく尾を引きまして。まるで遅効性の毒のように、
どうにも後からじわじわ骨身に堪えてきたわけです。

「(お前のせいで)あの世でお母さんが悲しんでいる」。

…父ちゃん、ええぃオヤ爺。
なんだYO、その聞き捨てならん捨て台詞は。
霊感もないのに故人の想いを勝手に代弁するとはどういう了見だ?
とか、
それってどう考えても傷心の我が子に投げて寄こす言葉じゃなくない?
いっそ年甲斐もなくタコ殴り(物理)してくれた方がはるかに
ダメージ少なかったと思うんだけど!
とか、
真面目にツッコみたいことは山ほどあったんですが。
ちょっとショックがデカかったのか脳みそ処理落ちしたらしく、
その場では何のリアクションも出来ませんでした。

…しばらくして出てきた結論が「そうだ、墓行こう(爆)」。

かくして休日になるや否や、半ば縋る様に霊園に足を運んだ次第です。
勿論ほぼ手ぶら。持ってきたのはなぜかライターだけ。
待て待て、花どうした花。・・・はっ!
ここでようやく脳内回路リカバリー。
なんだよーこれじゃお墓掃除はおろかお参りも何もできないじゃん!
すぐさま近くのスーパーに引き返して必要物品を現地購入しましたとさ。

(霊園のそばのスーパー、その立地から彷徨える参拝者のニーズを
よほど把握しているのか、お墓参りグッズがやたら充実していて
ちょっと戦慄、いや感動した…)

線香は個人的に一番好きな白檀の香りを選びました。あの甘く高貴な
香りが良い。花は高価なものではないけれど、種類が多くてとにかく迷い
そうだったので、「今はこの色の気分(直観)」に任せてチョイス。
今は良い時代になったね。どこのスーパーでも基本的に季節問わず
色とりどりの仏花が売られているおかげで、思い立ったらすぐお花を
供えることができますもんね。
これ、世界共通なのかな?
それとも日本独自の慣習なのかな?
都会の皆さん、お近くのスーパーでも仏花って売ってますか?
考えたことありませんでしたが、こうして手軽に故人のための花を
買い求めることができるということは、盆や彼岸といわず、
日々の生活の中で、折々死者に思いを寄せる人が絶えることは
ないという証左なのでしょう。
話それた。
次回は蝋燭と雑巾とたわし、あとは…そうだな~、
雑草を毟るための軍手も用意して、一式まとめておくか。

・・・・

こうして再び墓前に戻ってきた私は、黙々とお墓の周りを一通り
きれいにして、花器を洗い、漸う新しい花を供えた後、立ち上る線香の
幽玄な香りが青空に溶けていくのを感じながら、しばし手を合わせました。




(↑暗ーい写真でごめんなさい。逆光だったんだよ(汗))

「お母さん、会いに来たよ。まーたくだらない親子喧嘩しちゃったよ。
きっと呆れているだろうね。てか親爺の言ったあれ、ガセだよね?
あの性格もう少し何とかなんないかな?諦めろ?…やっぱダメかー…
…祖父ちゃん、書道まだまだだけど頑張ってるよ。箪笥の中の古い手紙
(ラブレター)勝手に読んでゴメンね。私も毛筆で手紙書き始めたよ。
…祖母ちゃん、生前会ったことがない嫁ぎ先のご先祖様ばっかりのお墓に
結局お母さんのお骨を納めたけど、そっちはどう?みんな穏やかな性格
だったっていうからきっと仲良くやれいると思うけど、くれぐれも
お母さんのことボッチにしないでねetc(以下略)…」

墓前に向かうと、心の中だけ饒舌になる不思議。
どれほど語り掛けたか…

ふっと見上げた空の、あぁなんという深い青さ。気が付けば、
あれほど荒れ狂っていた心がいつの間に解けるように
穏やかになっていました。



(やっぱ逆光だと暗いな!ビルの谷間に見えなくも…ないか(汗))

何と言い表したらいいのかこの心。
実は一人で墓前を訪ねるのは初めてでした。そして、これほど離れがたいと
思ったのもこの度が初めてでした。改めてこの場所がもたらす
思いがけない"癒し"に触れた瞬間でした。



墓といえば、個人的に思い出す印象的なエピソードがあります。

エピソードというか、高橋留美子原作「犬夜叉」のワンシーン。
主人公の犬夜叉が、かつての想い人だった巫女桔梗の墓が邪な妖怪に
暴かれたと聞き、仲間と共に現地へ調査に行くというわりと序盤の一幕です。
道すがら、犬夜叉は「死ねば土に還るだけの者のために、なんで後生
大事に墓なんか設えるんだ、人間のやることは理解できない」
みたいな疑問を口にします。
(とか言ってる犬夜叉も実は生母の墓をしっかり建てて花を供えて
いました。映画版で。)
するとそれに対して、桔梗の妹で既に老齢となった巫女の楓が
こう答えたのでした。「墓は、遺された人の思いなのだ」と。

「大切な人を亡くした悲しみにとらわれながらも、故人の分も強く
生きようとする。しかし人の心というものは、そう容易く逞しくなれる
ものではない。時に傷つき折れるもの。
墓は、そんな者たちの心のよりどころなのだ」と。

ベテランの声優:京田尚子さんの温かみある声で死者への思いを語る
この場面は、実は原作の漫画にはない描写でした。
でも、ものすごく印象的でした。

母の死を経た今なら尚更この言葉が身に沁みます。
平和な日々の中に津々と降り積もる、遺された者の寂寞。
それが一縷の希望と混ざり合って、さざ波のように心を打ち付ける
かすかな傷み。
私は無宗教の人間なので、墓そのものに魂は既に無いと考えています。
しかし、墓の中には確かに、かつて生きていた大切な故人の骨が、
その人の生きた証が収められています。
墓に来ることで、大切な人がこの世にいない現実を改めて
重く受け止める一方、ありありと思い出すわけです。
生前の姿を、かけてもらった言葉を、手渡してもらった温かい気持ちを。
時には、記憶の彼方に忘れていたそれらの断片を。
遺影の中でしか見たことがない先祖もまた、遠いまなざしを通して
悩みや苦しみを抱えた者を慰めてくれているのかもしれない。

お墓とは、お参りに行く所ではなく実は「会いに」行く場所、
だったのかも。そう思うと、すごく納得できます。

やがて心も晴れやかに、ひとしきり語り、祈りました。
この世とあの世を繋ぐ縁の者の安寧を。子供たちの幸せを。



【今日の一曲】


母の墓を訪ねた同じ日、少し足を延ばして、
前から一度行ってみようと思っていた三春町の滝桜も訪ねました。
白布温泉からは車で約2時間。




齢約千年、言わずもがな、かの有名な日本三大桜の一つです。
人生初の滝桜。そしてめっちゃ季節外れ。
県道わきにぽつんと佇む滝桜の周囲には、この日人っ子一人いませんでした。





近づいてみると、その大きさがよく分かります。
今は見上げる者もなく、静かな青空の下、滝桜はすこし疲れて
休んでいるように見えました。葉も落ちて、眠っているんだろうな。
でもなんだろう、すごく、優しい気配が伝わってきました。
生きているはずなのに、なぜか、先刻訪れた母の墓と同じ気配でした。
不思議だぁ。見ているだけで気持ちがぽかぽかするとは。
こんな包容力のある桜の木を、私は未だかつて見たことがありません。

そうか…この樹もきっと"お母さん"なのだろう。

そんなおおらかな滝桜のイメージに脳内ジャストフィットしたのが↓


"Oracle"

Michael Hedges(1996)


(ようつべでオラクル視聴!↑)


故マイケル・ヘッジスのオラクル。
ヘッジス8枚目のアルバムのタイトルにもなった1曲です。
ギターだけでなく曲中のフルートも彼の演奏。
ヘッジスは不世出の演奏技術を誇る凄腕のギタリストでしたが、
よくある「俺のド派手な演奏テクに酔いしれろ!~」タイプとは
真逆の存在でした。1曲1曲が丁寧に音楽として完成されていて、
ギターはあくまで彼の世界を表現する一つのツールとして、
複雑かつ色鮮やかな音色を紡いでいます。
オラクルは、私の特に好きな曲の一つです。
飄々とした風のようなフルートのメロディーに、どこまでも
深くやさしいギターの和音がほんと心地いい。
アコースティック版千の風。

マイケル・ヘッジスは、没後20年以上経った今でも
アコースティックギター界のカリスマとして世界中にファンが
います。今を時めく国内外のギタリストも、彼をリスペクトして
いるそうで、主人も実はその一人だったりします。
他にもエアリアル・バウンダリーズやドリーム・ビーチ等々、
挙げたらキリがないくらい名曲をたくさん遺していますので、
気になる方はようつべかApple Musicをチェキ!

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