若女将コラム

日々西屋と山を駆け巡る湯守兼女将による、自由奔放すぎるコラム改めエッセーコーナーです。
人生は奇想天外に生き抜こう。趣味のことや日々思う事etc...ほぼ西屋に関係ない話題ばかり載せています。

若女将エッセー

2021年12月

2021.12.30

今年も1年ありがとうございましたー!!


2021年も残すところあとわずかですね。
皆さんにとって、今年はどんな1年でしたか。



200年以上西屋の喜怒哀楽を見つめ続けてきた、古い西屋の神棚。
かつては神社や神棚に向かって願い事ばかりしていましたが、
今では何かを願うよりも、今この瞬間を感謝するだけで十分だと
思えるようになってきました。
年の劫かなぁ…。
自分の力では変えられないものとか、限りある命の儚さとか…
限界の向こう側にある、あまりに多くのものを深く知るようになって、
いい意味で欲がなくなったのかもしれません。

ソフィー「年寄りのいいとこは、失くすものが少ないことね」

だから多くは望まんのよ。
健康で、今生きていられるだけで十分幸せじゃないか。

そうだな…敢えて願うとすれば一つだけ。

神様、どうか来年も静かに微笑みながら、
私たちの行く末を見守って下さいませ。


…ケヒッヒヒヒ。
一昨日観に行きましたよ今冬公開の映画「呪術廻戦0」。
年末年始の繁忙期に入る直前(上映時間は夜)に滑り込みセーフ。
特典もらえたし会場はなんと一番乗りだった!!マジで(写真)!!
いやー面白かったよ。五条先生の素顔タイムはザ・眼福でしたわ…。
惜しむらくは、本編の前日譚だったため、すくな氏はじめ推しキャラの
登場がなかったこと。
でも来年があるよね!しっかり続編を匂わせる演出もあったしね!!
ボ〇ー・オ〇ゴンとか、京都版渋谷事変(?)とか…(笑)
期待しているよTV第二期!

私「楽しかったねぇ映画!いいねぇ映画!!冬休み明けの実力テストで
頑張ったらさ、またおうち映画会やってあげるよ息子!」
息子「うん!あ、でもさ、別にご褒美みたいなのがなくてもテストは
頑張んなきゃいけないよ。ちゃんとそこは分かってるよ」
私「おぉーさすが。目の前にニンジンぶら下げなくてもちゃんとやる
時ゃヤルのね。見直したわ!」
息子「えぇ……オレはブタか…」
「ウマだ!!!」

(↑帰り道での実話である。阿保だ―w)




さて、今年も結局コロナとの長いお付き合いになってしまいました。
ちっとも嬉しくねぇ。
オリンピックを経て確かに旅行気運は高まってきたようですが、
まだ世の中どう転ぶかは分かりません。おりしも子供達が進学&
閉校に伴って転校するという家族の人生の節目の年ともなりました。
だがそれはブレる言い訳にはならない!!
決して状況に流されてはいけない。
頼れるのは自分の気力・体力・精神力だけ!

というわけで、今年はいつも以上に色々なことに新しく
チャレンジしてみました。たとえば…

1.書道を始めた(ハマった)
2.息子が華道に入門した(ハマった)
3.庭のお手入れが地味に楽しい
4.筋トレが意外に楽しい
(今は雪との闘いが本格化しているため休戦中。)
5.支部で”世界”に目覚めた(特に特級呪物と器の2人)
6.ノリと勢いで耳の穴の数を倍以上に増やした
(ヘリックス(軟骨)デビューしました)
7.子供達が農協牛乳の大ファンになった

……うん、後半わりとどうでもいいな(笑)

特に書道。
現在NHK学園の初心者講座を受講していますが、
あと1回課題を提出すれば当該講座は修了になります。
文字通り基礎の基礎からのスタートでしたが、講師の先生の
励ましや丁寧な指導のおかげで、我流では見抜けなかった
癖が分かったし、毛筆ならではの書き方のコツも少しずつ
掴めてきました。自分の能力を奢らず、きちんと最初から
順序通り始めて本当よかった。
今月は、添削指導と共にワンランク上の講座の受講案内が
同封されていました。おお…ついに来た。
しかし、すぐ飛びつくわけにはいきませんでした。
実は、来春の早いうちにフロントスタッフの一人が辞めることが
分かっています。続けるにしても、この先仕事と家庭と趣味との両立
(いや、三つ巴?)がきちんとできるか正直悩めるところでした。

…でも、悩んだ末、結局続けることに決めました。

だってせっかく始めたんだもの。
途中でやめちまうのはあまりにもったいない。
子供達にも、「継続は力なり」を身を以て示すいいチャンスだしね。
ていうか、これほど分かりやすい”お手本”もないと思うんだけど!
そうだよ!何でも前向きに考えなきゃ!!

書道における最終目標はすでに決めています。
同じNHK学園の書道講座「書道・古典をきわめる かな」コースを修了すること。
そして、憧れの百人一首や古今和歌集のお気に入りの歌、私が心酔する
推しキャラのかっちょいいセリフをかな文字で書きまる…いつかきっと!!
(まだ言ってる(爆))

来年2月から新講座を始めたとして、途中辞めずに頑張って最短トータル2年。
よし、頑張れ私。


とまぁ、気持ちの面ではこの一年大きな波がありましたが、
終盤になって上昇に転じてくれました(…と信じます(笑))。
2021年、まずは終わり良ければ総て良し、ということで。

また来年も当コラム…いや、西屋をよろしくお願い致します☆彡 






今日の1曲と1枚 

「約束はいらない」

坂本真綾&菅野よう子(1996)


↑実際のOPアニメ映像と本人のLIVE映像のコンボでどうぞ!

テレ東でエヴァンゲリオンの次に放映された
「天空のエスカフローネ」のOP。
本作でアニメ初主演&OPの主題歌を歌い上げた坂本真綾さんが
懐妊したという嬉しいニュースを数日前に耳にしたとき、
「おめでとう!!!」の言葉と共に最初に浮かんだのがこの曲でした。
当時彼女は高校生(私とほぼ同年代)でしたが、かの菅野よう子女史が
惚れ込んだだけあってホント歌が上手くて、初めて聴いたときは
心底オッたまげたもんだ。
真綾ちゃん、1年の締めくくりにいいニュースをありがとう。
どうか末永くお幸せに…!



COVER~LOVE~

諏訪部順一(2021)


↑UNIVERSAL MUSIC JAPANの公式ようつべによる
ダイジェスト版です。

声優さんつながりでもう一枚。
今月リリースされたばかり、声優:諏訪部順一さんのJ-POP
カバーアルバムです。UAの情熱やウルフルズのバンザイなど、
私の青春ど真ん中に流行った曲を、キャラソンスタイルではなく
あくまで一人の歌手としてカバーした秀作。
純粋にポップスとして楽しめます。
彼も歌手経験は長いため、その歌唱力は折り紙付き。
ホントいい声だなぁ…。
しかしなぜか中森明菜さんの「愛撫」だけは、何回聴いても
「宿儺(生前姿)が生得領域でノリノリで歌っている」
イメージバグが勝手に沸いてくる。なぜ(笑)
曲中の「Fooo!!」が力強くて好き。そのまま炎の矢が
「流星になって」飛んでいきそう。

男女の音域差の都合で愛撫だけ原曲とキーが異なりますが、
どの曲もオリジナルの雰囲気をすごく大切にしているのが
よく分かります。そこに諏訪部さんの解釈が上手く乗って
アルバム全体を盛り上げてる感じ。
ベリグー!!!!

2021.12.29

鳥小屋の扉 3(完)

 


まだ年越し前ですが、
クリスマス寒波でトータル1m以上雪が積もった白布では、
早くも上流の沢で表層雪崩が発生しました。
そりゃ毎日50cm前後雪が降りゃ何が起きてもおかしくはない。
当然お風呂用の山水もバッチリ止まってくれました(現在は復旧)。
ひと冬のうち一度は起きると思ってはいたけど、こうも早い到来とはな…!






↑どこが沢だ?そう思うだろう。見るんじゃない感じるんだ!

翌日出向いた三十三観音は完全に雪原になっていて、
取水口も沢もどこにあるのか分からなくなっていました。
うん、これも通常運転だ。息子と2人でせっせと掘りましたとも。



はい堀った。

年末年始も寒波が来るという予報が出ています。どうなるかなぁ。
人の都合でどうこうできる天気じゃあないことは分かっているんですが、
凡俗だからつい願ってしまいます。
もう少し穏やかな天気のまま年越しさせてくれと。





さて、本題です。

私がまだ彷徨える独身だった()頃、
一時理由あって老人保健施設に勤めていたことがありました。
その施設は病院系列だったためか、老健といいつつ終末医療機関的な
性質がとても強く、介護度が重く自宅も病院も滞在が困難だったり、
看取りの段階まで病が進行したりした高齢者の皆さんを積極的に
受け入れる、いわゆる「終の棲家」のような所でした。

そこで私は、人生初の看取りを経験したのでした。

彼女は、百歳を目前に控えた超高齢の方でした。
地元では知らぬ人のいないほど有名なお寺の女性住職さんでしたが、
初めて会ったときはほぼ寝たきりの状態で、老衰のため言葉を
口にすることも、覚醒することさえもありませんでした。
申し送りの時点で「余命持って約一週間から10日」と
かなり今今な状態であることを伝えられていたので、
きっと生涯その声を聴くことはなく、遠くないうちに見送る
ことになるのだろうと思っていました。

ところが、それから2~3日後のある真夜中、たまたま夜勤で
私が各居室を巡回していた時でした。
なんと、彼女がぱっちり目を開けて、無言のまま、
天井をじっと見つめていたのでした。
時刻、およそ午前1時。
そりゃーもう口から心臓が飛び出るほどびっくりしました。
お休み中の皆さんをいたずらに目覚めさせないように特別に
用意された、控えめにしか灯らない懐中電灯をその場で
落とさなかった私を誰か褒めてくれ。

さて、巡回の真っ最中である。
じんわり手ににじむ汗を感じつつ、深呼吸と共に少しずつ
気を取り直して、彼女の様子をよーっく見てみると、
無意識なのか、彼女はわずかに首を左右に振っていました。

あれ、もしかしてどこか具合が悪い?
入所中の皆さんに異変があれば、すぐに看護師に伝えなければ
いけません。ほんの少し怖い気持ちを腹の奥にねじ込んだ私は、
恐る恐る近づいて、とにかく驚かさないよう声のボリュームに
注意しつつ「…〇〇さん、具合はいかがですか…?」と
話しかけてみました。

…どのくらい間をおいたか。
しばらくして、彼女は首を振るのをぴたりと止めました。
そして、目線は天井を向けたまま、
徐(おもむろ)にこう尋ねてきたのでした。

「…さて、鳥小屋の扉は開かれているか?」

…ん?

…ん"ん??

今なんて??!!

なんともオーラのある、落ち着いた声。
やや低く掠れてはいたものの、「お迎え」が間近に迫った
人の声にしてはあまりにもしっかりした声量だったので、
一時的に彼女が目覚めたことへの驚きよりも何よりも、
彼女の言わんとする言葉の意味にすべての意識を持って
いかれてしまいました。

鳥小屋…ニワトリか?
いや何か違う。
多分、そのものの鳥小屋という意味ではなく、
仏教的な禅問答に違いない。なるほど分からん。
しかしこれは対話しなきゃいけないやつだ。
誤魔化さず、きちんと答えなきゃダメな問いかけだ。

数秒間ほど必死に頭を働かせて、私はとっさに答えました。

「はい、ちゃんと開いていますよ。」

すると、彼女は視線だけゆっくりこちらに向けて、
わずかに目を細めました。「そう…それでいいんです」
最初の声よりもやや柔らかい、何となくホッとしたような声でした。
表情は殆ど変わらなかったし、眠っている姿しか見たことが
なかったから確証はないけれど。
たぶん、その時の彼女は微笑んでいました。

そうしてどのくらい、無言のままそこで突っ立っていただろう…
とにかく滅茶苦茶心臓がバクバクしていたのは覚えています。
その後のことはもうあまり覚えてはいません。
結局そのまま、再び意識の奥へ眠りに入った彼女を見届けて、
布団をかけ直して居室を出たような気がします。

その数日後、
医師の見立てに違わず、彼女は静かに天寿を全うしました。
何という運命の引き合わせなのか、彼女が身罷ったのは、
これまた私の勤務時間中のことでした(日勤)。
上司である看護師と一緒に未だほんの少し温かい身体を
清拭しながら、ずっと件のやり取りが頭の中を巡っていました。
その後僭越ながらエンゼルメイクも施したしだいですが、
すべての処置を終えた後もなお、彼女は時間を進めながら
眠っているようにしか見えませんでした。
細身でやさしげな目元、凛とした姿はまさに菩薩様。

×時×分 チェーンストーマ呼吸、バイタルほぼ計測不能
×時×分 バイタル停止、昇天す
     エンゼルメイク施し、×時×分、退所

…と締めくくられた彼女のカルテを読んだときの、
あの胸をかき毟りたくなるような言葉にならない感情は
何にか例うべき。全く赤の他人同士だったわけですが、
私にとってあまりにも貴重な経験となりました。







…あれから十数年が経ちました。

今でも時々思い出します。
あの鳥小屋は一体何を意味していたのだろうかと。
繰り返しになりますが、あの時彼女は長い昏睡から目覚めた
ばかりでした。でも、声質や言葉の内容からして、とても
夢現状態だとは思えませんでした。

なぜ、扉が開かれていることが是だったのか。
なぜ彼女は最後に微笑んだのか。
そも「扉」とはいったい何を指すのか。

仏教の思想に頼らなくとも、およそいろいろな解釈ができます。

人生もっと自由に生きなさい、とか、
固定観念に囚われてはいけない、とか、
あらゆる執着を捨てよ、とか。

その本当の意味への問いかけは、私のその後の
人生の道程で折々形を変えながら、ずっと心の奥に
燻ぶっていました。

…そして、ようやく最近、ホントに最近、気づきました。
これは私にとっての「香厳撃竹()」だったんじゃないかと。
それも、一発覚醒で終わりじゃない、長い長い悟りの過程に
導く尊いきっかけだったのだろうと。

☆香厳撃竹(きょうげんげきちく)…
中国唐代の頃に生きた香厳という禅僧にまつわる故事。
才能に恵まれていた香厳は、ある時師匠の問いに答えられず
大きな挫折を味わいました。自分に失望した彼は地位や権威を
捨てて、敬愛していた昔の僧侶の墓守になって、毎日お墓掃除に
明け暮れていました。ある日、箒でいつもの掃き掃除をしていたら、
たまたま弾き飛ばした瓦のかけらが近くの竹に当って、
メチャクチャイイ音が鳴ったそうな。カーンとか、コーンとか。
そこで彼は大悟!
悩める自分に気づきとなる言葉を与えてくれたかの師匠に、
心から感謝したのだった!!
…という一見どこにオチがあるのかよく分からない内容ですが…
分かりにくいかな…。
かいつまんで言えば、自分におごらず真摯に問い続ければ、
人生のどこかで"撃竹"に出会うって話よ。…多分!


前回のコラムで、過ぎた期待はやがて"価値観の強制"につながる、
みたいなことを書きました。親子とは言えそもそも他人。何もかも
理解しあおうとすることは不可能だというのに、理解できないが故に
お互い苦しんでいた等々。
私は、思いがけない墓参りやそんな息子との一件その他諸々を通して、
いろんな意味で「自分の中のこだわり・執着を手放す」ことの大切さを
少しずつ教えられてきました。

鳥小屋の扉のエピソードは、
あるべきままに生きよという彼女からの深遠なメッセージだったと、
今では思うのです。

「鳴かぬなら××××ホトトギス」って有名な例え文句がありますね。
信長の如何にも短気なアレ、
秀吉の「実現するまで回り道はしねぇ!」生き方、
家康の「でも最後に勝つのは俺だから」タイプ…
ググってみると、各々有名人に当てはまる色んな亜種?があるようで。
きっと世の中、人の数だけ××××があるんだろう。そして、人ひとりが
生きている間にも、何度だってその中身は変わっていくんだと思う。
私も過去××××にいろんな言葉をぶっこんで、七転八倒しながら
生きてきました。総じてろくでもない××××が多かった気がするが…
…今更だな(爆)。
大概苦しかったし、挫折してから立ち直るまで時間もかかったし、
なんなら今歩いている道だって平坦じゃありません。
けれど、変えることのできない過去を今更悔やんで何になろう。
失った時間を惜しみ、自分のダメさを責めて何になろう。
悔恨も執着も捨てて、みんなまとめて赦してやってもいいじゃないか。
枡野さんの本にも書いてありました。解き放つことの大切さを。

だから、
「鳴かぬなら、扉を放とうホトトギス」。
今の私は、こう繋ぎます。

もしも鳥小屋が家だとする。居心地がいいならその場に留まるのもいい。
だからといって、別に置かれた場所で鳴かなきゃいけないわけじゃない。
逆に「自分の鳴く場所はここではない」と思ったのなら、より自分が
納得できる場所を探して、心の赴くままに飛んで行ってもいい。
自分自身がそうであるように、家族や他人に対しても、扉は開かれている
べきなんだと思う。誰しもが、全の中の個でありながら、決して
埋もれているわけじゃなくて唯一の個でもあるわけだから。
心がどこまでも自由であることは、きっとこういう境地なんじゃないかしら。

子供達よ、卑屈になることなく、胸を張ってあるがままに育つが良い。
扉に鍵なんてかかっていないから。いつでも開け放って自由に
飛び立つがいい。

自由に、穏やかに、誰とも比べない自分のままで、
みんなのびのび生きていこうじゃないか。

今生の終わりまで。



今日の1曲

"Return To Innocene" ~The Cross of Changes

ENIGMA(1993) 



(↑公式ようつべPVへゴー!)

前作MCMXC a.D.(サッドネス・永遠の謎)で
グレゴリオ聖歌ブームを世界中に巻き起こした
エニグマの2ndアルバムから。
Return to Innocenceは作中唯一シングルカットされた
曲ですが、これがまたミリオンヒットしました。

この度のテーマの締めくくりにドストライク(私が)。
とにかくいい歌詞なのはもちろん、死から誕生まで
とある男性の一生を少しずつ時間を巻き戻しながら
展開されていくPVも秀逸なのでぜひ見て聴いてみて~。

2021.12.24

鳥小屋の扉 2

 
今回の話題。執筆するにあたり、
本コラム史上最強の生みの苦しみを味わいました。
ほんと、どえらい時間がかかった…
アップロード寸前で謎のデータすっ飛びエラーが起きたのもヤバかった…
呪いかよ…百鬼夜行かよ…

メリー・クルシミマス!?!!!!

今年の西屋のクリスマス演出↑。毎年控えめです。



ある日、出かけ先から漸う帰路につく車の中、
だしぬけに息子が放った一言。

「ねぇ。そういえば、イエス・キリストはサイゴノザンパンで何を食べたの?」



サイゴノザンパン。



・・・・・・最後の残飯。





…は。

おのれ、今残飯と言ったか息子?
まさか空耳アワーじゃあるまいな??

神の子イエスの人間最後の食事がザンパンとかなんの冗談だ。
イスカリオテのユダとて”Mottainai”に涙して裏切りを悔い改めるわ。
てか、それ言うなら「晩餐(ばんさん)」な!

内容?
血(ワイン)と肉(パン)な!!



(↑どさくさに紛れておススメのやまがた金渓ワインをうp。)

…また別の日。
中学校の校外授業(フィールドワーク)で訪れた寺の近くに、
たまたま私用で本人連れてやってきたときのこと。

「ここここ!お母さん、このお寺さんが僕こないだ学校行事で来た、
…えーと…「ゴクモンデラ」だよ!!」


ゴクモンデラ。


もしかして:獄門寺。


…へぇ、そうか、もれなく地獄行きかヤバいな(白目)……って、

ちっがーーう!!
表札には「極楽寺(ごくらくじ)」と書いとるがな!!



また日付は遡り。中学校入学早々クラスに張り出した自己紹介で
「好きな食べ物」コーナーに書き込んだのは、なんと「ボルシチ」。
肉じゃがでもハンバーグでも餃子でもなくボルシチ。マジかボルシチ。
そもそも最後に食べたのがいつだったか、作った本人の私がまるで
思い出せないんだけど。あぇえ…少なくとも1年半以上は前かな…
一体全体何が気に入ったというんだ?
真相が気になって、後日当の本人に尋ねたら、

「え?え??ついこの間食べたよね?」

…ただのマジボケだった。
息子、あれはポトフだ。





↑あんまりボケるから、このコラム書いている間にボルシチ作っちゃったよ。
田舎だからビーツなかなかなくて探すのに苦労したわい…
(やまやで売ってました☆彡)



とまぁ、よくも悪しくも"阿保の子ほどカワイイ"を地で行く我が息子。
最近思春期なりの隠し事こそ増えてきたものの、素直で心根の優しい
子供に育ってくれました。
(尤もまだ10代前半…この先どう化けるかは神のみぞ知るところ。)
五体満足のおかげで、病気や大きなケガもなく、
すくすく成長しつつあります。ありがたい限りです。

ただ…それとは反対に、言葉やしぐさから滲み出る奇妙な幼さが
母はずっと気になっていました。うまくは言えんのですが、
自分(中身)を律し鍛えようとする意識、そして、子供ならではの
瑞々しい「好奇心」…つまり学びへの意欲がまるで感じられない。
まぁ…そんな最初から何でも備わった人間なんているわけないし、
まして今の日本社会は(たとえそれが得られなくても)与えられる
ものが溢れすぎて、それでいて先行きが見えない、漠然とした不安が
いつもどこかに停滞している不穏な印象がぬぐえません。
行動の軸となる夢や目標意識を抱きにくい環境要因も
あるのかも。ちょっと甘~い見方ですが。

だとしてもだ。
「他の子と較べて」やたら人間力の稚拙さを感じてしまうのはなぜ。
親の目が厳しすぎるから??
比較対象が少なすぎるから??
そんな堂々巡りの答えは、2学期折り返しの時点で渡された
成績表にバッチリ記されていました。つまり…アレだよアレ。
「紅の豚」のワンシーン。青天井の空の下で某夢から醒めた
若き日のポルコ・ロッソ。超低空海上飛行。

察してくれ…その状態でよく飛んでいられるな。奇跡か。
そう…我が息子の目下の弱点はまさに"頭脳"だったのである!
おつむ!!!


人間社会ってのはどうにも息苦しい環境で。生きていくために
成長しながら学んで、やがて収入を得る手段を獲得して、
どんなかたちであれ地に足のついた生活を築く必要があるわけです。
ストレートに弱肉強食な野生動物の世界とはまた違う生き方、
世を渡る術を身に付けなければいけません。

ところが若い頃の私はとんだアウトローでして。
「んな屁理屈知るかぁ!」とばかり散々道を外しまくり、
何度か綱渡りも経験しました。
つまりは真正阿保の子だった(笑)
それが何の因果か旅館の女将となって、一念発起して、自分をより
好きになりたくて、己の内側からとにかく「変わる」取り組みを
続けてきました。己にカツを入れれば、身の回りの環境ごと状況が
好転して、やがてWin-Winの関係が築けるだろうと。

家族、こと息子についても「ちっと日本語スキル怪しいな(汗)」
と思う時はあったものの、基本楽観的に見守っていました。
成長と共に学ぶ環境も変われば、年相応に自分を磨く努力くらいは
しているだろう、徐々にその範囲を広げて、いずれ周囲に流されない
人格を身に着けていってくれるだろうと。
勿論親としてのサポートも折々添えてきたつもりでした。

でも、違っていた。私は息子のことを分かっていたようで、
全然理解できていませんでした。

今年最後の三者面談の後、半ば宇宙猫みたいな顔になっていた
息子と膝を突き合わせ、よーくよーく話し合ってみました。
どうやら彼は、日頃何でもないような様子でいて、計画的な学習の
仕方とか、日常生活での優先順位の付け方とか、勉学以前の
「生きるための基礎知識」をまとめて後ろにポイポイしたまま
何となく生活していたらしいことが漸く判明。

えーと…例えるなら、泥酔して今にも意識トびそうなのに
「俺酔ってないよ!!」なんて自信満々に笑いながら、
何なら千鳥足ですたすた歩ちゃうパリピタイプ(違う違う違ry(笑))。

そんなわけ分からん状況が続いていたにもかかわらず、
本人は学校に行くのはめちゃくちゃ楽しいと真顔で言うのです。
たとえ体調が優れなくても、這ってでも登校すると訴えるほど。
おいどういうことだ。



息子は進学と同時にいきなり人数30倍の学校に放り込まれました。
最初は本人も不安がっていたし、さぞ順応するのも大変だろうと
思いきや。意外なことに、今じゃクラス内外問わず両手両足じゃ
数えきれないくらい友達がいるらしいのです。
さらに驚くべきことに、息子は家での会話で、そんな友達(複数)
への称賛を頻繁に口にするのでした。とにかく褒める褒める。
「あの子滅茶苦茶成績イイんだ。そんで僕とも仲良しなんだ」
「〇〇って子はスケボーが上手だよ。すごいよね!でもさ、
意外な一面もあって面白いんだ」etc.…


正直ビックリでした。
ますます私の理解は追いつきませんでした。
なぜなら、同じ頃の私にはそんな才能全くなかったから。
むしろ「アタシの屍を越えてゆけ!」と言いながらワザと
相手を蹴落とす滅茶苦茶ひどい奴でしたので…。いやホント鬼。
今でこそ、そんなロクでもない本性と折り合いをつけて穏やかに
暮らしてはおりますが、本来の性格が性格なだけに、
息子、プライドないのか?
なんてつい心配したくなることもありました。
しかし、よーく話を聞いてみると、
決して自分を卑下しているわけでもないのです。
ちゃんと矜持があって、違うものは違うとキッパリ言い切ります。


ここでやっと気づきました。
私は、自分の過去の経験や知識、理解できる範囲やかたちを
全く変えないまま「なんで息子はポツコンなんだ」と
向こう岸から檄を飛ばしてばかりいたこと。
そのせいで、息子の良さや為人(ひととなり)を全く
理解できていなかったこと。
理解できないから、結局他所の子供や返ってきた成績など、
ほんの一部の比較できるものだけを基準にして、相対的に
息子の輪郭を捉えようとしていたことに。



他者をありのままに受け止め、尊重し、友情を育むという、
教科書的な知識だけでは獲得できない慈悲にも似た精神を
幼いなりに息子は既に備えていました。
にもかかわらず、母とはいえ考え方も生き方も異なる私が
自分基準でしか息子を映し出せなかったために、最近まで
その本質を見抜いてやれませんでした。
確かに学力面では他の子からかなりな遅れをとっているだろうし、
これまでの子育て観を大きく変更して息子と向き合わなければ
いけなくなったわけですが、
実はこれ、すごくいいパラダイムシフトできたということなの
ではないだろうかと思い始めています。

お手本にしているのは、そう、ご存じスティーヴン・R・コヴィーの
「7つの習慣」。有名な本ですね。
うん、最近読んだ(爆)
結論から言えば、もっともっと早くから読んでおけばよかった!!
まぁ時間は巻き戻せないので、今じっくり彼の理念を読み解きながら、
息子に来るべきパラダイムシフトを目指しているところです。
変身せよ!ムーンプリズムパワー!!!

実は私、自己啓発系の本は眉唾だと思ってこれまであまり読んで
来ませんでした。でも、改めてよく読んでみたら、特に湯守に
なってからの紆余曲折や自己変革の過程で、7つの習慣のかなりの
部分をしっかり踏襲していたっぽいことに気づいて一人秘かに歓喜。
…おお…もしかしてこれ、ちょっとでも自分で自分を褒めていいヤツ?

それもこれも湯守業のおかげだ。
ありがとう温泉。ありがとうお薬師様。




今年のクリスマスでは子供達にそれぞれ本を送りましたが、
私もちょっとした1冊を自分にプレゼントしました。
禅僧にして造園デザイナーである枡野俊明さんの近著。

禅の思想や言葉は好い。水のように、不思議と心にすっと落ちてきます。

結局人生には完成形なんて存在しない。挫折も失敗も後悔も付き物ですが、
どの曲がり角も決して無駄なもんじゃなくて、掴み方を変えるだけで、
そのどれもが自分を変えるチャンスになるんだと教えてくれる。


息子もいつか越えてくれるといいな。
新しい自分になれる未知の扉の向こう側へ。



今日の1枚

UP直前で文章トンだせいでギリギリアウトだちくしょう!
百鬼夜行6時間遅れ!

Weihnachts-Oratorium,BWY248

J.S.Bach/Jordi Savall & Le Concert des Nations(2021)

(視聴するには長すぎるので、今回はリンクナシ!)


1734年にバッハが作曲・初演した「クリスマス・オラトリオ」。
初演はライプツィヒの聖ニコライ教会&聖トーマス教会。
教会で聴くには長丁場なので、日時や場所を変えて、第1部から
第6部を分割して演奏しました。

クリスマスソングと言えばワム!や山下達郎が王道かもしれませんが、
いいか、本物の王道(?)はこれなんだ!
オーケストラはバロック式ほぼ全乗せ編成+パイプオルガン+
混声4部合唱に各パート独唱有り。演奏時間は堂々のフルサイズ
映画約1本分(2時間半位)!
中身は言わずもがな荘厳すぺくたきゅら―!
とにかく長いし何回リピートしても何部だかすぐ忘れちゃうから、
1日中BGMで聴いててグーよ!!


…なんだこのノリ(笑)
まさに深夜ズハイ。(只今0:05)

2021.12.16

鳥小屋の扉 1




先月、つっても初雪が降ってくるよりさらに数日前のある日
(あらぁもうだいぶ前だ…)のこと。

ふと思い立ち、母の眠る墓を一人たずねました。
県を跨いで他家に嫁いだ身乍(なが)ら、実家から軽く日帰りで
行って来いできる距離に住んでいるのは僥倖、といえばいいのか。

で、突然の気まぐれを起こしたきっかけは、まー…あれだ。
恥ずかしながら、ちっとばかり実父と喧嘩をしましてね。
その折に不意打ちで喰らった、本当ならスルー出来るはずの、
言った本人からしたら何気なく発した一言。
何故かそれがひどく尾を引きまして。まるで遅効性の毒のように、
どうにも後からじわじわ骨身に堪えてきたわけです。

「(お前のせいで)あの世でお母さんが悲しんでいる」。

…父ちゃん、ええぃオヤ爺。
なんだYO、その聞き捨てならん捨て台詞は。
霊感もないのに故人の想いを勝手に代弁するとはどういう了見だ?
とか、
それってどう考えても傷心の我が子に投げて寄こす言葉じゃなくない?
いっそ年甲斐もなくタコ殴り(物理)してくれた方がはるかに
ダメージ少なかったと思うんだけど!
とか、
真面目にツッコみたいことは山ほどあったんですが。
ちょっとショックがデカかったのか脳みそ処理落ちしたらしく、
その場では何のリアクションも出来ませんでした。

…しばらくして出てきた結論が「そうだ、墓行こう(爆)」。

かくして休日になるや否や、半ば縋る様に霊園に足を運んだ次第です。
勿論ほぼ手ぶら。持ってきたのはなぜかライターだけ。
待て待て、花どうした花。・・・はっ!
ここでようやく脳内回路リカバリー。
なんだよーこれじゃお墓掃除はおろかお参りも何もできないじゃん!
すぐさま近くのスーパーに引き返して必要物品を現地購入しましたとさ。

(霊園のそばのスーパー、その立地から彷徨える参拝者のニーズを
よほど把握しているのか、お墓参りグッズがやたら充実していて
ちょっと戦慄、いや感動した…)

線香は個人的に一番好きな白檀の香りを選びました。あの甘く高貴な
香りが良い。花は高価なものではないけれど、種類が多くてとにかく迷い
そうだったので、「今はこの色の気分(直観)」に任せてチョイス。
今は良い時代になったね。どこのスーパーでも基本的に季節問わず
色とりどりの仏花が売られているおかげで、思い立ったらすぐお花を
供えることができますもんね。
これ、世界共通なのかな?
それとも日本独自の慣習なのかな?
都会の皆さん、お近くのスーパーでも仏花って売ってますか?
考えたことありませんでしたが、こうして手軽に故人のための花を
買い求めることができるということは、盆や彼岸といわず、
日々の生活の中で、折々死者に思いを寄せる人が絶えることは
ないという証左なのでしょう。
話それた。
次回は蝋燭と雑巾とたわし、あとは…そうだな~、
雑草を毟るための軍手も用意して、一式まとめておくか。

・・・・

こうして再び墓前に戻ってきた私は、黙々とお墓の周りを一通り
きれいにして、花器を洗い、漸う新しい花を供えた後、立ち上る線香の
幽玄な香りが青空に溶けていくのを感じながら、しばし手を合わせました。




(↑暗ーい写真でごめんなさい。逆光だったんだよ(汗))

「お母さん、会いに来たよ。まーたくだらない親子喧嘩しちゃったよ。
きっと呆れているだろうね。てか親爺の言ったあれ、ガセだよね?
あの性格もう少し何とかなんないかな?諦めろ?…やっぱダメかー…
…祖父ちゃん、書道まだまだだけど頑張ってるよ。箪笥の中の古い手紙
(ラブレター)勝手に読んでゴメンね。私も毛筆で手紙書き始めたよ。
…祖母ちゃん、生前会ったことがない嫁ぎ先のご先祖様ばっかりのお墓に
結局お母さんのお骨を納めたけど、そっちはどう?みんな穏やかな性格
だったっていうからきっと仲良くやれいると思うけど、くれぐれも
お母さんのことボッチにしないでねetc(以下略)…」

墓前に向かうと、心の中だけ饒舌になる不思議。
どれほど語り掛けたか…

ふっと見上げた空の、あぁなんという深い青さ。気が付けば、
あれほど荒れ狂っていた心がいつの間に解けるように
穏やかになっていました。



(やっぱ逆光だと暗いな!ビルの谷間に見えなくも…ないか(汗))

何と言い表したらいいのかこの心。
実は一人で墓前を訪ねるのは初めてでした。そして、これほど離れがたいと
思ったのもこの度が初めてでした。改めてこの場所がもたらす
思いがけない"癒し"に触れた瞬間でした。



墓といえば、個人的に思い出す印象的なエピソードがあります。

エピソードというか、高橋留美子原作「犬夜叉」のワンシーン。
主人公の犬夜叉が、かつての想い人だった巫女桔梗の墓が邪な妖怪に
暴かれたと聞き、仲間と共に現地へ調査に行くというわりと序盤の一幕です。
道すがら、犬夜叉は「死ねば土に還るだけの者のために、なんで後生
大事に墓なんか設えるんだ、人間のやることは理解できない」
みたいな疑問を口にします。
(とか言ってる犬夜叉も実は生母の墓をしっかり建てて花を供えて
いました。映画版で。)
するとそれに対して、桔梗の妹で既に老齢となった巫女の楓が
こう答えたのでした。「墓は、遺された人の思いなのだ」と。

「大切な人を亡くした悲しみにとらわれながらも、故人の分も強く
生きようとする。しかし人の心というものは、そう容易く逞しくなれる
ものではない。時に傷つき折れるもの。
墓は、そんな者たちの心のよりどころなのだ」と。

ベテランの声優:京田尚子さんの温かみある声で死者への思いを語る
この場面は、実は原作の漫画にはない描写でした。
でも、ものすごく印象的でした。

母の死を経た今なら尚更この言葉が身に沁みます。
平和な日々の中に津々と降り積もる、遺された者の寂寞。
それが一縷の希望と混ざり合って、さざ波のように心を打ち付ける
かすかな傷み。
私は無宗教の人間なので、墓そのものに魂は既に無いと考えています。
しかし、墓の中には確かに、かつて生きていた大切な故人の骨が、
その人の生きた証が収められています。
墓に来ることで、大切な人がこの世にいない現実を改めて
重く受け止める一方、ありありと思い出すわけです。
生前の姿を、かけてもらった言葉を、手渡してもらった温かい気持ちを。
時には、記憶の彼方に忘れていたそれらの断片を。
遺影の中でしか見たことがない先祖もまた、遠いまなざしを通して
悩みや苦しみを抱えた者を慰めてくれているのかもしれない。

お墓とは、お参りに行く所ではなく実は「会いに」行く場所、
だったのかも。そう思うと、すごく納得できます。

やがて心も晴れやかに、ひとしきり語り、祈りました。
この世とあの世を繋ぐ縁の者の安寧を。子供たちの幸せを。



【今日の一曲】


母の墓を訪ねた同じ日、少し足を延ばして、
前から一度行ってみようと思っていた三春町の滝桜も訪ねました。
白布温泉からは車で約2時間。




齢約千年、言わずもがな、かの有名な日本三大桜の一つです。
人生初の滝桜。そしてめっちゃ季節外れ。
県道わきにぽつんと佇む滝桜の周囲には、この日人っ子一人いませんでした。





近づいてみると、その大きさがよく分かります。
今は見上げる者もなく、静かな青空の下、滝桜はすこし疲れて
休んでいるように見えました。葉も落ちて、眠っているんだろうな。
でもなんだろう、すごく、優しい気配が伝わってきました。
生きているはずなのに、なぜか、先刻訪れた母の墓と同じ気配でした。
不思議だぁ。見ているだけで気持ちがぽかぽかするとは。
こんな包容力のある桜の木を、私は未だかつて見たことがありません。

そうか…この樹もきっと"お母さん"なのだろう。

そんなおおらかな滝桜のイメージに脳内ジャストフィットしたのが↓


"Oracle"

Michael Hedges(1996)


(ようつべでオラクル視聴!↑)


故マイケル・ヘッジスのオラクル。
ヘッジス8枚目のアルバムのタイトルにもなった1曲です。
ギターだけでなく曲中のフルートも彼の演奏。
ヘッジスは不世出の演奏技術を誇る凄腕のギタリストでしたが、
よくある「俺のド派手な演奏テクに酔いしれろ!~」タイプとは
真逆の存在でした。1曲1曲が丁寧に音楽として完成されていて、
ギターはあくまで彼の世界を表現する一つのツールとして、
複雑かつ色鮮やかな音色を紡いでいます。
オラクルは、私の特に好きな曲の一つです。
飄々とした風のようなフルートのメロディーに、どこまでも
深くやさしいギターの和音がほんと心地いい。
アコースティック版千の風。

マイケル・ヘッジスは、没後20年以上経った今でも
アコースティックギター界のカリスマとして世界中にファンが
います。今を時めく国内外のギタリストも、彼をリスペクトして
いるそうで、主人も実はその一人だったりします。
他にもエアリアル・バウンダリーズやドリーム・ビーチ等々、
挙げたらキリがないくらい名曲をたくさん遺していますので、
気になる方はようつべかApple Musicをチェキ!

2021.12.04

閑話休題 ~期ズレ過ぎて世の中と相容れないマイブーム~


先月、勤労感謝の次の日。
白布は本格的な雪の季節を迎えました。



初っ端から30㎝強の積雪…



白布温泉自慢の無散水消雪機構は去年から故障したままなので、
今年も道路脇は絶賛ラッセルバンカー。

そうか、そう来たか。
ンッフ、重畳♡

しかし間髪入れず、数日後同じくらいの量の雪が追加されたのには
さすがにちょっと引いた…。まぁ仕方ないよね。これが雪国の日常。
都会なら大騒ぎになるでしょうが、私達地元民は
「………とりあえず車でも発掘するか」くらいのボヤキで乗り越えます。
一晩で腰に迫る程の積雪がある真冬のピークよりまだマシだ。




しかしこうやってひとたび雪が降ると、送迎御用達ハイエースの
頭の雪なんか全部降ろすのもなかなか重労働でありまして。
何しろ脚立でも使わなきゃ届かない。
おりしもこの度の初雪直後私用があったので、ええいままよと
そのまま車を漕いで市街地へ降りたわけですが…
まぁー、見てくる見てくる、対向車という対向車が。
市街地は今も雪が殆どないので、そりゃとんだ季節外れみたく
思われるのは仕方がないのですが、どのドライバーも目かっぴらいて
「コイツ何処から降りて来た?!!」と言わんばかりにこっちを
凝視してくるわけです。やだなぁ、そんなに見ないで恥ずかしい(笑)



さて、12月に入りました。
毎年この時期は年末調整やら年賀状の準備やら年末年始のシフトの計画やら、
「年」のつく作業が次々襲ってきます。
知ってるかい?師走ってのは自ら走ることじゃなくてだな、
そういう"奴ら"に散々「追い立てられる」季節を指すんだよ、
黄泉平坂じゃないが、往なしながら走らなきゃ間に合わないんだよ。
少なくとも私にとっては。

そうして1年が終わっていっそ年が明けて三が日も過ぎてから漸く
「あへぇ、今年もお疲れさまでした~」なんて期ズレした労いをし合うのが
旅館業の常。季節感も(特に繁忙期の)年中行事もどこかズレズレ。
例えばお盆。期間中はお墓参りはおろか、実家になんて行けないかんね?
迎え火?精霊棚設置?親戚の集まり?無理だよ!
お雛様も端午の節句も、その期間が終わってから「あ、飾るの忘れた」の
繰り返しときた。

なんてこったー。生粋の日本人なのに(笑)
あ、そうだ。こうなったら来年は暦の歴史や古式の年中行事の
勉強でも始めてみよう(なぜここに至る)。






仄かに甘い松葉と雪の香りを楽しみながら、
今日も湯守と女将マイペースで営業中。



今日の一曲

"PIECE OF MY WISH"

今井美樹(1991)


(↑ファンの方がUPしたと思しきLIVE版ようつべ。)



実は私、元々日本(特に文化)史には殆どといっていい位関心が
ありませんでした。
ところが最近書道を再開し、かな文字に触れ、和歌を読み解く
うちに、「なぁんだ、現代人と感性同じじゃん!!」と気づき、
そこから枝葉を広げるようにどんどんハマっていったという。
今更だけど、「日本史ィ?なんぞ古臭い」「今さえ平和なら
それでいいじゃん(爆)」みたいなろくでもない印象しか
持ててなかった中高生の頃の自分をちょっと一発、いや数発
殴ってやりたい。
そんな青臭い厨二(死語?)だった頃に吹奏楽部で演奏した曲の
一つが、このPIECE OF MY WISHでした。(前置き長!)
今井美樹さんの往年の大ヒット曲です。
何かのドラマの主題歌だったはず。
当時は流行曲なんてそれこそ興味がなかったし、演奏した割に
完全に記憶の彼方に仕舞われていました。ところがこの間、
買い物先のスーパーでたまたまこの曲が流れていて
「…あれ?この曲知ってるわ。ん?誰の歌だ?小泉今〇子?
いや声違うな、ん?そういやなんて曲だ??」
突然降って湧いてきた海馬のサケビ。
でも肝心の名前が思い出せない。

あー、この、喉に魚の小骨が引っ掛かっていつまでも取れない
時のような、やっと見つけて駆け込んだ公衆トイレが行列で
とりあえず「ヤバい焦る、しかし並ぶ」みたいなじれったい気分、
分かりますかいな(いや後者なんか違うだろ/笑)。

結局帰宅後主人に尋ね、ようやく曲名にたどり着きました。
よく聴くとなるほど、なかなかいい曲ではないか。
よっしゃ今ならカラオケで歌える!
そもそも行く機会さっぱりないけど!!

…多分終生ついて回るオチだろう。
和歌といいこの曲といい、マイブームと世の中のブームはまるで
被ることがない(下手すると1000年単位で期ズレする)らしいと。

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