若女将コラム

日々西屋と山を駆け巡る湯守兼女将による、自由奔放すぎるコラム改めエッセーコーナーです。
人生は奇想天外に生き抜こう。趣味のことや日々思う事etc...ほぼ100%西屋に関係ない話題を思いつくまま載せています。

【人生の話2】磨き玉(魂)は流れ星となって眩い軌跡を描く



赤い穂のススキ~
なんて宣ってInstagramに上げた写真↑ですが、よく見たら萱だったオチ。


巡り巡って今、こうして山の中で旅館の女将やっている自分は幸せか?
私は私のやりたいことを見つけられたか?
今私には、成し遂げたい目標はあるのか?


えー、前回の末尾で盛大に墓穴を掘りました。
よく考えなくてもめちゃくちゃ答えづらいお題を自分自身に吹っ掛けて
書き逃げしてしまった。それも3つも(笑)
フラグは回収しないと書き物が完結しないので、
腹を括って一つ一つ回答していく形でまとめました。



「山の中で旅館の女将やっている自分は幸せか?」

(我ながら地雷踏みまくりの質問だな!)

着物をこよなく愛し、亡き母共々長年お世話になった恩人でもある
寒河江市在住御年91歳のおばあちゃん。
先日彼女から、ご厚意でたくさんの夏着物をお譲り頂きました。
予めちゃんとした呉服屋さんにクリーニングを委託したのでしょう。
長箱の中にぎっしり詰められたたとう紙の中の着物は、どれもしわ一つ
なく折りたたまれ、移動時に着物がずれないための紋紙も丁寧に挟まって
いました。




よく見たら本麻の着物が2枚↑、同じく麻の長襦袢↓も入っていた!!
いやマジでいい品ばっかり。興奮する気持ちを抑えてそれぞれ袖を通して
みましたが、年代のわりに大柄な体格でいらしたおかげで、どれもほぼ
お直し不要で着れる身丈と裄でした。おわー、嬉しいい。さぞ値が張った
であろうことは想像に難くありません、そも他人である私が頂いちゃって
いいんだろうか…いつも思う。でも、
「子や孫はもう誰も着ないというし、このまま箪笥の肥やしに
なってゆくよりは、着る人の手に託される方が着物は幸せなのだ」
と認められた同封の手紙を読むと、私はその想いを託してもらえたのだと
感謝と共に納得してしまえる。



ああ、いかにも着こまれた生地の柔らかさがいい。
このやや黄ばんだ麻の襦袢の味わいもまたいい。
元の持ち主のひとかたならぬ着物への愛着、苦楽を共に歩んだであろう
長い年月を感じます。そうして着物は生きたまま世代を渡り、誰かの
想いを纏って静かに風格を増していくのだ。
だから私は昔の着物が大好きだ。




(↑偶然?西屋の家紋である「丸に片喰」が銀糸で刺繍された絽の色無地。
紗袷かと思ったら、裏地に地紋が入ったちょっと珍しい生地だったと分かり
吃驚。法要でも茶会でもちょっと改まった会場でも着ていける万能着物!)

素敵な着物を頂くたびに、着物好き(というか既に生活…衣食住の一部に
なっている)でよかったと心から思うのでした。
まるで大事な日記のように、自分の知らない時代や人生を受け取れたような
幸福感が味わえるからね。

尤も、今着物を着ているのは意図して「女将」であることを言外にアピール
している意味合いもあります。ものぐさであまり対話を得意としない
私にとって、見た目だけで立場を理解してもらえるのは一石二鳥なのだ。
まさに僥倖。

ならば、そもそも私は女将になりたかったのか?
と改めて問われると、実は答えは

嫁いですぐの頃からしばらく子育てで奥に何年も引っ込んでいたし、
まして嫁ぐ前は西屋の表舞台で自分がどう立ち回るかなんて、何年後
自分がどんな姿で何をしているかなんて、はっきり言って想像すら
していませんでしたから。少なくとも身を固めることで、それまで
根無し草のようにあちこち転々と暮らしていた無味乾燥な日々と
別れを告げ、それなりに穏やかな日々を過ごせるだろうと思い描いた
くらいで(お前どんな生活していたんだ?というツッコミはナシで!)。

…かくして。そんな期待は転入後いとも容易く打ち砕かれたのであった。
修羅場なんていつだって人生いたるところに転がっているもんだとばかり。
うぉおおおそんなん分かっとったわ!!

時代が少しずつ進み、世の中が変遷し、バーチャルがリアルを凌駕し、
こちとら人手が徐々に減り、だんだんと現場で担う役割と負担も増え、
遂に今まで誰も受け持たなかった湯守を完全に引き受け、ぐぉおヤバい
これ以上抱えられないかも…というメンタル瀬戸際に立たされた瞬間、
漸く気づいてしまいました。

「なんだこれ苦しい。なんだこの商売の辛さは。
なんだこの仕事のキツさは。なんだこの自然の厳しさは。」

ここで自棄をおこして「(酒)呑んでやる!」
…などと暴走しなかった自分を褒めてやりたい。
子供が生まれると妙な肝が据わるらしい。むしろこの状況に陥って
「(味噌汁)呑んでやる!」なんて斜め上の思考に走ってしまうのが
私である。てか味噌汁w

ま、ダメで元々だから!
どうせなら誰もやらないようなぶっ飛んだことをやってやろう。
そうやって沈む気持ちを無理やり打ち上げた私は、あれよあれよと
いう間に湯守になり女将になり調理場の欠員補充で包丁を持ち、
気が付けば温泉や泥や時々下水やらかぶりながら最前線でマシンガン
連射していました。マシンガン=気合。
そして溜まりにたまった鬱憤をコラムで吐く日々。
予定は未定、行き当たりばったり、走り出したら止まらない。
廃れたのか逞しくなったのか分りまませんが、ぶっ倒れていないから
とりあえず今のところは大丈夫だろう。
幸か不幸か性格がこんなんだから、そこには「なぜこうなった?」とか
「いつからこんなことやっているんだろう?」みたいな小休止は持ち
えませんでした。なにしろ迫りくる列車の前でひたすらレールを敷く
がごとく、毎日が待ったなしだから。
そうしてコロナ禍が深刻さを増し、オリンピックの夢から醒めた
今頃になって初めて、いつの間にエネルギー切れ寸前になった状態の
まま、発射5秒前の打ち上げ台で無駄に焦って悪あがきをしている自分に
気づいたのでした。
本当は自分が思う以上に疲れていたらしい。
力を抜くことが心底怖いと思うほど。

さて、ここで前回の問いだ。
「旅館の女将やっている自分は幸せか?」

回答:幸せじゃないが苦しい楽しいチクショー。 

ぜんぜん答えになってない(笑)



「成し遂げたい目標はあるか?」 

高校時代、美術の先生と同じくらい忘れられない言葉をくれた恩師が
もう一人いました。政治経済担任の先生。見た目だけを例えるなら、
つげ義春の漫画に出てくる頭もじゃもじゃのモブおじさんみたいな
素晴らしくあか抜けない風貌(例えw)。
よほどの和牛好きだったのか、ぴちぴちの女子高生に向かって
「おしゃべりしてないで話を聞けこの霜降り!!」「脂肪の塊!!」
と身も蓋もない暴言を飛ばし、権力には逆らうのが美徳とばかり
左巻きを公言し、口から出る講義もザ・社会風刺画…それでも言葉の
端々に生徒想いの優しさがにじみ出る、なんとも憎めない先生でした。

そういや同期だという倫理担任の先生となぜかしょっちゅう
「愛の本質はエロスか?アガペーか?」で舌戦論戦を繰り広げていましたが、
あれから決着はついたのだろうか??(余談だが私は前者派だ!)

その政経の先生が、そろそろ進路決定に差し掛かった迷える私達に授業中
静かに説いたのが

「若いうちは、たとえ途中で失敗しても、あらゆる道筋から人生の
立て直しが可能だ。そして当然歳を取ればとるほど、軌道を修正する
上での選択肢は減っていく。体力的にも、時間的にも。
しかし、"可能性は決してゼロにはならない"」

一時は忘却の彼方に追いやっていたこの言葉。
今になって、驚くほど鮮やかによ蘇ってきます。

観光業界の未来は全くもって不透明です。ぶっちゃけコロナ云々以前から
国内観光業は遠回しに前途多難と言われていました。
就職以来全くの異業種にいた私は、こんな事情、嫁来るまで知らんかった。
社寺仏閣と同じで、文化的側面が強い温泉旅館商売は時代に囚われず
細く長く続くものだと勝手に想像していましたから。
今は就職先の花形と言われた大手の代理店や公共交通機関でさえ
苦境に立たされているわけで、表には出さなくとも、みんな同じくらい
不安な気持ちを抱いていると思います。仕事面だけじゃなく、生き方
自体ますます望む道が見えにくくなってきているように感じます。

生きていて、こんなに不安で苦しくて、一体人生何の意味があるのだろう。
どこで道を違えてしまったのだろう。今がつらいと、悔恨と共につい
そんな思いが頭をよぎります。でも、ここで気づいてほしい。
生きていることに「意味」を見出そうとしていること自体、そも生きる
ことに真摯に向き合おうとしている証拠だと。もうどうでもいいや~
と簡単に人生投げ出していない自分を、ぜひ今すぐ滅茶苦茶褒めて
あげてほしい。

私も過去滅茶苦茶やってきましたし、まー、寄り道も人一倍多かったと
思いますが、今日まで過ごしてきた日々は何一つ無駄ではなかったと
今は信じています。なぜならその一つ一つが、今を生きる力・糧に
なっている(と幸いなことに実感できている)から。
不安なら不安な分だけ、今の場所でできる限りの手を尽くせばいい。
必ずのちに何らかの形で財産になってくる。
政経の先生の言葉は正しかった。
諦めずに生きている限り、可能性はゼロにはならないのだ。

回答:もしも世の波に打ち負け、最悪生き方を根本的に変えなければ
いけない日が来たとしても、「あの時私は全力を出し切った」と
清々しく振り返られるように、後になって後悔しないように、
自分を信じて全力で商売をやりきる。



「私は私のやりたいことを見つけられたか?」 
…これ、ほぼ人生の総括だよね?



現在私は西屋で女将をしておりますが、寄る年波に逆らうつもりは
ありません。先のことは分かりゃせんが、経済状況が許す限り、
いずれ体力があるうちに現役リタイアして、何物にも属さない自分だけの
人生にスイッチを切り替えたいと考えています。
さて、その時に自分は何をしていたいだろう?
その時の自分が夢中になって取り組んでいることは何だろう?

別にね、大物になりたいとかそんな野心は全くありません。
まぁ、余暇には気ままにお菓子を作るでもいいし、もしもその時子供達が
結婚し親となっていれば、できる範囲で家族を助けてもあげたい。
そのためには第一に元気でいなきゃいけないし、適度な息抜きも必要だ。
夢だねぇ…(遠い目)。

ともあれ、そんな理想の第二の人生スタート地点から逆に今を辿って、
私という人間の輪郭をとらえようと、ここ最近ずっと模索しています。

転機は去年の母の死でした。終活もままならず世を去った母との別れは、
遺された思いと共に、逆説的に「今この瞬間をいかに悔いなく生きるか」
という命題となって全人生単位で私を突き動かし続けています。
自営業は定年がないから、どこでその終止符を打つかは自分で判断
しなければなりません。うちの大女将もそうですが、一つ前の世代に
よくみられる、商売に夢中になると「趣味なんかに割く時間はない」と
言い切ってしまえるタイプ。確かにストイックでカッコイイとは思う。
でもね、残念ながら、人間の身体は永久機関ではないのだ。
それを生き甲斐とする人生を否定するつもりは毛頭ないが、
幕引きするタイミングを逃せば、いつまで経っても仕事と人生の切り分けが
できないまま、やがて体力が尽きてしまうだろう。そうならないために、
私は仕事とは無関係に打ち込めるもの、どうせやるなら「芸は身を助く」に
通じるものを見つけようと、何年もいろいろかじりながら探してきました。

着物?いやあれは前述の通り衣食住の一部で、もはや必須の分野でんがな。
だから除外。
庭造り?うーん、悪くないけど、自然任せの部分が大きいのであんまり
能動的ではない(それほどのめりこんでない爆)。どちらかというと余暇の
部類だろう。てなわけで除外。
ならば筋トレ??いやいや、あれは健康維持のために必須に入る。
むしろ着物ポジションだわ。ギャップありすぎてセットにするとなんか
笑えるけど。除外。

で、残ったのは…

回答:書道だったりする。
そう、書道。これが近年まれに見るハマりよう。
ペン字よりのめってるかもしれない。実は日本画もかじり始めています。
経費をかけたくないのでデジタル方面限定ですが。まだまだ初心者だけど、
少しずつ描きたいものが見えつつあります。



なんか本来の書きたかった内容とだいぶズレちゃったような…?
まぁいいか。

神道によると、人間はこの世で修行…魂(たま)を磨くために生まれてくる
のだそうです。つまりもし、輪廻転生があるとしたら、今生の努力や経験、
培った知識は何かのかたちで次のステップに反映される…らしい?
真偽はさておき。

ここまで書いてみて、今の心境を一言で表すなら「諦観」ですかな。
"諦"という字は入っているけれど、諦めて悟りをひらくという悲観的な
意味合いではなく、本来の仏教用語としての
「物事を諦(あきら)かに見る=悟りの境地から物事を見る」
こっちの解釈の方がニュアンスとしては近いです。

身も蓋もない話ですが、生きとし生けるもの、いずれこの世を去ります。
いかなる偉人も、あの世には何一つ持っていけません。
みんなそうして命を繋いできました。
母を間近に看取って以来、日々メメントモリを反芻するうちに、いつのまに
このあたりの死に対する認識が180度変わってしまったらしい。
死への恐れを受け入れてなお、むしろ生きることに真摯でありたいと
強く思うようになりました。何をか悲しまんや。

抗うでもなく、何代も引き継がれたお古の着物のようにはいかなくても、
生きているからにはこの世に何か少しでも痕跡を残したいと願ってみる。

自分なりに表現したいもの、仕事の中で実現させたいもの、守りたいもの、
人それぞれ一つ一つを言葉で言い表すことはできないけれど、すべてを
抱えて走る自分がたどり着いた先におそらく「ああ、私は存分に生きた」と
思える彼岸があるのだと思う。

そこに集約される「生きた証」が、最期の一瞬でもいい、
どこかで激しく輝いてくれればそれでいい。
そんな風に夢を見ながら。
今日も「魂磨き」にちまちま時間を割いていく今日この頃です。

ああ、今夜は流れ星が見えるかな。



今日の一曲 

POPEE the クラウン(日本語ver.)

青柳常夫(2002)


(元ネタがニコ動にしかなかったようですがリンク
貼りました。↑オリジナルバージョンもぜひ聴いてみて!)

はい今回の〆。
重くなりすぎた話題は最後の最後で
木っ端みじんにぶっ壊します常套手段。
何度目だよ(笑)これを人はマッチポンプと言う(?)。
てか、この曲知ってるコアなファンいるかな?!?

元ネタは20年ほど前にキッズステーションで放送されていた、
「ポピーザぱフォーマー」というブラックユーモアにも程がある
CGアニメのオープニングテーマです。歌詞がぶっ飛んでいて、
オリジナルバージョンはもはや日本語の体をなしていません。
それなりに意味はあるけど。
歌っている青柳常夫さんは元々素晴らしい美声の持ち主なのですが、
本作では「どっから声でてんの?!」みたいな妙に訛りの入った
素っ頓狂な歌いまわしでリスナーのマインドをポピーよろしく
破壊しにきてくれるのでおススメ(?)。その中毒性は本コラムで
紹介した楽曲でも随一のレベル(だと思う)。
オリジナルはアレですが、日本語バージョンはなぜか秀逸な歌詞ときた。
その中に、今回のテーマにびったりマッチする一節があるので一部
抜粋しますです。

♪100年後は誰でも この世の中いないなら
愛してごらん あとは運に任せて
(原曲)♪メソメソリロ ハジケボン ウタイダスヨ ドレシラリン
ウキウキポレロ カメハエレキ タジラドン


曲調も楽しいし、口ずさんでいると自然と元気が出てくる
(あるいはサツ意が湧いてくるw)不思議な歌。
気持ちが沈んでいるそこのアナタも、レッツ・シング。
しかしまぁオリジナルバージョンがまともに聴くだけあまりにも
何じゃこりゃな内容なので、その良さがなかなか一般に理解されません(笑)
今ではネットの力で全曲視聴できるようなので、
気になる方はぜひ覗いてみて下さいね~。

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