若女将コラム

日々西屋と山を駆け巡る湯守兼女将による、自由奔放すぎるコラム改めエッセーコーナーです。
人生は奇想天外に生き抜こう。趣味のことや日々思う事etc...ほぼ西屋に関係ない話題ばかり載せています。

若女将エッセー

2021年08月

2021.08.22

黒の石碑に拓本は…ない!





二十四節気は処暑。
日一日と秋らしさが感じられてくる頃です。

西屋でも館内の額etc一足早く初秋模様に切り替えました。
毎度恒例、調度で季節を先取りするの巻。



さて、こちら2階のメイン廊下の前に掛けた書です。
自由闊達な筆運びで、なかなか味わいのある短歌が綴られています。
落款は「白峰」とありますが、それ以上の情報がないため
具体的な作家名が分かりません。それ以前にそもそも

「なんて書いてあるか分からない=お客様に聞かれても答えられない」
という致命的な理由のため、実は長年飾られることがありませんでした。
かくいう私も書道学習前は最初の「秋」しか読めなかった。
なんだかんだで不遇な作品だったりします。

フッフッフッ…ならば頑張っちゃおうではないか。
何のためにこうして書道を始めたとおもっちょる。
まだまだ草書&かな文字歴2か月ちょいの初心者ですが。
今年こそはどうしてもいい場所に飾りたかったので、勉強を兼ねて
解読に取り組んでみました。

その結果… 






(↑臨書。)

練習しながら書いたんでひん曲がってます。スキャンする自信はなかった…



(↑現代かなと漢字に書き直し。)


ムスカ 「読める…読めるぞ!!」   

よもやこの歳になって、
あの大佐のヤバい歓喜にハゲ同意する日がこようとは(笑)



何はともあれ、今まで全然出来なかったことが
少しずつ出来るようになっていく過程はいくつになっても
ワクワクするよね!なんか以前にもましてヤル気が出てきたよ!!

社長「…じゃあ次のお題はこれだ。」



とばかり指し示されたのは、これ↑。

現在茶の間ミニギャラリーの一角に広げられている、
西屋十六代目清右衛門こと清秀氏の短冊集。
六双の屏風に全部で三十九首の短歌が貼り付けられています。



ふむふむ、書いた時期はだいぶバラバラのようだけど、
当時の暮らしぶりや故人の思いが偲ばれて、どれもなかなかに味わい深い
ものがありますな。比較的癖の少ない字。だがしかし、漢字の草書体と
かな変異体はしっかり混沌(まざ)っている。
というか漢字多めのせいで全体的に難易度高め。

それをサラリと読めって父ちゃんアンタ。
「今日の晩ご飯なにかな~♪」みたいな感覚で簡単に言うんじゃないよ。
買い物リストをちゃちゃっとメモる感覚で草書をスラスラ書いていた
昔の人のようにはいかないんだかんね。

でも、くそぅ。壁があると乗り越えたくなるのが今の私。
頑張る。頑張ってやる。
もしも今年中に全部読破できたら…褒めてくれ(笑)。



今日の1曲 

"One More Time" - Discovery

Daft Punk (2001)

松本零士氏の大ファンを公言しているフランスの
ハウステクノグループ:ダフトパンクの2ndアルバムから。

リンク先はもちろん同曲がBGMになっている
インターステラ5555」の冒頭シーンです。
主人公のステラ(メーテルそっくりさん)が所属するバンド
「クレッシェンド―ルズ」のライブを聴きながら、街で職場で
キラキラした照明の下でどこでもかしこでも老若男女が踊る踊る。
近未来的な自家のテラスでノリノリで腰を振るおばあちゃん家族が
なかなかシュールで草。どこの昭和だ。
ほかにもバンドメンバーとしてロン毛の鉄郎もどきが出てきます。
で、揃いも揃ってみんな肌色真っ青です。
なんせ宇宙人という設定なので。

「インターステラ5555」は無声アニメ映画で、
「ディスカバリー」に収録されている各曲のビデオクリップを
一つのストーリーにまとめた珍しい作品。2003年製作ですが、
初期の宇宙戦艦ヤマトと同時期作と言ってもいいくらいレトロ感満載。
例えばABBAのダンシングクィーンや、数々の昭和SFアニメが大好きという
方にはドツボだと思います。
もちろんストーリーもなかなか秀逸。作中ダフトパンクの2人が某受賞
会場でしれっと出演しているのもミソ。後の「トロイ・レガシー」である。

さぁワンモアタイム。

2021.08.20

【人生の話2】磨き玉(魂)は流れ星となって眩い軌跡を描く



赤い穂のススキ~
なんて宣ってInstagramに上げた写真↑ですが、よく見たら萱だったオチ。


巡り巡って今、こうして山の中で旅館の女将やっている自分は幸せか?
私は私のやりたいことを見つけられたか?
今私には、成し遂げたい目標はあるのか?


えー、前回の末尾で盛大に墓穴を掘りました。
よく考えなくてもめちゃくちゃ答えづらいお題を自分自身に吹っ掛けて
書き逃げしてしまった。それも3つも(笑)
フラグは回収しないと書き物が完結しないので、
腹を括って一つ一つ回答していく形でまとめました。



「山の中で旅館の女将やっている自分は幸せか?」

(我ながら地雷踏みまくりの質問だな!)

着物をこよなく愛し、亡き母共々長年お世話になった恩人でもある
寒河江市在住御年91歳のおばあちゃん。
先日彼女から、ご厚意でたくさんの夏着物をお譲り頂きました。
予めちゃんとした呉服屋さんにクリーニングを委託したのでしょう。
長箱の中にぎっしり詰められたたとう紙の中の着物は、どれもしわ一つ
なく折りたたまれ、移動時に着物がずれないための紋紙も丁寧に挟まって
いました。




よく見たら本麻の着物が2枚↑、同じく麻の長襦袢↓も入っていた!!
いやマジでいい品ばっかり。興奮する気持ちを抑えてそれぞれ袖を通して
みましたが、年代のわりに大柄な体格でいらしたおかげで、どれもほぼ
お直し不要で着れる身丈と裄でした。おわー、嬉しいい。さぞ値が張った
であろうことは想像に難くありません、そも他人である私が頂いちゃって
いいんだろうか…いつも思う。でも、
「子や孫はもう誰も着ないというし、このまま箪笥の肥やしに
なってゆくよりは、着る人の手に託される方が着物は幸せなのだ」
と認められた同封の手紙を読むと、私はその想いを託してもらえたのだと
感謝と共に納得してしまえる。



ああ、いかにも着こまれた生地の柔らかさがいい。
このやや黄ばんだ麻の襦袢の味わいもまたいい。
元の持ち主のひとかたならぬ着物への愛着、苦楽を共に歩んだであろう
長い年月を感じます。そうして着物は生きたまま世代を渡り、誰かの
想いを纏って静かに風格を増していくのだ。
だから私は昔の着物が大好きだ。




(↑偶然?西屋の家紋である「丸に片喰」が銀糸で刺繍された絽の色無地。
紗袷かと思ったら、裏地に地紋が入ったちょっと珍しい生地だったと分かり
吃驚。法要でも茶会でもちょっと改まった会場でも着ていける万能着物!)

素敵な着物を頂くたびに、着物好き(というか既に生活…衣食住の一部に
なっている)でよかったと心から思うのでした。
まるで大事な日記のように、自分の知らない時代や人生を受け取れたような
幸福感が味わえるからね。

尤も、今着物を着ているのは意図して「女将」であることを言外にアピール
している意味合いもあります。ものぐさであまり対話を得意としない
私にとって、見た目だけで立場を理解してもらえるのは一石二鳥なのだ。
まさに僥倖。

ならば、そもそも私は女将になりたかったのか?
と改めて問われると、実は答えは

嫁いですぐの頃からしばらく子育てで奥に何年も引っ込んでいたし、
まして嫁ぐ前は西屋の表舞台で自分がどう立ち回るかなんて、何年後
自分がどんな姿で何をしているかなんて、はっきり言って想像すら
していませんでしたから。少なくとも身を固めることで、それまで
根無し草のようにあちこち転々と暮らしていた無味乾燥な日々と
別れを告げ、それなりに穏やかな日々を過ごせるだろうと思い描いた
くらいで(お前どんな生活していたんだ?というツッコミはナシで!)。

…かくして。そんな期待は転入後いとも容易く打ち砕かれたのであった。
修羅場なんていつだって人生いたるところに転がっているもんだとばかり。
うぉおおおそんなん分かっとったわ!!

時代が少しずつ進み、世の中が変遷し、バーチャルがリアルを凌駕し、
こちとら人手が徐々に減り、だんだんと現場で担う役割と負担も増え、
遂に今まで誰も受け持たなかった湯守を完全に引き受け、ぐぉおヤバい
これ以上抱えられないかも…というメンタル瀬戸際に立たされた瞬間、
漸く気づいてしまいました。

「なんだこれ苦しい。なんだこの商売の辛さは。
なんだこの仕事のキツさは。なんだこの自然の厳しさは。」

ここで自棄をおこして「(酒)呑んでやる!」
…などと暴走しなかった自分を褒めてやりたい。
子供が生まれると妙な肝が据わるらしい。むしろこの状況に陥って
「(味噌汁)呑んでやる!」なんて斜め上の思考に走ってしまうのが
私である。てか味噌汁w

ま、ダメで元々だから!
どうせなら誰もやらないようなぶっ飛んだことをやってやろう。
そうやって沈む気持ちを無理やり打ち上げた私は、あれよあれよと
いう間に湯守になり女将になり調理場の欠員補充で包丁を持ち、
気が付けば温泉や泥や時々下水やらかぶりながら最前線でマシンガン
連射していました。マシンガン=気合。
そして溜まりにたまった鬱憤をコラムで吐く日々。
予定は未定、行き当たりばったり、走り出したら止まらない。
廃れたのか逞しくなったのか分りまませんが、ぶっ倒れていないから
とりあえず今のところは大丈夫だろう。
幸か不幸か性格がこんなんだから、そこには「なぜこうなった?」とか
「いつからこんなことやっているんだろう?」みたいな小休止は持ち
えませんでした。なにしろ迫りくる列車の前でひたすらレールを敷く
がごとく、毎日が待ったなしだから。
そうしてコロナ禍が深刻さを増し、オリンピックの夢から醒めた
今頃になって初めて、いつの間にエネルギー切れ寸前になった状態の
まま、発射5秒前の打ち上げ台で無駄に焦って悪あがきをしている自分に
気づいたのでした。
本当は自分が思う以上に疲れていたらしい。
力を抜くことが心底怖いと思うほど。

さて、ここで前回の問いだ。
「旅館の女将やっている自分は幸せか?」

回答:幸せじゃないが苦しい楽しいチクショー。 

ぜんぜん答えになってない(笑)



「成し遂げたい目標はあるか?」 

高校時代、美術の先生と同じくらい忘れられない言葉をくれた恩師が
もう一人いました。政治経済担任の先生。見た目だけを例えるなら、
つげ義春の漫画に出てくる頭もじゃもじゃのモブおじさんみたいな
素晴らしくあか抜けない風貌(例えw)。
よほどの和牛好きだったのか、ぴちぴちの女子高生に向かって
「おしゃべりしてないで話を聞けこの霜降り!!」「脂肪の塊!!」
と身も蓋もない暴言を飛ばし、権力には逆らうのが美徳とばかり
左巻きを公言し、口から出る講義もザ・社会風刺画…それでも言葉の
端々に生徒想いの優しさがにじみ出る、なんとも憎めない先生でした。

そういや同期だという倫理担任の先生となぜかしょっちゅう
「愛の本質はエロスか?アガペーか?」で舌戦論戦を繰り広げていましたが、
あれから決着はついたのだろうか??(余談だが私は前者派だ!)

その政経の先生が、そろそろ進路決定に差し掛かった迷える私達に授業中
静かに説いたのが

「若いうちは、たとえ途中で失敗しても、あらゆる道筋から人生の
立て直しが可能だ。そして当然歳を取ればとるほど、軌道を修正する
上での選択肢は減っていく。体力的にも、時間的にも。
しかし、"可能性は決してゼロにはならない"」

一時は忘却の彼方に追いやっていたこの言葉。
今になって、驚くほど鮮やかによ蘇ってきます。

観光業界の未来は全くもって不透明です。ぶっちゃけコロナ云々以前から
国内観光業は遠回しに前途多難と言われていました。
就職以来全くの異業種にいた私は、こんな事情、嫁来るまで知らんかった。
社寺仏閣と同じで、文化的側面が強い温泉旅館商売は時代に囚われず
細く長く続くものだと勝手に想像していましたから。
今は就職先の花形と言われた大手の代理店や公共交通機関でさえ
苦境に立たされているわけで、表には出さなくとも、みんな同じくらい
不安な気持ちを抱いていると思います。仕事面だけじゃなく、生き方
自体ますます望む道が見えにくくなってきているように感じます。

生きていて、こんなに不安で苦しくて、一体人生何の意味があるのだろう。
どこで道を違えてしまったのだろう。今がつらいと、悔恨と共につい
そんな思いが頭をよぎります。でも、ここで気づいてほしい。
生きていることに「意味」を見出そうとしていること自体、そも生きる
ことに真摯に向き合おうとしている証拠だと。もうどうでもいいや~
と簡単に人生投げ出していない自分を、ぜひ今すぐ滅茶苦茶褒めて
あげてほしい。

私も過去滅茶苦茶やってきましたし、まー、寄り道も人一倍多かったと
思いますが、今日まで過ごしてきた日々は何一つ無駄ではなかったと
今は信じています。なぜならその一つ一つが、今を生きる力・糧に
なっている(と幸いなことに実感できている)から。
不安なら不安な分だけ、今の場所でできる限りの手を尽くせばいい。
必ずのちに何らかの形で財産になってくる。
政経の先生の言葉は正しかった。
諦めずに生きている限り、可能性はゼロにはならないのだ。

回答:もしも世の波に打ち負け、最悪生き方を根本的に変えなければ
いけない日が来たとしても、「あの時私は全力を出し切った」と
清々しく振り返られるように、後になって後悔しないように、
自分を信じて全力で商売をやりきる。



「私は私のやりたいことを見つけられたか?」 
…これ、ほぼ人生の総括だよね?



現在私は西屋で女将をしておりますが、寄る年波に逆らうつもりは
ありません。先のことは分かりゃせんが、経済状況が許す限り、
いずれ体力があるうちに現役リタイアして、何物にも属さない自分だけの
人生にスイッチを切り替えたいと考えています。
さて、その時に自分は何をしていたいだろう?
その時の自分が夢中になって取り組んでいることは何だろう?

別にね、大物になりたいとかそんな野心は全くありません。
まぁ、余暇には気ままにお菓子を作るでもいいし、もしもその時子供達が
結婚し親となっていれば、できる範囲で家族を助けてもあげたい。
そのためには第一に元気でいなきゃいけないし、適度な息抜きも必要だ。
夢だねぇ…(遠い目)。

ともあれ、そんな理想の第二の人生スタート地点から逆に今を辿って、
私という人間の輪郭をとらえようと、ここ最近ずっと模索しています。

転機は去年の母の死でした。終活もままならず世を去った母との別れは、
遺された思いと共に、逆説的に「今この瞬間をいかに悔いなく生きるか」
という命題となって全人生単位で私を突き動かし続けています。
自営業は定年がないから、どこでその終止符を打つかは自分で判断
しなければなりません。うちの大女将もそうですが、一つ前の世代に
よくみられる、商売に夢中になると「趣味なんかに割く時間はない」と
言い切ってしまえるタイプ。確かにストイックでカッコイイとは思う。
でもね、残念ながら、人間の身体は永久機関ではないのだ。
それを生き甲斐とする人生を否定するつもりは毛頭ないが、
幕引きするタイミングを逃せば、いつまで経っても仕事と人生の切り分けが
できないまま、やがて体力が尽きてしまうだろう。そうならないために、
私は仕事とは無関係に打ち込めるもの、どうせやるなら「芸は身を助く」に
通じるものを見つけようと、何年もいろいろかじりながら探してきました。

着物?いやあれは前述の通り衣食住の一部で、もはや必須の分野でんがな。
だから除外。
庭造り?うーん、悪くないけど、自然任せの部分が大きいのであんまり
能動的ではない(それほどのめりこんでない爆)。どちらかというと余暇の
部類だろう。てなわけで除外。
ならば筋トレ??いやいや、あれは健康維持のために必須に入る。
むしろ着物ポジションだわ。ギャップありすぎてセットにするとなんか
笑えるけど。除外。

で、残ったのは…

回答:書道だったりする。
そう、書道。これが近年まれに見るハマりよう。
ペン字よりのめってるかもしれない。実は日本画もかじり始めています。
経費をかけたくないのでデジタル方面限定ですが。まだまだ初心者だけど、
少しずつ描きたいものが見えつつあります。



なんか本来の書きたかった内容とだいぶズレちゃったような…?
まぁいいか。

神道によると、人間はこの世で修行…魂(たま)を磨くために生まれてくる
のだそうです。つまりもし、輪廻転生があるとしたら、今生の努力や経験、
培った知識は何かのかたちで次のステップに反映される…らしい?
真偽はさておき。

ここまで書いてみて、今の心境を一言で表すなら「諦観」ですかな。
"諦"という字は入っているけれど、諦めて悟りをひらくという悲観的な
意味合いではなく、本来の仏教用語としての
「物事を諦(あきら)かに見る=悟りの境地から物事を見る」
こっちの解釈の方がニュアンスとしては近いです。

身も蓋もない話ですが、生きとし生けるもの、いずれこの世を去ります。
いかなる偉人も、あの世には何一つ持っていけません。
みんなそうして命を繋いできました。
母を間近に看取って以来、日々メメントモリを反芻するうちに、いつのまに
このあたりの死に対する認識が180度変わってしまったらしい。
死への恐れを受け入れてなお、むしろ生きることに真摯でありたいと
強く思うようになりました。何をか悲しまんや。

抗うでもなく、何代も引き継がれたお古の着物のようにはいかなくても、
生きているからにはこの世に何か少しでも痕跡を残したいと願ってみる。

自分なりに表現したいもの、仕事の中で実現させたいもの、守りたいもの、
人それぞれ一つ一つを言葉で言い表すことはできないけれど、すべてを
抱えて走る自分がたどり着いた先におそらく「ああ、私は存分に生きた」と
思える彼岸があるのだと思う。

そこに集約される「生きた証」が、最期の一瞬でもいい、
どこかで激しく輝いてくれればそれでいい。
そんな風に夢を見ながら。
今日も「魂磨き」にちまちま時間を割いていく今日この頃です。

ああ、今夜は流れ星が見えるかな。



今日の一曲 

POPEE the クラウン(日本語ver.)

青柳常夫(2002)


(元ネタがニコ動にしかなかったようですがリンク
貼りました。↑オリジナルバージョンもぜひ聴いてみて!)

はい今回の〆。
重くなりすぎた話題は最後の最後で
木っ端みじんにぶっ壊します常套手段。
何度目だよ(笑)これを人はマッチポンプと言う(?)。
てか、この曲知ってるコアなファンいるかな?!?

元ネタは20年ほど前にキッズステーションで放送されていた、
「ポピーザぱフォーマー」というブラックユーモアにも程がある
CGアニメのオープニングテーマです。歌詞がぶっ飛んでいて、
オリジナルバージョンはもはや日本語の体をなしていません。
それなりに意味はあるけど。
歌っている青柳常夫さんは元々素晴らしい美声の持ち主なのですが、
本作では「どっから声でてんの?!」みたいな妙に訛りの入った
素っ頓狂な歌いまわしでリスナーのマインドをポピーよろしく
破壊しにきてくれるのでおススメ(?)。その中毒性は本コラムで
紹介した楽曲でも随一のレベル(だと思う)。
オリジナルはアレですが、日本語バージョンはなぜか秀逸な歌詞ときた。
その中に、今回のテーマにびったりマッチする一節があるので一部
抜粋しますです。

♪100年後は誰でも この世の中いないなら
愛してごらん あとは運に任せて
(原曲)♪メソメソリロ ハジケボン ウタイダスヨ ドレシラリン
ウキウキポレロ カメハエレキ タジラドン


曲調も楽しいし、口ずさんでいると自然と元気が出てくる
(あるいはサツ意が湧いてくるw)不思議な歌。
気持ちが沈んでいるそこのアナタも、レッツ・シング。
しかしまぁオリジナルバージョンがまともに聴くだけあまりにも
何じゃこりゃな内容なので、その良さがなかなか一般に理解されません(笑)
今ではネットの力で全曲視聴できるようなので、
気になる方はぜひ覗いてみて下さいね~。

2021.08.14

【人生の話1】人生ようつべみたいなもんだ





整体の通院時に見かけた上杉神社お堀端の満開の蓮。
見事じゃー!
と、感激してバシバシ写真を撮っていたら、いつの間に水面に浮かんできた
カメが一匹、四肢をダラーンと伸ばしたままこっちを見上げていました。



…めっちゃ固まってる。
そしてめっちゃガン見。



わー!なんだお前ぇええ
いつまでもこっち見んなww




いつも元気な筋トレボンバー!で(勝手に)お世話になっている
女性Youtuberさんが、先日NHKの某番組に密着取材を受けて登場していました
(仕事の合間だったのでチラッとしか観れませんでしたが)。
ぉお~吃驚。
いい内容の動画だと思っていたけど、そんなに有名な人だったんか…凄いなぁ。
彼女は様々な自宅トレーニングメニューの伝授や美容・ダイエットグッズの
紹介など健康系コンテンツを発信するチャンネルを運営しています。
かくいう私も、彼女の何種類もの宅トレ動画から自分の目的に合った内容
(ほぼ30分以上のロングバージョン)を厳選して毎朝どMに汗かいていますが…
筋トレ特化系はぶっちゃけキツイ。
かんなりキツイ。
この凡庸なアラフォーですらガチガチに筋肉踊るくらい痛気持ちい苦しい(笑)。

だいたい動画提供しているご本人がデモンストレーションしながら
「めっちゃキツイー!」だの「ぎゃー!!」だの可愛く悶絶しているんだから、
その効果は折り紙付き。でも同時に、「途中で諦めないで」「頑張ったのえらい!」
「間違っても下手でもいいのだ!」「明日はもっと綺麗になれる!」
「私の時間は私だけのもの!」etc...壁に貼りたくなるような超ポジティヴテロップを
折々散りばめてくれるので、途中まじギブしそうになってもほぼ確実に最後まで
頑張れてしまうのです。

あぁ、上手いなぁと思う。そのはたらきかけ方、意欲の上向かせ方が。
その実、相当な苦労も経験してきただろうなぁと思う。
頑張った自分を褒めてあげよう。自分のことを誰よりも好きになろう。
誰もがいつだって欲しいその言葉の重みを理解し、屈託のない笑顔で
モニターの向こうの見えない相手に伝え続けられる彼女の強い意志は、
実際多くのファンの心を掴んでいます。
うん、私も宅トレ引き続き頑張るわ。

今時子供たちが将来なりたい夢のランキングで常に上位に陣取る「Youtuber」
という職業(?)ですが、私達が画面越しに見ている場面は彼らのほんの一部に
過ぎません。短い動画を編集してUPするだけでもいろいろな裏作業が必要だろうし、
まして人を惹きつけ、あまつさえファン(チャンネル登録)を集め、注目される
コンテンツを作り続けていくのは並大抵の努力ではなかろうと思います。

ユーチューバーに限ったことではありませんが、苦労を乗り越えて成功をおさめた
彼らは、総じて成し遂げたい目標(あるいは使命感)をかなりしっかり持っている
ように感じます。
ただ好きだからという理由だけでキャリアを築いてきたわけじゃない。




成し遂げたい目標…自分の人生で是非ともやりたい事。

うーん…実によく聞くフレーズ。下手すると陳腐にさえ思える。
なのに、改めて向き合おうとした途端中身が果てしなく重くなるのはなぜだ。

自慢じゃないが、長い間私には↑のようなパッションがありませんでした。
お世辞にも順風満帆な人生とは言えなかったし…(遠い目)。
ならば今、私はその目標とやらをちゃんと把握できているだろうか?
日々きちんとそこに向かえているだろうか?
ちょっとクソマジメになってみる。

いや、なんでこんなことを考えちゃってるかというと、
最近子供たちの将来について考え、語り合う機会がめちゃくちゃ増えたからです。
いわゆる『将来の夢』についてマジメに語る(というか説く)会。

「(みんなが憧れてるから)アイドルになりたい」
「(カッコイイから)宇宙飛行士になりたい」

…あー、あるある。

あの日あの頃誰もが通った道ですね。
大概ちびっこは、今ハマってるものと輝く大人への憧れ等々一緒くたにして、
将来の夢を文字通り夢みたいに語っちゃうことが殆どです。いいんだよそれで。
むしろ微笑ましいよ。だってちびっこだもの。
しかし周囲の大人たちは、そんな子供の自主性・時々ちょっと斜め上に走る
ベクトルを遠巻きに容認したまま、夢と現実の境界線をきちんと教えていない
場合が非常に多いような気がします。ちょっと前の自分も含めて(汗)
そろそろマジメに将来考えるべき年頃になっても、未だふわふわした
夢みたいな将来を思い描いてしまう子供達を見ていると、「やばい世の中
そんなに甘くない」と我が事のように焦ってしまう。

そこで私は私なりに自分の経験も踏まえ、我が子等には
「興味(好きなこと)」と「将来の志望」は敢えて分けて考えろと諭しています。

はー、我ながらめちゃくちゃ現実的。
本来子供達に無限の未来を語るべき親の考えとしてどうなんだろう?!と一瞬思う。
しかし、子供たちのこれからの実りある人生を思いやるに、ここだけはどうしても
はき違えちゃいけない気がしてならないのです。

ほら、例えば趣味をそのまま生かして(あるいは趣味が高じて)仕事にしちゃう
夢のような生き方。凄く幸せなことだとよく言いますね。私もその通りだと思います。
でも、それを本当に実現させるまでの道のりは決して平坦じゃない。
よほどの才能と運にでも恵まれない限り。そしてよしんば職業にできたとしても、
最終的なリタイア期含め、行く先にはいくつもの大きな障壁にぶつかるだろうことは
容易に想像がつきます。
(ネガティブな発想ではないよ!一般的な人生の道程だって山あり谷あり、順調な
ことばかりじゃないからね。)
そもそも趣味でいるうちは好きだったはずなのに、努力して仕事に(お金が発生)
アップデートしたとたん、思いもよらない制約が付いて回って
「こんなはずじゃなかった」になるパターン、多いはず。
お勤めしてお金を得ること自体決して簡単なことではないけど、好きを敢えて
仕事にしたことでかえって本当に好きなことができなくなったり、才能を認められず
収入がままならない日々が続いたり、結局挫折して、曖昧な夢を抱いたまま
希望とは全く違う職業に就いていったり…。私の周りにも、幾人かそんな友人・
知人がいます。
まぁ、何を隠そう私自身その一人だったりする。ぶっちぎりの未遂だが。

進路の判断を誤ったというのとは違うと考えています。間違いじゃないんだ。
「好きでありつづける」ことの覚悟が、きっと自分が思うほど強くなかった。
ただそれだけ。
考えが甘かったから、覚悟が足りなかったら、本当の意味での興味本位でしかなかったから、
いつのまにか好きが苦痛になり、現実の壁にあっさり敗れてそれを捨ててしまった。
少なくとも私自身の過去はそうでした。

子供は当然人生経験も浅いから、夢や希望に見え隠れする現実への理解が
どうしても後手になりがちです(そうじゃない子ももちろんいますが)。
せっかく夢や希望があるのに、それを自分の手で握りつぶしてしまう。
そんなもったいない人生の歩き方は我が子にはしてほしくない。
好きな事を見つけたのなら、それがどんなかたちであれ、きちんとできる
豊かな人生を歩んでほしい。親としてはそう思っちゃうわけです。
だから、本当に好きな事、やりたい事、これが自分の趣味だ!と夢中に
なれるものを見つけたのなら、子供の覚悟の強さを見極めたうえで
(←ここ大事)、まずはそれに思う存分没頭するための時間と
収入を確保できる就職先を絞っていけ(つまりは区別したほうがいい)と、
そういう誘導の仕方を今から始めているわけです。
はー、翻って私の話をしよう。
高校生の頃、一番夢中になった教科が美術でした。
人物画はダメダメだったけど、装飾品や模様あれやこれを描くのが
ちょっと得意でした。
将来の進路を決める時期に差し掛かって"何になりたいか”と考えた時、
私は「絵描くの好き~」なんてふにゃふにゃした気持ちのまま
デザイナー?文化財修復家?イラストレーター?まー、だいたいそんな
方面に進みたいなー。なんて軽い気持ちで美大を志望し、当時美術を
担当していた恩師に進路について相談に行ったことがありました。
彼女は私の描いた絵を折々とても褒めて評価してくれる先生だったので、
希望に沿った進路を指し示してくれるものだとばかり思っていました。
しかし恩師は開口一番
「あなたには向いていない。自由に絵を描いていた方がいいものができる」
とあっさり拒否回答してきたのでした。
いや、ショックだった。
つまりは才能がないと切り捨てられたのだと思ってしばらく立ち直れず
(この時点で高校3年半ば…阿保だー)、よく分からん心境のまま結局全く
畑違いの方向(心理学(笑))に進んでいったわけです。

今思うと、範囲でかすぎだろもっとやりたいこと掘り下げとけよ!とか、
もっと地に足つけて世の中よく見ておけよ!とか何とか、当時の自分を
全力でぶん殴りながら小一時間ツッコんでやりたいところですが、
悲しいかな時間を巻き戻すことは絶対にできません。

紆余曲折、あれから何十年も経ちました。
巡り巡っていま、こうして山の中で旅館の女将やっている自分は幸せか?

もう一度自問自答する。
私は私のやりたいことを見つけられたか?
今私には、成し遂げたい目標はあるのか?
…(続)

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