若女将コラム

日々西屋と山を駆け巡る湯守兼女将による、自由奔放すぎるコラム改めエッセーコーナーです。
人生は奇想天外に生き抜こう。趣味のことや日々思う事etc...ほぼ100%西屋に関係ない話題を思いつくまま載せています。

春先から新しく始めた3つの「燃え」-③

 


この春から池坊に入門した長男が、先日教室で生けた花。
曰く、七夕がモチーフとのこと。男の子らしく伸びやかでグー。
伝統文化を通して、今日も親子で切磋琢磨。
心胆は褒めて鍛えよ明日のため。

春先から新しく始めた3つの「燃え」

.書道

息子が花なら、母ちゃんが齧り付いたのは書道です。
事始め三連発(という名の公開処刑)の〆。

あー…でもこれだけはノーカンにしたかったと今更大後悔。

だって、だって…今めっちゃくちゃ苦労しているんだもん!!
(このコラム本文書くのもなぜかどえらい難産でした(!))

私は大概なんでも走り出してから考え出すダメな方の直情タイプですが、
書道もその例にもれず。春先突然「やるべ!」と思い立ち、謎の勢いそのまま
文字通り見切り発車でスタートしました。
先のこと考える暇なんぞない。愛も大事にしなかった(笑)

だから自分でツッコんでみる。なぜ書道。



基本動作練習中。始めたばっかりの頃です。
和紙の上で筆を滑らせる感覚が懐かしくてすごーく楽しい。
微妙に薄墨なのは固形炭のスリスリが足りなかったせいだ!

以前から「書く」という作業がわりと好きでした。
子供の頃に何年間か書道を習ったことがあり、その記憶を頼りに
たまぁに西屋での看板やお品書きを書いたり、硬筆ですが、
お客様にお礼状を書くとき恥ずかしくないようにと数年前
ユー〇ャンのペン字通信講座を受講し、一応修了証受領まで
通したりもしました。今でもテキストは時折有難く読み返しながら、
書道三体字典と合わせて見返しては細々~と練習しています。

でも、本格的な書道だけはなかなか手が出ませんでした…
カッコイイとは思っていたけど。
なんとなく、自分には遠く及ばない高尚な世界という先入観が
ぬぐえませんでした。これには深いわけがあります。

書道へ心向かう小さなきっかけをくれたのは、
生きて会うことが叶わなかった父方の祖父でした。

祖父は明治後半生まれ、当時珍しいプロの書道家でした。
父親が小学生の頃に40代半ばで病没してしまいましたが、
若い頃から広く書の才能を認められた人だったようです。
なんとかの横山大観の日本画に書を認(したた)めたこともあるほど。
現物を見たことはありませんが、横山氏本人から届いたという手紙は
未だに実家にあるので、戦火にまみれていなければ今も日本の
どこかにある…ハズ。

祖父は男性ながら、非常に女性的で繊細なかな文字&草書を大変
得意としていました。
草書とは。平仮名の祖先にして、百人一首や源氏物語等でおなじみの、
あの日本独特の優美な「くずし字」の世界。



↑祖父の書のひとつ。落款の脇に小さく「多々夫(ただお)閑(か)く」と
記されています。(祖父の名は忠雄さん)

流れるような筆運びは、国風文化が花開いた平安の、儚くも雅な時代を
どことなく彷彿とさせます。祖母への熱いラブレターも短歌に詠み綴った祖父…
なんつーハイスペックモテ要素。
子供心に思いました。いつかこんなきれいな字を自分も書けたらなぁ…と。

しかし本人とは直接話したわけでも、まして師事したわけでもないから、
肝心の為人(ひととなり)は永遠に知りえません。
だから尚更、そこに永遠に超えられない壁があるような気がしていました。
枕草子や古今和歌集をぶ厚いガラス越しに眺めているような心持。
ぼんやりとした祖父への憧れだけが長い長ーい間、心の底に燻ぶっていました。


・・・そんな折に降ってわいたのがご存じコロナ禍です。
今更言い表すまでもない、怨磋のカタストロフィ。
発狂の一歩手前で、脳内天秤は私に囁きかけてきたのでした。
刮目せよ、これは『大人のモラトリアム期間』だと。
今なら何ができるのかおのずと答えは出てくると。
ハッ!
モラトリアム期間と言えば自分磨き。
自分磨きと言えば…!いつか挑戦したいと思っていたこと!
普段ならなかなか手が出せなくても、このタイミングなら。
どのタイミングだ?いやそれは二の次でいい。
なるほどそれだ、よっしゃ何かあったら全部コロナのせい。
思いついた順からじゃんじゃんやってやろう。
(この辺の文脈ぶった切りっぷりがまさに見切り発車魂。)

…というわけで強制的に冒頭に戻ります。
書道です。

”学び舎”は色々検討した結果、通学は物理的に不可能だと早々に判断し、
スキマ時間に自宅で筋トレハッスルができるN〇K学園の通信講座を
選びました。身体漲るプロテイン。
ちょっと慎重になりすぎた感もありますが、何しろ書道の手習いは
小学校時代以来。初っ端から変な所作がしみ込まないように基本大事と
初心者コースを選びました。

さて書道と一口に言っても、行書や草書などの書体、遊書とも言われる
自由闊達な創作もの、大きな紙に全身で書くパフォーマンス的な書道、
かたや漢詩など古典の知識を得つつ臨書に励むなどなど、興味関心に
応じていろんな表現方法があります。
私はもちろん、祖父にあやかってゆくゆくは草書全般の技能習得を
目指しています。よって通信講座もかな文字のコースにいずれ取り組むべく
主に小筆を頑張りながら、同時進行で字の練習(硬筆)とくずし字を
ある程度読み書きできるように(既に無謀な)トレーニングを
開始したのでした。

はい今ここ。

やっぱり甘い世界ではなかった。
うん、知ってた。
…うそ。ナメてた。




誤魔化したかったけど文章だけではこのコラム、マジで味気なく
なるので恥を忍んで写真UP。ひらがな変異体練習してるところです。
途中から「いろは」モードになりました。まるで呪符。
とりあえず何の字かは…一応…把握しています。
まだまだお手本見なきゃ書けないレベルですが。。

古典の草書でつづられる平仮名には、現代のかな文字の原型となった
漢字のほかに、実は何種類もの漢字があてられています。
どういう法則で使い分けるのかはまだよく分からないけど。

まずこの字と形をそれぞれ覚えるのが超大変。
例えば「す」の元ネタは「寸」ですが、草書体のバリエーションは
寸の他に「春」「須」「數」「壽」「数」etcある上、字によっては
くずし方そのものが数パターンあったりします。
分かっているだけでもひらがな全体の変異体が軽く200字以上。
ヤバい。お前はアンパンマンのモブキャラか。

しかしここで尻込みしてちゃいけない。漢字の存在を忘れるな!!
漢字の草書体はそれこそ膨大な数…もさることながら、一つ一つが
それこそ何文字?呪文かよ?!ってくらい読みにくいの!
偏やつくりごとにある程度くずし方のパターンがあるので、
そのパターンを覚えれば多少組み合わせを駆使してそれっぽく
書くことはできるものの、当然書く人の持つ癖によってくずし方も
びみょーに異なるので、いきなり古典をひっぱり出されてコレ読め!
と言われましても、手引きなしに解読するのはかなり困難です。

だいたい祖父の書ですらまだ全部は読めてませんし。

…あ、でもよく見たら、1か月前よりだいぶ読めてる。
え…マジか…書道きちんと始める前はほぼ読めなかったのに!
もしかして、ちょびっとは努力が報われてる?んおお~ヤバい泣きそう。

まぁね、純粋に読むだけならまだそこまで難しくはありません。
でもゴールはそこじゃない、私は書けるようになりたいのだ。
どうっしても書きたいものがあるのだ。認めるよ無謀なうえに貪欲なんだよ。
だから筆をとったのだ。

どうする?
書くしかねぇ!
どうやって覚える?
よく分からねぇ!

最初は数学の関数でも覚えるみたいな感覚で、片っ端から
字体字典と睨めっこして、上の写真のように一文字一文字ひたすら
ぽつぽつ真似書きしていました(勿論基本動作は可能な限り踏襲しながら)。
しかしこれ、思ったより効率悪い。一文字ずつ書いていると面白いくらい
さっっぱり頭に入ってこない(笑)
当り前よね、普段使う現代文字と違うんだから。平仮名変異体ですら、
覚えたつもりでも三日後くらいには阿保の子みたいに忘れる。
私はニワトリか。実にこの繰り返し。

毎日ひたすら書き続けてなきゃ挫折しちゃう。
それも意味のある文章をきちんと書かなきゃ余計覚えられない。
そもそも集中する余裕を確保するために、普段の時間の使い方から
見直さなきゃいけないレベルだとここでやっと気づきました。

もちろん日がな一日書道ばっかりやっているわけにもいかないので、
先達やテキストの先生がしたためたお手本や短歌、文に折々目を
通してはひたすら目を鍛え、何なら普段書く文章に変異体を当てはめて
みたり、実践ありきで筆不精なりに手紙を書いたり、ただ単に字が上手く
なりたいのか書道を鍛えたいのかもはやどっちだか分らなくなる程度には
うんうん魘されながら今日も地味に「書」と格闘しています。

だから悶絶。
字を書くのってこんなに大変だったっけ?!!
スクワットや苦手なサイドクランチを延々ぶっ通す鬼筋トレの方が
まだマシに思えてくるよ(笑)

でも楽しい。キツい。楽しい。
ただのミミズののたくった暗号文みたいだった草書の羅列が、本当に、
少しずつ意味のある文章として読み書きできるようになってきてるから。

もうじき1回目の課題提出です。
まずは基本の楷書ででっかでかと自分の名前書いて送ります。
道のりはめちゃめちゃ遠いけど。
祖父ちゃん。私頑張るよ。

極楽浄土の最終目標:
草書体で推しキャラ(もちろんヴィランの皆さん)の名台詞を書きまくる
…実現するのいつだろう…(遠い目)。




今日の一枚

 "二十五絃箏曲「琵琶行」"

伊福部昭 作曲/野坂恵子 二十五絃箏 (1999) 


(まともな音源がネットになかった…)

ゴジラのテーマでおなじみ伊福部昭氏が御年84歳の時に、
筝曲家の野坂惠子さん(惜しくも2019年逝去)のために作曲した現代箏曲。
渾身のソロアルバムです。
伝統的な箏の絃の数は13ですが、野坂さんが開発したという二十五絃箏は
その名の通り25本。胴自体でかいのか、フルコンサートで確(し)かと
存在感を放つ大型のグランドハープにも比肩する、深く迫力ある音色が特徴です。

「琵琶行」は中国の詩人白居易へのオマージュだそうで、全体的に
暗く重い曲調ではありますが、緊張を孕みつつも色っぽく、それでいて
神秘的な二十五絃箏の弛みない音色が、背筋をピンと伸ばし、時に力強く、
時に繊細に書を認める艶やかな筆の運びとイメージ的にすごくマッチします。
共に収録されている「胡哦(こが)」は少し短めの柔らかな曲、
「箜篌歌(くごか)」は伊福部氏の晩年の作でなく、瑞々しい箏の跳ねる
ような響きがなかなか聴きごたえのある名曲です。

武満徹氏が作曲した現代雅楽の金字塔「秋庭歌一具」しかり、
日本の歴史の中で滾々と流れる「音」のルーツに本気で向き合った
曲というのは、どうしてこんなにも魂の奥底まで深く響き渡り、
心を鷲掴みにしてしまえるのだろう。
普段聴いているジャンルとはかけ離れたこれらの音楽に触れている時の方が、
なんとなく、なんとなーく、達筆に字が書けているように思えるのは…
多分気のせいじゃありません。

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