閑話休題 ~私流おもてなし論~
こんにちは。
無散水消雪のスタートと共に極寒モードに入った湯守こと若女将です。
めっきり寒くなりましたねぇ。
最近じゃ「結婚は金だァ!」というバブル期懐かしい爆弾発言で
斜め上の炎上商法を展開するボインなお姉ちゃんが話題になっているようですが、
皆様お元気でお過ごしですか。
商売を営んでいて常々思うのは、ないものは誤魔化さずないと白黒言わないと
ダメだということ。西屋は寒いわバリアフリーじゃないわ部屋にトイレは
ないわで、種も仕掛けもなくないないづくし。建物の雰囲気上年配の方が
「泊まりたい」と強く望まれることが多く、その気持ちだけでも本当に有難い
限りですが、この超がつく不便な館内や過ごし方をどうやってご理解頂くか、
それでも来てくださった方にいかに心安らぐひと時を提供するか…
心折れつつ模索するそんな日々。
愛より金目当てを盛大に公言した上、続く大衆の非難もあっさり
跳ねのけた件のお姉ちゃんのタフさをぜひ見習いたい。
かつてフランスの哲学者ヴォルテールが「真の欲求なくして真の満足なし」と
言ったものだが、彼女はよくも悪しくもリビドー全開で「物事きっぱり宣言」の
意義を体現してくれている。
本音をついつい隠す難しい人よりよほど好感が持てます(とりあえず褒めてない)。
これでお相手が「僕の結婚の決め手は彼女の顔(と"おちち")です」なんて
身も蓋もないコメントしてくれたらいろいろな意味で完璧?!
結婚はその先全てのスタートに過ぎません。末永くお幸せに。
※
今日は閑話休題。
いまやサービス業の代名詞ともいえる「おもてなし」についての話題です。
題して「おもてなしとサービスは別物だ!」
皆さんは「おもてなし」という言葉についてどのように解釈していますか。
数年前滝川クリステルさんの東京オリンピック招致スピーチで絶大な威力を
発揮し、すっかり流行語化した「お・も・て・な・し」。
通常接客業の周辺でよく使われている、あるいは耳にする言葉だと思いますが、
実はこの言葉、とんでもない誤解が蔓延していると非常に危惧しています。
かくいう私も接客業に従事する人間の一人ですが、自ら「おもてなし」という
言葉は絶対に使いません。サービスを提供する側がそれを口にするのは根本的に
間違っていると考えているからです。
なぜか?
説明しよう。
そもそもおもてなしとは何か?から始まります。
身近なところで旅館業に当てはめてみます。
例えば、夕食の準備や提供、お布団敷き、客室の掃除。これは「サービス」です。
お客様が払う代金の対価として宿が提供するもので、要は「仕事」の部分です。
①サービス=仕事
一方の湯守業。これは以前コラムで長々と主張した通り“情け”の部分、
見返りを求めず、ただただお客様の「あぁ~風呂気持ちいぃ~」を目指して
提供し続けるもの。つまり「おもてなし」です。
②おもてなし=情け
∴①②お判りでしょうか。両者は似て非なり。
私は湯守を厳密に仕事(=サービス)とはとらえていません。なぜなら、
必ずしなければいけないことではないからです。
接客スタッフや掃除番はいなければ旅館業は成り立ちませんが、
湯守はぶっちゃけいなくても旅館は回っていくんだな、これが…。
実際数年前まで西屋もそうでした。
今振り返ると恐ろしい話ですが。
湯守が果たす役割は、お客様が宿で心地よい時間を満喫する
(宿への評価・全体的な満足度↑・リピート化する有難い場合もある)上で
極めて重要なポジションの一角を占めます。
しかし、宿泊プランによくある素泊まりVS1泊2食付きのように、
提供するサービスの有無によって同じ部屋でも値段が変わるのとちがい、
「適温でのお風呂提供」そんなバカげた項目の追加料金なんてありません。
提供されていて当然どころか殆ど意識されることもない部分でしょう。
今は無きマ〇ドナルドの「スマイル0円」みたいなやつ。
それを有意義なものと位置付けるか面倒だから省くのか程度の違いであって、
要は湯守に精を出す人間の心の問題になるわけです。
現に私も湯守としてお客様にいつも気持ちよくお風呂に入ってもらいたいという
気持ちを絶やさずに日々務めておりますが、それ自体でお金をもらおうなんて
思ったことは本当に一度もありません。そんなあさましい考えでいたら、
四季折々の水源事情やら過酷な自然やら雪やら虫やら暑さやらで、
たちまち「やってられるか3K!」と投げ出してしまうでしょう。
そんな「相手に気持ちよく過ごしてほしい(もてなしたい)」という気持ちと、
お客様が帰りがけに笑顔でかけてくださる「ありがとう」の言葉が対になって
初めて双方に心地よい空間ができます。
これが②´宿:お客様=50:50の理想的なおもてなし成立のかたち。
実はここにとんでもない落とし穴が潜んでおるのだ。
宿側がお客様に気持ちよく過ごしてほしい(もてなしたい)という素の思い。
本来それはさりげなく届けられるもので、見返りを必要としない部分です。
にもかかわらず、お客様の満足(とリピート)を期待するあまり「思い」を
①仕事(サービス…商品ともいえる)と捉えてしまうことは、従業員への
サービスの強要、メンタルの束縛につながりかねません。
言い換えると、おもてなしというのはお客様が客観的に宿側を評価する際に
使う非金銭的付加価値であって、サービスそのものではないのです。
宿側が押しつけがましく「おもてなし=サービス提供」なんて言うのは
もってのほかです。コストに関係なく無理なサービスを延々提供しなければ
ならない悪循環を自ら招くのは旅館業そのものの疲弊にもつながりかねない。
だから私は「おもてなし」という言葉を使わないのです。
お客様側もまたしかりです。
旅館の女将がこんなことを言ったら頭おかしいと思わるかもしれませんが、敢えて主張します。
「お金を払うんだからもてなされて当然」という考えは間違っています。
この場合、基本的なサービス以上にもっともてなすべきというニュアンスであることが
ほとんどだと思いますが、モチベーション破綻寸前か、人手がなく経営に手一杯で
よほど疲れ切ったところでない限り、どの宿もお店も、お客様に失礼のないよう
きちんと対価に見合うサービスを提供していますし、それ以上に満足して
ほしいという気持ちで日々努力しています(いるはずです)。
ましてモノを売る商売と違って、サービスは目に見えないものが非常に多いから、
どこまでがサービスでどこからがおもてなしなのか、上記の通り宿側も実際
把握できていない事が多いし、その境界線がどうしても曖昧だったりします。
難しいテーマではあるけれど、だからこそ、もし思った通りのサービスを
受けられなかったとしても「あそこはおもてなし精神がない」
「サービスがなっていない」とごっちゃに解釈したままおしなべて
けなすのはどうか控えてほしいと私は思うのです。
極端な例えですが、おもてなしを要求するということは
「我が気に入ったのだから我のことを好きになれ」と言っているのと同じです。
口だけうわべだけじゃなく、「心から好きになれ」って言っているのと同じ!
心まで無理やり求められる仕事を暗黙の裡に容認していいのでしょうか。私はNOです。
サービスを提供する側とお客様は常に50:50。
お金を頂くからと前者がどうしてもへりくだりがちですが、
私はお客様と対等の立場で堂々と商売をしたい。
そしてお客様の笑顔のために誇りをもって湯守を続けていきたい。
ブレない、こけない、がってしない。
双方の心地よい空間「理想的なおもてなし成立」を目指して、
今日もひっそりと精進を続けます。