若女将コラム

日々西屋と山を縦横無尽に駆け巡る湯守兼若女将の、マイペースなコラムです。好きなものは音楽・写真・自然・宇宙。

若女将コラム

湯守のこと

2019.02.16

閑話休題 ~秘湯の会女将研修会にて④(終)


こんにちは。
もはや閑話休題の意味を忘れている若女将です(開き直り)。


かぐら「マジ長い。とりあえずご飯くれぇ」     (お客様撮影☆)

怒涛の研修会シリーズいよいよ最終回です。
まとまらない文章のままUPしているにもかかわらず、
毎回お読み頂いている皆様本当にありがとうございます(;;)


はな「遊んで~。」         (お客様撮影☆)



前回のコラムの末尾で、地熱開発への憂慮について書きましたが、
そこにもうひとつ、
温泉文化の保存と同じくらい忘れてはならない大事なことがあります。
それは、「温泉の恵みは無限ではない!」ということです。



(森の中にある白布温泉の源泉の一つ。小屋で保護しています)

本当に大事なので何度でも述べましょう。
温泉は、太古から巡る天然の水が地下深くで何百年もかけて地球の
体温を纏い、再度地上に湧いてきた貴重な財産です。


(年に一度源泉祭の日にだけ開帳され、温泉が湧く様子を見ることができます)

殊にここ白布温泉は一切掘削などしておらず、毎分1500リットルを
超える温泉が自然に溢れ出てきています。
どんなに少雨の夏でも絶対に枯れることがない沢の水もまた、
雪深い西吾妻山麓に降り積もった雨や雪が地形に沿ってようやく
川になったもの。いずれも長い時間をかけて地表と地下深くを循環していて、
今も昔も変わらずあるがまま流れてきてくれるものです。

風や天候を制御できないのと同じく、その流れを変えることはできません。

荘厳でいて時に容赦なく、物言わぬ無償の愛の鞭。
それが自然の営みというもの。
700年以上途切れることない源泉地に、休火山だから、湧出量が多いからと
いって無理に人の手を加えてしまったら、何が起きるか分かりません。


(お客様撮影☆)

私たち温泉旅館は、そんな太古から存在する温泉と水の目に見えない恵みを
分けてもらって商売をさせて頂いている…。
素直な感謝の気持ちを決して忘れてはいけないと考えています。
湧いて出て当たり前のもの、無限に使えるもの、誰かの所有物ではない。


(雪おろしの最中、屋根の上から湯滝小屋を見下ろした様子。)

宿を細々営みながら人里離れた“限界集落”に暮らすことはもちろん不便です。
が、厳しくも美しい自然のダイナミックな営みと移り変わりを360度体感できるのは、
日々“彼等”の間近に寄り添って生きているからこそだと私は考えています。


(明治36年、当時の白布温泉を撮影した貴重な一枚。)

西屋の建物は、湯治場として知られた山深い白布の地に何百年も根を下ろし、
数えきれないお客様をお迎えしてきました。今までがそうであったように、
これからもこのままの形で守り継いでいかなければいけない。
自分達が守らなければたちまち失われてしまう、人・自然・歴史の交差…
それが希少な温泉文化そのものだからです。



最後に、情けとは何か?秘湯の研修会で問いかけられたテーマに
一つの答えを書いて、このシリーズを締めくくろうと思います。

前々回の最後に書いた
「湯守とは、自然と人との一期一会を繋ぐ橋渡し役のようなもの。」
大袈裟な表現をしておいてなんですが、
実際の湯守はひたすら地味で自称ガテン系な裏方にすぎません。
その日の天気や気温、水の流れ具合を毎日細かに確かめつつ、
季節を問わず常に心地よい温度でお客様に提供するのが仕事です。
いや…本当に大層なもんでなく、やっていること自体は単純です。

実はつい先日湯守活動について取材をお受けしたのですが、
なぜここにスポットが当てられたのか、
たぶん自分が一番よく分かっていない…(苦笑)

ただ自然相手ですから、予測不可能な事態はいくらでも起こります。



蛇口をひねるのと違い、量や温度など容易くコントロールできるわけもありません。
ほんの少しの水加減で温度が大きく変わってきます。


(半月ほど前、増水と表層雪崩で突如ストップした沢水。茫然とした夜。)

日照りが続けば水量や水圧が下がるし、
大雨が降れば鉄砲水と化してホースが吹き飛ばされたかと思えば
葉や枝が詰まって逆に流れがストップするし、雪崩が起きれば沢も凍りつくし、
そのたびに裏山の取水口へ走って、土砂も雪も氷も掘りまくらなければいけません。
冬場は特に、寒さと雪との戦いもさることながら調整自体も難しくなります。
(無散水消雪への一部温泉提供&水温の低下&天気&外気温との差)


(こうしてふたたび水流が戻った沢を見ただけで、思わず手を合わせてしまいます)

実際生傷は絶えません。だから何じゃい。
自分が何者か?そんなこたぁどうでもいい。

日を追うごとに蓄積されていく経験は、あくまで安全に作業するための
自衛に必要なもの。心に巣食う慣れを常に打ち消しながら、温度計1本
感覚一つで自然とひたすら対話し続ける忍耐が必要です。
そう、必要なのは忍耐。

それから私自身お風呂が大好きなので、お客様にはゆっくり気持ちよく
入っていただきたい。日頃の疲れを癒して元気になってほしい。
山に携えるのは、スコップとトビと時々斧と、その願い一心。それだけです。

苦労がないわけではありません。でも、温泉に入った瞬間思わず口から溢れる
「あぁ〜(気持ちいぃ〜)」。私はそのお客様の「あぁ〜…」その幸せそうな
笑顔を見るだけで、湯守でよかった、西屋にいてよかったと心から思います。

当たり前ですがこれはスマホを見ただけでは味わえません。
実際に遠い距離を移動して、宿を訪れ、そこでひと時を過ごすという
四次元の世界へ身を委ねて、初めて直接体験できるものです。
どんなに便利な時代になろうとも、これだけは今も昔も変わりません。



生まれたままの姿になって温泉に浸かることで、言葉も思考も要らない、
苦しみや疲れから解き放たれ、時間を超えて記憶の彼方にある“自分自身”に
還ることができる究極の癒し。それが本来の温泉の、秘湯の力です。

そんな人と自然との最高の出会いを、自分が支え続ける。
だから「湯守=自然と人との一期一会をつなぐ橋渡し役」というわけです。



私は、毎日が生まれたての温泉がもたらす「生きている奇跡」
「時間空間を超えた人・自然との出会いとつながり」への気づきに
深い喜びと感動を抱いています。
そして、遠路よりお越し頂き、「このお風呂に入りたかった」
「どうか末永く残していって」というお客様の温かい励ましとお礼の言葉に
どんなに励まされ、日々胸が熱くなるかわかりません。

そんな湯守という役目に私は強い誇りを持っています。

湯守であり続けること。これが、「情け」とは何か?に対する私なりの答えです。

(完)

☆★写真UPをご快諾下さったHNみっちゅさん。ありがとうございました★☆




というわけで、懲りませんわよ今日の一枚!!

上々颱風”上々颱風2”(1991) ~愛より青い海


呆れるほど文字ばかり続いたので(笑)、
ぱぁーっと明るく〆たいとおもいます。愛より青い海。
無国籍音楽の先駆けといわれる上々颱風の代表曲です。

PV(Youtube)こちら

♪ただ一つの歌を歌うために生まれた。(中略)
流れゆく白い雲を追いかけて、追いかけて、
人はあの青い海の向こうからやってきた。


まさに温泉と水のテーマ曲!?!
ボーカルの一人の白崎映美さんは山形県酒田市出身。
このアルバムの中の「花祭りの朝」では素晴らしいアカペラを披露していて、
当時憧れたものでした。
2013年のグループ活動休止後も演劇やミュージカルなどマルチに活躍されています。

2019.02.14

閑話休題 ~秘湯の会女将研修会にて③


こんにちは。
少し風邪気味で頭がぼんやりしている若女将です。
昨日久しぶりにパウンドケーキを焼きましたが、
うっかりバターを入れ忘れそうになり
(型に入れる手前で溶かしバターを混ぜるというレシピだった)
危うく失敗するところだった黒ひげ危機一発!



その他ハプニング続出にもかかわらず、結果なかなか上出来のアンビリーバボー(笑)
今回は長男のリクエストで抹茶パウンド。まだまだ練習の余地ありです。



さて、秘湯の会研修会からの話題の続きです。
だらだら続いてごめんなさい次回で最後です(え“)。

今日は日本秘湯を守る会名誉会長である佐藤好億さん
福島県 大丸あすなろ荘)の講演から。

前回のコラムで寒の地獄温泉女将の武石さんの話題を紹介しましたが、
彼女がお客様と接する際に大事にしている「情け」という言葉を受けて、
佐藤さんは、なぜ秘湯なのか、今こそ「情け」とは何なのかが
問われようとしている、と熱く語っておられました。
以下、佐藤さんのお話をまとめてみました。

①戦後失われたもの

佐藤さん
「戦後の食糧難時代、人々が求めたのは「物」であり、現場からの脱出希望、
違う世界への憧れを強く抱いていた。しかし時代が変わり物が豊かになると、
今度は“人間の幸せ感”が薄れていってしまった。
人は本質的に欲にキリがない。特に情報が極めて発達した現在、
情報技術の粋であるスマホやタブレットは、かつて人々が自分の目や
足で求めていた夢や希望をどうも見せてしまいすぎているきらいがある。
今後さらにそれはエスカレートするだろうし、世界の中で「秘湯」と
呼ばれる場所が失われていく。
逆に心の中に秘湯や情けを求める心の領域が広がっていくかもしれない。
では秘湯とはなんなのか?情けとは何なのか?」



(文章ばかりでは味気ないので、最近の西屋周辺の写真を無理やり挿入。)

…失われた幸せ感、人が今求めているものは何なのか?
佐藤さんは、文字通り自問自答しつつ私たちにこうやってよく問いかけます、
そして、敢えて狭義に答えを明示しません。方向性を示すだけ。

つまりそれは、秘湯の宿を営む個々の担い手に託された恒久の課題というわけです。

何をお客様が求めているのか?
豪華な食事なのか?非日常を味わえる設えなのか?絶景露天風呂か?
佐藤さん曰く「究極のものが求められようとしている」。
→これについての私なりの答えは次回のコラムで(なんだとー!)!

②温泉文化の継承の大切さ


(三十三観音の出口で薄日が差した瞬間。)

佐藤さんは、秘湯の宿を取り巻く現状として人手不足も挙げられました。
まぁ、今は業種問わず生産人口の減少が社会問題化していますが。
秘湯の宿は往々にして小規模で、企業といえる大旅館に対してあくまで
「家業(家族+αで細々切り盛りするサイズ)」に過ぎません。

温泉宿は、人が生きていく上でなくてはならない、
価値のある事業を数代にわたって継承している…
しかし実際は、効率性や利便性を求めるあまり、地域に根を下ろし、
世代を超えて受け継がれてきた文化を守る意義についての教育がなされていない、
と佐藤さんは指摘しています。
現在秘湯の会員宿でも人手不足以前に後継者の不在に悩む宿さんも少なくなく、
いずれは会員の件数も激減するだろう、と予想しています。

今回の研修で先輩の皆さんの話を聞いてから、
私は少しでも将来の道が開けるようにと、子供達に積極的に仕事を手伝わせたり、
自分の働く姿を積極的に見せたりする小さな取り組み始めました。
まだ小学生だし、実際に継ぐかどうかはその時に考えればいい。
自分が何を守っているのか、何のために旅館を営んでいるのか、
それはどういう仕事なのかを身を以て教えることが大事だと気づいたのでした。


③地熱開発のこと

佐藤さんが今最も力を入れているのが、
地熱開発への抑止力としての活動です。
東日本大震災後、代替えエネルギーへの需要から、中央の電力会社が
日本各地の温泉地をターゲットとして積極的に地熱開発に
傾こうとしています。既に群馬県・栃木県(川俣温泉)では
試験掘りが始まっているとか。特に配管に心配のない休火山がターゲットに
なりがちなんだそうです。
こんな時行政に対するパイプ役がいなければ、温泉地を守る旅館にとって
死活問題であるはずの地熱開発に規制をすることができない!という考えから、
佐藤さんは行政交渉の最前線に立っているわけです。

佐藤さん
「「旅に寄り添う、秘湯は人なり」という秘湯を守る会のコンセプトは、
単なる理念ではなく、現場や先祖代々守りついできた文化遺産(温泉も含む)の
上にある。日本全体の環境保護のためにも、日本秘湯を守る会は必要である」

そうして、自らの旅館の仕事と東京での責務に忙しく往復しながら、
日本全国167軒の秘湯の会の宿の代表として頑張っておられるわけです。
数年前には本も出版されました。その苦労と努力にただただ頭が下がります。

ところで、なぜ地熱開発が旅館にとって死活問題になるのか?
それは温泉そのもののあり方にあります。

温泉は、複雑な自然条件が重なって地下深くから湧いてくる
貴重な自然の恵みです。最近では、これまで考えられていた海中ではなく、
地上に温泉が湧きだしていた場所こそが生命発祥の地だとする有力な学説もあるくらい、
太古から存在するものです。しかし、温泉の生まれた地球の内部のことについては
まだわかっていないことも多いのが現状です。
にもかかわらず、費用対効果が低いと言われる地熱開発を無計画に推し進めるのは
色々な意味で非常に危険であると佐藤さんは警告しているのです。
つまり、
地熱開発によって地下水の流れが変わり温泉の湧出が滞る
→旅館が営業できなくなる
→既に限界集落である温泉地に人が住めなくなる
→同時に原生林の守り手がいなくなる→地域文化の崩壊、温泉文化の崩壊

皆さんが心の中で求めている「情け」「秘湯」「癒し」を提供する
宿の提灯が消えてしまったら…その先誰が、
失われた人間の幸せ感を満たすことができるのでしょうか??(続く)



そしてCMのように乱入してくる今日の一枚(笑)
もうこのシリーズにこのコーナー要らないんじゃ…やっぱり必要だ!(笑)

Kiasmos "Kiasmos"(2014)

(↑画像をクリックするとアーティストサイトにリンクします(英語))

ポスト・クラシカル界で大変有名な若手作曲家オーラブル・アルナルズと、
ブラッドグループというバンドのJanus Rasmussen(ヤヌス…読み方分からない!)
のアイスランド発ユニット:キアスモス(Kiasmos)のファーストアルバム。
エレクトロニックとクラシックを足して2をかけたような透明感あふれる
サウンドの素晴らしさはもちろんですが、2曲目のHeldのPV↓がとても素敵。


(↑このコラムではどうもYoutubeのリンクを直接貼れないみたいです。。クリックで
PVにリンクします)

無限に形を変える煙のような揺らぎに光を当てて、
その変化を緩やかに追いながら心も一緒に宙に舞っていきそうな
不思議なサウンドがなんともいえません。
底知れぬ温泉の神秘をイメージしてチョイスしました。
アルバムの他の曲も実にお薦めです。

2019.02.11

閑話休題 ~秘湯の会女将研修会にて②


こんにちは。
「アナと雪の女王」も「君の名は。」も未だにチラ観しかしていない若女将です。

この間再び雪おろしに参加し、茅葺屋根に上がりました。
(だから更新が遅れました!…と、しょうもない言い訳をしてみる。)

現代の屋根と違い、足元は中途半端にふかふかで妙な感覚。
西屋の場合、玄関階段側にだけ落雪防止の細木を2本横に渡していますが、
例のアンカーはついていません!
代わりに数か所カラビナが打ちこんであり、そこに命綱をかけて作業します。
超がつく急傾斜の突端から温泉街を見下ろすのは実に壮観ですつまり怖い。




山タイタニック(笑)

ともあれ、例年よりは雪が少なくて実はホッとしている今日この頃でした。




さて、前回に引き続き秘湯の会の研修会からの話題です。

今回の研修会では、先輩宿の貴重な講話がありました。
そのうちのひとつ、大分県にある寒の地獄温泉の三代目:武石さんは、
福井県からはるばる宿に嫁いで42年の先輩女将さんです。

源泉は14度(単純硫黄泉)の冷泉ながら噴出量が多く、
夏は水着でin!一方室内には50度のボイラー室があり、
そこに温泉成分を付けたまま入って湯治する、というのが入浴の
スタイルだそうです。
その珍しさから遠方から見えるリピーターさんも多いのだとか。
小さな島国とはいえ、全国津々浦々なんと個性的な温泉もあるものよと
感心するばかりです。




さて、武石さん。半世紀近い旅館生活で、秘湯の会への入会、
大々的なリニューアル、跡継ぎである息子さんとのこと、
家族との時間…さまざまな人生ドラマが展開する中、数ある宿から
お客様に自分の宿を選んでもらって泊って頂くということは、
何か縁があるのではと考えるようになったそうです。
「どうしても思いが通じ合わないタイプ、事情を抱えた方など
いろんなお客さんが訪れるけれど、その一人一人に家族がいて、
よく考えたら同じ人なんだ」と。
そんなお客様に対して、同情ではなく「情け」で寄り添うべきなのだろうと
気付いたと仰っていました。
武石さん「人生は山あり谷あり、そして旅館を営むことで“海”もある」。

お客様との一期一会は私も日々経験させてもらっていますので、
伝えんとする思いが実に身にしみて伝わってきます。




そして温泉との“一期一会”も。
私は湯守もしているのでどうしても温泉寄りの話に行ってしまうのですが、
日々温泉に触れながらよく考えることがあります。




一見同じに見える湯滝風呂。
でも、昨日の温泉と今日の温泉は全く違います。
昨日入ったお風呂の温泉は、今頃日本海へ向けて最上川を下っているかも
しれない。あるいは蒸発して空へ登っていったかもしれない。

あくまで私見ですが、湯守とは、そんな自然と人との一期一会を繋ぐ
橋渡し役のようなものだと思うのです。(続く)




相変わらず突然やってくる今日の一枚コーナー(笑)

Peter Broderick "Two Balloons"(2018)


(↑画像をクリックすると、アルバムのPart 4が試聴できます。
嵐のシーン(?)。)

寒の地獄温泉の武石さんのお話をイメージして選んだのはこちら。
アメリカのミュージシャン:ピーター・ブロデリックが去年リリースした
コンセプトアルバム。
タイトルの通り、気球に乗って夢の中を旅するような小作品で、
少しずつフレーズを変えながら美しい景色(多分夜かな?)が流れてゆく~
そのうち目の前に突然の嵐!舵がきかなくなり、雷雨の中、トラブルで
気球がしぼんであわや地面にまっさかさまの大ピンチ…!と思いきや、
実は夢落ちだった~
目覚めたのは夜行電車の中…まだぼんやりと夢心地…
みたいなストーリーが目に浮かぶような、
まさに「人生山あり谷あり海あり」といった感じの面白いアルバムです。
ただ最後の”Techno for Lemurs”は直訳すると「キツネザルの為のテクノ」…
イマイチ意味がよく分からない(笑)
コミカルでノリが良い曲調がキツネザルっぽい?

人生の例えば川だったり地形だったりいろいろですが、
人の数だけ人生があって、その複雑な交差の中から新しい友情や絆、家族や愛情が
生れると考えると、生きているだけで奇跡だと思えてきます。

2019.01.31

閑話休題 ~秘湯の会女将研修会にて


こんにちは。
行く気満々だったはずのフェルメール展(もうすぐ終了)をなぜかすっ飛ばし、
隣の隣の国立科学博物館の地下で霧箱をかぶりつくように覗き込みながら
「(宇宙線が)見える…見えるぞぉ!
…と、どっかの眼鏡大佐みたいに一人狂喜していた若女将です(笑)



というわけで、今週29-30日にかけて、私は秘湯の会の女将研修会参加の為
約1年ぶりに東京に行っておりました。懐かしい場所をいくつも訪ね、
遠来の同士の方とお会いし、それはそれは充実した2日間でした。

カテゴリは「閑話休題」「湯守のこと」ですが、2回にわたって、
その時の話題と所感をお伝えしていこうと思います。



秘湯の会の女将研修会は毎年この時期に開催されます。
四十年を超える秘湯の会の歴史において西屋はまだ新参の立場なので
(会員番号MAX197軒中西屋は189番目…現在秘湯の会会員宿は170軒未満しか
ありませんが、最初に与えられた宿番号自体はそのまま残ります)
私も今年で参加2回目だったわけですが、その内容は驚くほど充実!!
先輩の秘湯の宿の女将さんからも沢山の貴重なお話を聞くことができる
貴重な社交場だったりします。

研修会では、発足当時から秘湯の会を長く牽引してこられた佐藤好億名誉会長さんの
講話が設けられています。
今回テーマは(テーマ自体は設定されていなかったが私が勝手に総括)
「21世紀の今改めて問う、“情け”とは何なのか、“秘湯”とはどうあるべきなのか」。
因みに去年は「秘湯の宿を守ることは、温泉文化そして地域文化を守ること」。

うーむ…深い。

佐藤さんほど知識豊富で数多くの秘湯の宿を知り尽くし、
ご自身もまた旅館の経営者として時代の変遷を目の当たりにされてきた方も、
当たり前のようなこの命題に対して日々自問自答しているのだと
改めて気付かされました。
一方で他の宿の先輩女将さん方との談話から、経営難、人材不足、
後継者の不在などなど…他人事とは思えない様々な問題を抱えている
現状が浮かんできました。
全国各地、それも僻地にある秘湯の宿は、東京のような華々しい都会とは
およそ無縁の場所で、横の繋がりを保ちつつ、それぞれ守るべきものの為に
細々と商売を続けているわけです。

翻って私が守っているものとは?
一番に思い浮かべるのは温泉です。
古くなった建物の保存も勿論ですが、この土地に温泉が湧いていて、
それをお客様にきちんと提供できる状態になければそもそも
温泉旅館業は成り立ちません。それこそ当たり前の話ですが。
しかし当たり前だからこそ、その恩恵に対する感謝、自らの立ち位置を
常々意識しておかなければいけないとも考えているのです。

今思えば、湯守になったのもそういう事由からでした。(続く)



堅苦しくなりがちな文脈に唐突に投げ込む(爆)今日の1枚。

ELLA FITZGERALD & BILLIE HOLIDAY "AT NEWPORT"(1958)

(適当なリンクが…ない!)

20世紀の女性ジャズ・ボーカリストの頂点に立つエラとビリー、
そしてカーメン・マクレエ(日本では彼女達3人を合わせて
女性ジャズシンガー御三家と呼んでいるそうですが、
カーメンはどうもエラやビリーほど有名ではなかったようです)
この3人の貴重なライブを録音&編集したものがこちらのアルバム。

エラが太陽ならビリーは月、カーメンは星…みたいな印象かな。
エラはとても伸びやかで声が明るく、ジャズシングにふさわしい
優雅な歌い方をします。
一方のビリーは名曲「奇妙な果実」や彼女本人の波乱の生涯
(酒と薬にまみれ44歳の若さで亡くなってしまった)に象徴されるように、
どこか退廃的でコケティッシュ。
カーメンはどちらとも違い、ジャズを超えてポップ曲のカバーも
こなしたりしているので、掴みどころのない魅力的な歌い方が特徴です。

個人的に(古典的なものに限らずEMC含めて)ジャズは物憂げに
まったりしたい時間に聴きたいジャンルなので、
誰が好き?と聞かれたらビリーと答えるわけです
(つまりこれが前回のコラム冒頭の伏線)。
どの曲も、その場で聴いているような臨場感があっていい感じですよ。

2019.01.24

音のある生活 19 「End of my line of sight once more」


こんにちは。
エラ・フィッツジェラルドとビリー・ホリディのどっちが好き?
と聞かれたら、迷わず後者と答える若女将です。




昨日、久しぶりに屋根に上がってベテランのおんつぁま達と
雪おろしに精を出しました。
妙にぬるい天候のせいで、まるで台所の片隅でしけった塩のような雪の固さ!
昼過ぎまでとりあえず晴れ間が出ていたのが救いでした。




王道RPGよろしく頭装備(ヘルメット)から防具(ハーネス)から武器
(ダンプ&シャベルの二刀流、飛び道具に斧)に至るまで重装備に身を包み、
いつもと違う場所から白布街道や湯滝小屋を見下ろすのは実に新鮮です。




↑少々分かりにくいのですが、写真はハーネスの先に付いたカラビナを
屋根のアスト(アンカー)に括りつけたところ。行動範囲が限られるので、
雪おろしに慣れた人はついついこの命綱を付けずに作業してしまいがちですが、
万が一屋根の上で滑ってしまった時でも屋根から落ちるのを防いでくれるので、
装備必須のアイテムです。

作業を終えたその日のうちに見事な筋肉痛が襲ってきて、
自分が思うほどヘタレ(年寄り?)ではないと少し嬉しくなりました。
雪おろしのベテランにも「馬力あるなおめぇ!(一応褒め言葉?)」と
お墨付きをもらったことだし。
うむ。まだ私は戦える。



↑今日はステージを変えて三十三観音で2連雪バトルだ!
最近地味さに磨きがかかっている湯守業ですが、勿論こちらも続けています。
今は半分が雪との戦い。筋肉痛なし。
うむ。まだ私は戦える。



今日は「音のある生活」シリーズ第19回です。

ODESZA - A Momet Apart(2018)
"Line of Sight"


(公式サイトじゃありませんが原曲のYoutubeはこちら

アメリカの新進気鋭のグループODESZA(オデッサ)のアルバムから。
彼らの曲は若さがあふれていてどれも好きですが、
特にこの"Line of Sight(直訳すると「視線」)"が秀逸。
あくまで私個人の解釈ですが、まさに「まだ頑張れる」と
思い直せる前向きな歌詞で、繰り返し聴いている一曲です。

意外と忘れがちですが、人は一人じゃないと気付くことはとても大切。
置かれた場所で咲きなさい、という渡辺和子女史の言葉は実はあまり
好きではありませんが、たとえ今がつらい状況にあったとしても、
自分を短絡的に嘆くのは確かにもったいないと思うのです。
人生には波があって、そこで終わりではなくて、楽しさや希望が
今この瞬間にも必ずどこかに隠れているのだから!

歌詞が多少分からなくても
明るくポップな曲調で気分がアガるオデッサ。オススメです!

2018.11.11

湯守とは… ~ある晩秋のつぶやき~



ご無沙汰しております。皆様お元気ですか。

錦模様の季節が過ぎ去り、いつの間にか一面ほぼ禿山に変化した
白布界隈(魔王チェルノボグはおりませんご安心を!)から久々のコラム更新です。

今日はこれまた久しぶりの湯守(…時々つらい(笑))のお話です。





移りゆく季節の儚さを愛でる間もなく、10月は一番の繁忙期&
人手不足の中、みんな燃える紅葉のごとく頑張り切りました。

私はどうも頭の切り替えが追いつかないせいか、最近少々燃え尽き気味…
そんな中、実は今一番多忙を極める仕事の一つが“湯守”の役目だったりします。

その理由は…ただいまラストスパートの落葉による沢の水量の激増減。






写真はお薬師様の参道に降り積もった落ち葉(主に栃の葉)です。
わずかな時間のうちに山道が見えなくなるほど大小の落ち葉が落ちてきて、
西屋で利用している沢の取水口もハイパー埋め尽くしてきます。

そんなもんで、





いつも利用している三十三観音沢口①は水を通しても2時間と持たず
流れがほぼとまり、沢の最も近い所から引いている水ホース②も
下手すると5分で止まり(栃の葉2枚くらいひっかかるともうアウト)、
はっきり言ってこの2つは殆ど用をなしません(他の季節だと必須アイテム)。

そこで、唯一(冬と日照りの夏を除く)どの季節でも安定した水量を
供給してくれる通称ノジリ君※。ちゃんと名前が付いている(笑)!!!
※数年前防火用貯水槽が詰まった時に、非常用にこのホースを付けてくれた
助っ人職人さんの名前が由来(笑)
沢の少し上流から漏斗状に引いている、太めのホースが自慢のノジリ君
ほぼ1本で今現在湯温を調整しています。




白い水が勢いよく噴き出しているのがノジリ君。
いわば秋の西屋の「良い湯」の生命線です。
ところがノジリ君の運ぶ水量は調整量としては少々多すぎて、
全量は投下できません。一応バルブが付いていますが、
少しでも閉じるとあっという間に葉が引っかかってしまい、
安定した水量が保てなくなります。

そこで考え抜いた末、




湯枡の縁ぎりぎりにホースを乗せ、
自然に枡の中と外に水が分かれていくよう微調整をかけて、
24時間全開MAXで仕事してもらっています。

さぁこれで安泰か?!
…そうは問屋がおろさないのが愛と鞭の自然界。

取水口が漏斗状に広がっているとはいえ、上記の通り今時分は落葉の量が
尋常じゃありません。常に水を引くよう落ち葉を除去しつつ、沢の流れの中心に
入口を据えなければなりません(ロープで固定しているだけなのですぐずれる)。
さらに貯湯槽手前の90度角ジョイント部分がなかなか曲者で、




こんな小枝1本引っかかっただけで、




割と短時間のうちに落ち葉をこんなに堰き止めてくれる
(あまり詰まらせると水圧でジョイントがすっぽ抜ける→
水が枡に全く流れ込まず、外にダダ漏れ→お風呂が熱湯に化ける)
要注意ポイントなんです。

そんなこんなでMaxノジリ君の耐久時間も秋に限ってはせいぜい
5~6時間。夜間も含め、1日最低3~4回は見回っています。


さぁ、ここからが正念場よ。
枡の縁ぎりぎりに乗せたノジリ君の水量調整は実は非常に難しく、
ただ葦の海よろしく半分に割れりゃいいというノリでは
まるで言うことを聞いて(?)くれません。


↓以下、温度微調整中の2枚の写真。違いが分かりますか?




↑適温より2度前後低い




↑適温より2度前後高い 

ファファファw
作業中は何とも思わないが、改めて文や写真にまとめると確かにひどい(笑)
そう、一見同じ状態に見えますが、ほんのわずかにホースの位置を
変えるだけでたちまち温度が激変してしまうのです。

枡の中の水流も非常に複雑で、山側から流れてくる源泉の勢いと
水の流れの混ざり具合が安定するまで、少なくとも5分~10分は
湯温計をつっこんで様子を確かめなければいけません。





実際これらのステップを踏んで初めて、お客さまに安心して
お風呂を提供することができるわけです。




この日の安定した状態に至るまで、所要時間30分弱。

湯守になって4年以上になりますが、
あくまで決め手は気温・天候・水温・水量。
思い込みは禁物なのだ!




このノジリ君のシャバシャバ具合は滝の部屋からだとよく見えます。
見た目は故障っぽく非常によろしくないのですが、わけあってのことです。
どうか許してやって下さいまし。

相変わらず湯守はとても地味な仕事ですが、
「これは稀有な修行だ、いつか自分や誰かを必ず助ける時が来る」という
妙な強い確信があり、いつも、誰かに背中を押してもらうかのように
何とか頑張っています。
冬になると今度は冬なりの作業内容に変わってくるわけですが、
1年中気持ちよくお風呂に入れるよう湯守を続けていますので、
ぜひ皆さん入りに来て下さいね^^

2017.04.01

【湯守シリーズ】最終回

 

冬の間細々続けてきました湯守シリーズ(もはやコラムじゃない)。
個人的春休みを頂きまして、とうとう春の足音聞こえる4月に入りました。

今日は最終回です。
“湯守であることの意味”を改めて自問しつつ、このテーマを締めくくりたいと思います。

3湯守の想い
後先考えず湯守になって、かれこれ3年目になりました。
あれ、まだそんなもんかー、よく続いたなぁ…というのが正直な思いです。
元々自他ともに認める三日坊主。
この役目を引き受けてからいろいろな出来事もありましたが、
いやだと思ったことは不思議と一度もありませんでした。








(↑湯滝風呂と共に春夏秋冬。気が付けばほとんど同じアングルで一年中
写真を撮っていました。)


私達温泉旅館業は、温泉があって初めて成り立ちます。
あまりにも当たり前すぎてその恩恵を忘れがちですが、
お客様は料理や建物の風情と同じくらい、温泉で心身を癒すことに
高い目的意識を持ってはるばるお泊りにお越しになります。
その良さをきちんと提供することができなければ、どんなに料理がおいしくても、
部屋がきれいで接客態度に問題がなくても台無しです。



温泉の湧くところに温泉旅館たるアイデンティティの原点が生まれ、
人々が生活の糧や、癒しと旅情を求めて集う基点になりうる。

そんな自然と人とを繋ぐ湯守であることに、私は強い誇りを持っています。


(↑去年の秋、強力な沢の水圧で破損したホースを補修。
水回りに詳しい先輩たちの支えは本当に心強い。)



しかし、本当にそれだけなのだろうか。
ずっと疑問でもありました。誇りだけではないと。

必要な仕事だから行く、それもそうなんですが、
そういう義務的な思いでもない。それ以上の何かがあると。




なぜ女将が危険が伴う山へ入るのだと批判めいた言葉をかけられたことも
実は一度や二度ではありません。
このコラムを読まれている方の中にも同じ疑問を持たれた方も
いらっしゃることでしょう。シリーズの最初でも書きました通り、
西屋の湯守も元々は番頭さんの仕事でした。







しょっちゅう怪我はするし、泥だらけになるし、工事現場用長靴が愛用品だし、
台風で梢が唸る夜の山では雄たけびを上げながら落ち葉を取り除き、
翌朝が心配で寝起きのまま軽トラを夢中で走らせたり。




でも、あれこれ考えたりすることはありません。
懐中電灯を持たなければ一歩も歩けない沢のほとりで、
夢中なあまり一瞬の恐怖もたちまち忘れてしまいます。
いつも作業を終えてから「あれはなんだったんだ」と自分で拍子抜けするぐらい、
文字通り引き寄せられるように山へ足を運び続けました。

なぜ自分は、社長や男性スタッフに頑として席を譲らず、一人山へ入るのか?
私は明確な答えを返すことができていませんでした。 

一体何が自分を山へと駆り立てるのか? 




温泉は一度地上に降った雨が、長い年月をかけて火山の熱と成分を蓄え、
地上に帰ってきたものです。そうして川へ海へと旅立ち、空に昇り、
いつかまた雨や雪となって山に還ってきます。
そのサイクルは人の一生よりはるかに長く、
地球を舞台にして何度もめぐっています。




目に見えない水の旅。
その根底にあるのは地球の命そのもの。

ある時、ようやく気付けました。

自分は温泉や水、森にただ会いたいのだと。
何時再び出会うかわからない温泉の今にいつまでも触れていたい、
見守り続けたいと。


温泉との対話は言葉を必要としません。時間も超越します。




水が輝きながらそこに流れているだけでうれしい。
変わらない温泉の温かさがうれしい。



その流れは変わらないのに、
季節ごとに周囲の自然に溶け込みながら変化していく水や温泉の姿に、
毎日初めて出会えた気がします。



永遠に近い時間の中で
「星と共に生きている」という思いを共有できる瞬間があるから、
自分は湯守を続けられるのだと。




現代社会は価値観も技術も広く高く伸びすぎて、
世界は狭くなった代わりに、その居場所が見つけづらくなったように思います。
メディアから流れる情報には妙なフィルターが掛かり、
まるで世の中全体が何かの意思に操られているようです。




いつから人間は、水や森のようにありのままに生きることを
難しいと考えてしまうようになったのか。
そんな人々の暮らしの中に、個を思い出し、自分に還れるひと時を
提供できるのが温泉だと考えています。




温泉には強く、やさしい、不思議な力が眠っています。
毎日触れているからよく分かります。

お客様には、私のように小難しいことを考える必要は一切ありません。
ただただ、温泉に肩までゆっくりつかって、疲れを洗い流してほしい。




湯守の仕事。
それは、揚げたての天ぷらを食卓に並べる前に味見できる
お母さんのひそかな特権のようなもの。
そのくらいに思って頂けたら幸いです。
あくまで裏方でいいのです。
お風呂上がりのお客様の笑顔を見ることができるだけで、私は幸せなのだから。


~終わりに~





いつか私の身体も寄る年波に衰え、湯守を担えなくなる日がきます。
そのときは、どうか意思ある人に湯守を継いでほしいと願っています。
50年後も、100年後も…未来のお客様が温泉の癒しを受け取って、
明日への元気を再び取り戻してくれたら、 それ以上望むことは何もありません。
そんな思いを胸に、私は今日も水と温泉の源を目指します。


完。


皆さん、長い独白のような湯守シリーズを最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

2017.03.23

【湯守シリーズ】3


前回一息に書ききるつもりだった湯守の日常模様。
文字数にして結構なボリュームになってしまい(自分が一番驚いてる(笑)!)、
急きょ前編と後編に分けました。
そして肝心の作業内容に入る前に前編が終わってしまったという。
思うまま打ちこむといろんな意味でこうなります。
というわけで今日は【後篇】


2-3-2自然の中で365日

前回までのあらましでほぼお分かり頂けたと思いますが、
源泉はともかく山水はポンプなど機械を通さず、自然の重力に任せて
受け取っているものです。ただ混ぜればいいというわけではありません。
その日の気温、天候、昼夜の温度差、沢の水量(水圧)、
さらに夏と冬で温度と量が変わる源泉(注1)を鑑みつつ、
水量を加減し、適温にしてあげないといけないのです。
湯枡のそばまでやってきた水を実際に混ぜるには主に3つの方法があります。

1…貯水槽パイプから直接ホースを渡す方法
2…水回りをいつもメンテナンスして下さる業者さんが去年付けてくれた沢からのホース
3…お湯の枡のとなりにある小さな水槽からバルブで直接滝風呂に水を渡す方法


パイプから出る水をどのくらいの太さのホースで升に引くか、
また水路わきのバルブをどのくらいあけるか、水の出し方は何通りにも
組み合わせることができます。
またホースも滝風呂に抜ける出口付近まで伸ばすor離すだけでも、
水圧によってはかなりの温度差を付けることができます。
この複数の水の通り道を制御することで、湯滝風呂を適温にしています。
言葉で羅列すると自分でも「何だこれ複雑だな(苦笑)」。
実際は経験と勘(と温度計)を頼りに行っていることで、
決して頭をひねって苦戦しているわけではありません。



(3月末。今年はまだですが、フキノトウの次に葉を延ばすのがスイセンです。)

(前回もご紹介したキクザキイチゲ。沢のそばに咲く。5月上旬撮影。)


(新緑の沢。お薬師堂の脇を通り湯枡まで流れてくる。5月下旬撮影。)

春は一番温度調整しやすい季節です。
花や新緑を愛で、時に山菜を摘みながら、お日さまの光を一緒に浴びて…
ただただ幸せを感じます。
ただし昼夜の寒暖差はかなり激しいので、温度管理は決して気を抜きません。



(白布の夏の夜は本当に涼しい。真夏でも気温は20度を切る。)



(今回も登場のこのホース図。4と5にも注目!)

夏は年によっては雨との戦い、またある年は水不足との戦いです。
一番悲惨だったのは去年の夏。写真のように深刻な水不足の時は、
すべてのホースをお湯の出口ぎりぎりまで運んで水量を確保しました。
(一つでもはずれると大惨事)
のように、やむなく源泉を沢に横流ししたこともあります。
勿体ないのですが、湯量が豊富な証拠でもあるわけです。
逆に夕立が来るとあわててホースを抜きに行ったり。
意外とこの時期活躍してくれるのが秘密の補助ホース4と5。
熱い夏に真冬並みの温泉温度では一気に疲労感が身体に出てしまい、
非常に健康にもよろしくありません。程よく小汗が出て、
20度を切る夜でも寒くならない体感温度を目指す(凝りだすと止まらない)毎日です。



(秋たけなわの沢。容赦なく頭上から落ち葉が降り注ぐ。)

秋はひたすら落ち葉との戦いです。
前回のコラムで「貯水槽経由パイプは水量が「わりと」安定している」
と書きましたが、秋はその落ち葉の大群のために「わりと」が
通用しなくなることしばしば。
沢から貯水槽への分岐点は30×50センチほどの水路になっており、
さらにその先に直径10センチ弱の取水口があります。秋はここが
落ち葉で容赦なく埋もれます。さらに台風が加わってくると、もう大変。
一度葉を取り除いても30分後には渡していた網に大量の葉が再び詰まり、
ダム状態になります。当然山水は止まり、お風呂は源泉並みの温度に。

それを防ぐべく山へ向かい、落ち葉を取り除くと、今度は湯枡の隣で
こんな現象が↓発生します。


(取水口の落ち葉を取り除いて約10分後。それまで完全に止まっていた
山水はその勢いを取り戻す。というか、既にかなりの水量。)



(さらに5分後。渡していたホースをすべて弾き飛ばす勢いで
水路から水があふれ出す。湯枡も私も水浸し…。)


おそらく貯水槽→裏山→出口までの高度差による水圧の加減でしょう。
これで何度重石をかけて固定していたはずのホースが吹っ飛ばされたことか。
それでも水がやってくることの方が遥かにありがたいのです。
当然ながら山へ行く回数は他の季節の比じゃありません。
朝6時前、10時、12時、16時、夜(天気による)…
最低このくらいは三十三観音に登らなければ、お客様が大変な思いをしてしまう。
水をかぶろうが、落ち葉つぶてを食らおうが、使命感にひたすら燃える秋であります。

さて、一番温度管理が大変なのは冬です。


(秋は水大爆発だった水路も、冬になるとこの通り氷に閉ざされる。)

西屋のお風呂をご利用された方ならご存知だと思いますが、
湯滝風呂は内風呂ながら開放感のある上下吹き抜けの構造になっています。
夏場は日照りでも水量さえ確保できれば(そして天気と昼夜の温度差に注意していれば)
さほど調整に困ることはないのですが、冬はまず山の状態が激変します。
(既出ですが真冬の三十三観音脇の沢。葉も氷も埋もれてとても掘れない。)

沢は完全に雪の下に隠れ、真冬ともなると-15度近くまで気温が下がり、
沢自体が凍ったり表層雪崩で流れがせき止められ、
完全に水が来なくなてしまうことも珍しくありません。
大雪に埋もれた三十三観音の水場に行くこと自体重労働になります。
(そもそも沢まで行くのが大変…夏ならあっという間に軽トラで乗り付け
られるのに、冬だと掘って進んで1時間弱かかることも)


(沢や取水口がある水路はこの穴の下2mほどの場所。あたりを付けて掘りあて、
果敢に降りる!)


(湯船から吹き抜けを仰ぐ。2月の昼間撮影。)

そしてお風呂場も吹雪の夜など雪が湯船まで勢いよく降ってくることもあり
とても寒くなります。湯量もわけあって減ります(注1)
そんな時にお風呂が熱ければもちろん入れないし、
逆に最初から凍結を心配して加水しすぎると、石造りの湯船が温泉を
余計に冷ましてしまい、これも塩梅が悪い。そこをすべて見越して、
冬でも安心して浸かり、冷えた身体を十分にあたためることができるような
温度に保つことは、実はものすごく大変です。


(早朝の湯枡。冬は6時を過ぎてもまだ真っ暗。)


ちなみにお客様に適温といわれる温度を測ってみると、
冬場でおよそ41度前後(夏は40度弱)。裏の枡は上記の温度差を考慮して
44-45度ほどに調整します。ただし気温が-3度以上、あるいは-10度を切る場合は
この温度差をさらに変えなければなりません。
いろいろ検証してみましたが、経験上この温度がおよそベストのようです。


(大活躍の湯温計。S様ごめんなさい!毎日重宝しております…!)

最初のうちは真冬でも手袋をせず感覚をたよりに調整していましたが、
冬は手がかじかんでいたせいか長く源泉に素手を入れているうちに
火傷を負ってしまい、その反省から、今はお客様が以前忘れていかれた
湯温計を有り難く(そして勝手に!!)使わせていただいています。
注1…白布温泉は、冬季(11月終~4月中頃)の間、
温泉街のロードヒーティングのため山形県に一部源泉を提供しており、
その間だけ通常の湯量が3/4~2/3ほどに減ります。もともとの湯量が
豊富なため、年に何度もお越し下さる常連のお客様でもあまり
気付かれることはないくらいですが、温度調整上考慮しておかなければいけないことです。
(凍てつく朝の空模様。この静寂の時間が本当に好き。)

いつも念頭に置いているのは、お客様が滞在中いつでも気持ちよく
お風呂に入っていただけること。温泉旅館なので、
夜はお客様がお酒が入った後に入浴されることがほとんどです。
夜のお風呂の温度はややぬるめにして、頭に血が上らないように
(まじめな話)気を付けています。一方朝は目覚めの時間。
起きてすぐお客様はお風呂に入られるので、若干温度を上げて、
すっきり上がれる感覚を味わえるように温度調整を心がけています。
(もっとも、調整の都合でそれが逆転してしまったり、うまく
いかなかったりすることもあります。温泉も水も本来人の手で制御されない、
してはいけないもの。あくまで“目指す”のが限界です)
それも、季節ごとにその温度をほんの少しずつ変えながら。
いずれにしても、「うーん…熱いい~…」にはならないように注意しています。
温泉旅館にお泊りにいらっしゃるお客様なのだから、
お風呂が嫌いなわけがありません。
ゆっくり長湯できるぐらいが健康にもメンタルにもちょうどいいというのが私の考えです。
次回は総括です。

2017.03.15

【湯守シリーズ】2

早くも3月半ばとなりました。冷たく霞む早春の空気を和らげるように、
少しずつ森の木々が芽をふくらませています。山間(それも東西に深い地形)で
日照時間がとても短く、プランターを育てるのは困難な白布。
私にとっては、西屋の周辺に自生するフキノトウやシダ、山や森で出会う
菊咲一華(5月~)たちを愛でるのがひそかな楽しみです。
彼らの凛とした姿に、生きている喜びをいつも分けてもらっている。
そんな気がします。

本日は“湯守”シリーズ2回目。今日は「湯守の仕事」についてお話します。
えらくながいので【前篇】から。
2湯守の仕事【前篇】
2-1白布温泉について詳しく
まずは、湯守として日々向き合っている我らが元気の源:白布温泉について解説をいたします。



全国津々浦々さまざまな泉質の温泉が湧く、湯煙の幸わう国:日本。
そのひとつである白布温泉は、自然湧出する源泉を3か所に持つ
カルシウム‐硫酸塩温泉です。
その総量は毎分約1500ℓ。これは群馬県の伊香保温泉に匹敵する量で、
山形県内では蔵王・肘折に次いで3番目に多いそうです。
地味にすごいんです。
それだけの湯量をたった3軒(+1軒)で分けているわけです。
白布は屈指の湯量を誇る」と言われる所以です。一切人の手を経ずに
これだけの量が700年以上も変わらず湧いてくるのは奇跡としかいいようがry
(さらに続けると脱線したまま止まらなくなりそうなので中略!)

温泉のpHは7.3、ほぼ中性。ヒトの血液とほぼ同じです。
適応症は主に筋肉痛や神経痛、打ち身など。
接骨院にお世話になりやすい方に向いている温泉といえます。
前回そのわけをお話ししました通り、現在はほぼ無色透明です。
基本的に入る人の体質を選ばず、適温であれば湯あたりすることもなく、
豊富な温泉を心行くまで堪能できます。
人と大地にやさしい温泉。いつも感謝して使わせていただいています。


(天元台付近の山奥にある源泉の一つ(小屋)。サバイバルしないと行けない場所。)


(年に一度源泉祭の時だけ開帳される源泉のもう一つ。温泉が滾々と湧いている。)


(前回白黒写真で紹介した地下パイプの集合場所。60年経った今も現役。)


2-2湯守の出番
さて気になる白布の源泉温度ですが、若干の季節変動はあるものの
約57~59度ほどあります。温泉卵を作るには少し惜しい、
しかしそのままでは当然熱くて湯船に流せない温度です。
この温度を現在の諸条件下でいかにして適温に下げ、湯滝風呂に流してゆくか!?
これが私の湯守としての最大にして毎日必修のミッションです。
2-3共に山に生まれ、違う道をたどってきた源泉と山水を引き合わせる


(温泉街と源泉と水路(沢)の位置関係。)

温泉と、温度調整のために使わせてもらっている山の水の道はマップの通りです。

①温泉の道(マップの黄色)

湧出地から山中にある貯湯タンク(全白布分)を経て分岐してくる西屋分の源泉は、
いったん宴会場の床暖房用の専用貯湯槽を経由してこの枡に注ぎこまれています。
その間地上に出ることはほぼなく、温度も下がることがなく、本当に「生」状態です。

②山水(マップの水色と青色)


山水は、西屋から200mほど裏手の森を登った三十三観音から、
沢と貯水槽経由パイプの二通りに分けて湯枡のすぐそばまで引いています。
この沢水は、元々はるか吾妻山の奥深くで地上に湧いてきたもの。
最終的には大樽川に合流するれっきとした最上川源流の一つで、
100%天然の山水です。
サワガニや岩魚が普通に生息しています(稀に水路にやってくる)。
この二つの水路を温泉の温度調整のために利用しています。



(西屋の裏手。左側に湯滝風呂があります)

西屋の湯滝風呂の裏まで下りてきました。ここには
温度調整用の枡と湯滝に小分けにする用の枡、
二つの湯枡があります↑(本館の2階から見ることができます)。


(山側の湯枡のすぐ脇にある山水の受け入れ口。これは去年の夏に撮影したもの、
極端な水不足の年で、温度を適温にするため何本もホースを渡しまくっていた。
のように源泉の量を微調整することもある。)

ここが、源泉と山水の出会いの場です。キューピットは私(笑)

主に使っているのはパイプの方です。
予め消火用貯水槽に貯めて葉などを沈めてから上澄みを引いてくるので、
年間を通して水量が「わりと」安定しています
(もちろん凍結や落ち葉などで水が止まることもあります)。
一方の沢は完全に地上を駆けてくるので、水量は変化が激しく
葉や土砂も容赦なく運んできます。大雨が降ると水の色も濁るので
まめにホースをきれいにしておかなければいけません(あっという間に葉が詰まる)。
いずれにせよ、落ち葉や雪のない季節でもできれば
1日1回は見回らなければいけない大事な場所なのです。



(三十三観音脇の沢。うち右側を流れる方が西屋裏へ流れてくる。)


(冬になるとこの通り、雪に埋もれて沢は見えなくなる。)


次回は、実際の温度調節風景をお伝えいたします!

2017.03.06

【湯守シリーズ】1

 
こんにちは。

3月に入って、フキノトウが先陣を切るように雪と土の間から姿を現し始めました。
山もその小さな呼び声に応えるように、少しずつ目を醒ましつつあります。

冬は白銀と黒、そして美しい空色がどこまでも続く季節。
色や匂いの変化だけでも、春が来るのがよく分かります。


さてさて、前回イントロでお伝えしました通り、今月は“湯守”シリーズです。

今日は、
「“湯守”とは何なのか?」
「西屋の湯守とその継承」
この2つをお話ししようと思います。

【湯守シリーズ】

1.“湯守”という立場



(大正7(1918)年の西屋。玄関先にいるのは当時の番頭さん、縁側には湯治客の皆さんが大勢。)


1-1“湯守”とは何なのか?

 (1)湯守=館主?

ウィキペディアによると、湯守とは、
「かつては温泉が存在する土地の領主から管理を任された人のことで、
温泉の利用権を持つ地位も与えられていた、公共的な役職の一つだった」とあります。
明治時代になってその制度はなくなりましたが、湯守の一族は引き続き温泉の権利を持ち、
あるいは温泉旅館の主となっていったようです。

(昭和6(1931)年の頃の白布温泉全景。
どこが境目か分からないくらい、3軒はぴったりと寄り添っています。)


白布温泉は、代々西中東の3軒の共同管理で源泉を守ってきました。
中でも東屋は、開湯した年に時の領主より「湯の司」を仰せつかったという
言い伝えもありますが、確かな記録がなく実際のところは不明です。
もしもそれが史実だったとしても、温泉の管理上何かしらのイニシアチブや
付加価値が与えられているわけではありません。
少なくとも3軒の間で、過去に温泉や土地の貸し借りやトラブルがあったような話は
一切聞きませんから、誰が中心でも新入りでもなく、この雪深い山奥の小さな里で、
共に協力し合って湯煙風情を守り、幾百年歩んできたのでしょう。


(2)ギャラリーその1


昭和の初め頃と思しき、白布温泉の源泉の1つ(全部で3か所)。
当時は屋根もなく、文字通り地上に湧きだしていた。



源泉からはモミジ製の湯樋(ゆどよ)を渡し、300m近く離れた西中東まで運んでいた。


長い樋の上を流れるうちに、空気に触れて温泉成分は結晶化する。
途中では、結晶化した温泉成分を型取りして固形湯の花も作っていた。
50年ほど前まで白布温泉の各施設は冬季期間休業しており、
その間の大事な収入源でもあったという。
写真では分かりにくいが、秋に切り出したモミジの幹で造った樋には
湯の花を採取するためのスペースがあり、毎月15日に3軒交代で湯の花を集めていたという。



昭和29年、それまで地上を流していた温泉をパイプで引くようにした。
葉や空気、不純物が混じることのないまま安定供給が可能になり、
湯の花は取れなくなった代わりに、
湯船に注がれる白布の湯はクセのないほぼ無色透明になった。



1-1-2西屋の湯守とその継承

(1)先達の皆さん



(大正~昭和の初め頃の西屋、湯滝風呂。お客様が手前の渡り廊下を歩いています。)


(かつて西屋の番頭をしていた、通称:彦さん(写真右端)。順に中屋番頭さん、
“白布の仙人”と言われた正吉翁、便利屋後藤さんと山にマタギ仕事に向かうところ。
昭和23年撮影。)

西屋では、「湯守」という役を専属で担う従業員はつい最近までいませんでした。
もともと家族の男子の仕事でしたが、昭和以降は主に番頭さんがその役を負いました。
なぜ男子かというと、ひたすら外の作業だからです。
詳しくは次回解説いたしますが、冬は雪をかきわけ、
梅雨や秋の台風の頃には増水した沢で踏ん張りながら木の枝や落ち葉を取り除き
(冬は特に枝ごと雪や氷が落ちてくるので、作業量は必然的に増える)、
朝でも夜でも必要に応じて山に入らなければいけないなど、
とにかく根気と体力が要求されます。想像に難くないと思いますが割と3Kです。
(そのうち「汚い」を「清い」に変換して下さい)
オナゴがその役を担うなど、誰も考えなかったでしょう。

(2)湯守を(勝手に)襲名

時は昭和から平成へ、時代も大きく変わりました。

東日本大震災が東北地方を襲った2011年、
それまで長く務めてくれていたベテランの番頭さん2人(うち1人は彦さんの弟子)が
高齢を理由に引退しました。
当然西屋の湯守も不在になったわけです。
そもそも湯守といっても、お風呂掃除の時や「お風呂が熱い(稀にぬるい)」と
言われた時だけ調整に入る程度で、その前後から徹底した温度管理が
行われているとはいえませんでした。
60度近くある白布の源泉を適温に下げる山の水は、自然の力だけで引いてくるもの。
森から降り落ちる葉や枝、雪などで詰まりやすいのです。
当然水が止まるたびにお風呂も熱くなるわけで、
多くのお客様にご迷惑をおかけしました。
ドライブやスキーレジャーの傍ら日帰り入浴で西屋を訪れた方にも、
「西屋の風呂は入れないくらい熱い」というトラウマを植え付けてしまったに違いありません。
番頭さんが抜ける前後の頃は、私は出産や子育てのさなかで
表に出ることがほとんどありませんでした。
ただ、お客様の波がゆっくりと遠のいていく様を、
漠然とした不安を抱えながら見守るしかありませんでした。

ある日のこと、
日帰り入浴のお客様からかなりの剣幕で「熱い」と指摘されたのでしょう。
高齢の会長が不安定な足取りで裏の枡を目指す姿を見かけました。
その時、目が醒めたようにはっとしました。

湯守は誰か?
誰が守るべきなのか?
このままではいけない、誰かを待っていてはいけない、
大好きな西屋の湯滝が、自慢のはずのお風呂がクレームに晒されるのを
これ以上黙って見ているわけにはいかない、
温泉(とその名誉)は自分の手で守らなければいけない。

そう強く思いました。
下の子がようやく幼稚園に入園した2014年のことです。
その日のうちに、先達がいないまま一念発起して湯守を引き継ぎました。

以来、一から手探りで経験を積みつつ今日に至っています。

(3)ギャラリーその2


湯守を引き継いだばかりの頃の様子。減量前。今と人相違うと言われた(笑)
この直前にうっかりメガネを湯枡に落としており、文字通りの手探り(!)


湯守を始めたばかりのころは、水加減がよくわからなくてとにかく苦労した。


しかし、この温泉を大切にしたい、守りたいという思いは少しも衰えていない。



現在の湯滝風呂。今日も湯滝の心地よい音が響いている。


次回は、日々湯守として実際どんな作業をしているのかをお話します。

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