若女将コラム

日々西屋と山を縦横無尽に駆け巡る湯守兼若女将の、マイペースなコラムです。好きなものは音楽・写真・自然・宇宙。

米沢のいい所あれこれ 【第13回:宮坂考古館】



3月に入りました。桃の節句ですね。
白布は春の嵐どころか横殴りの雪。いい加減私が雪を殴りたい(笑)

さて、3週間ぶりの見どころシリーズです。

今回は米沢の歴史スポットの穴場:宮坂考古館を紹介します。



宮坂考古館は、故宮坂善助さんが(本業は農家)生涯をかけて蒐集した
上杉・米沢ゆかりの史料が収められています。
彼はまた、米沢藩古式砲術を復活させ保存会まで作った方であり、
武具関係の収蔵品はかなり充実しています。
場所は米沢駅から南に向かって歩いて10分弱。
カワチの看板の先、信号のある十字路のすぐ角にあります。
(道路を挟んで向かいに以前コラムでご紹介したなみかた羊肉店さんがあります!)
建物は2棟。甲冑が収められている本館と、
蔵を改装した第二展示場に分かれています。




↑こちらが本館。受け付けもこっちにあります。




こちらは第二展示場。




かねたんの仲間「けーじろー」のパネルが玄関わきにどーん。
性格「いつも自由でなんでも豪快。」
いいね!私もけーじろーのように生きたいわ(笑)






さてさて、館内は収蔵物の保護のため一切撮影禁止なので、
以後パンフレットの画像から中をご紹介します。



本館の入り口を入るといきなり縄文土器と遭遇。マジ。

実は長井市~高畠町にかけての置賜地方は縄文時代の遺跡や出土品が数多く
残っているのです。なんとなく戦国時代中心の展示品をイメージしていた方は、
入館直後から不意打ちに腰を抜かすこと間違いなし。
古い剣や勾玉も展示されていて、一気にン千年の時を遡ることができます。


しかし宮坂考古館の目玉は
なんといってもあの前田慶次が所要していたと伝えられている甲冑(↓)。
を基調としたそのデザインは実にシンプルかつ野性的。
原哲也版「花の慶次」の彼なら豪快に着こなしたことでありましょう。
一方で、晩年は病のせいか腹痛に悩まされ、友人(?)にミカンを送られ感謝の
気持ちを綴った手紙も展示してありました。
本人は辛かったと思いますが…なんというギャップ萌え。

関ヶ原の戦いののち異郷である米沢に腰を据え、
自然や月を愛でながら余生を送ったという慶次。
どんな思いで生きていたのでしょう。

甲冑からは闘争と義理人情に燃える男の姿がしのばれるばかりですが、
雪が溶けたら彼が供養されているという堂森の善光寺にも
足を運んでみようと思います。






さて、宮坂考古館には他にも名だたる武将たちの甲冑が収められていますよ。

上杉憲政(1523-1579)
上杉謙信(1530-1578)
上杉景勝(1555-1623)
直江兼続(1560-1619)
上杉綱憲(1663-1704)


「伝〇〇〇〇」とあるので、実際に彼らが身に纏ったものかどうかは
諸説あるようですが、どう見ても実際戦に出向いたと思しき刀傷
(のようなもの)もあるので、少なくとも当時のものであることは
間違いないと思います。

また、矢尻や刀鍔(つば)も数多く展示されています。

特に私が興味深々だったのは鍔の数々。90個近くありました。
結構大きい…直径8cmくらいのものもありました。
打ち合い時の負荷を想像するだに、太刀用の鍔かも。
殆どはシンプルなラインですが、中には象嵌や金泥で美しい模様が
描かれたものもあり、一見の価値ありです。
海外にはこれ専門のねっちょなコレクターもいるというから、
これだけの数を個人が所蔵していただけでも貴重なのかもしれません。

もう一つの目玉は「ヒデヨさんの手紙」。
これはとある農家のおばあさんが書いた、上杉鷹山公にまつわる非常に珍しい史料です。

「秋の稲刈り中夕立に降られ困っていたところを、通りがかったお侍さんが
2名手伝ってくれた。風習に従い、刈入れの手伝いをしてくれたお礼に贈る
“かりあげ餅”を届けたいのでどこに届ければよいか(家はどこか)と尋ねたら、
御上屋敷北門へという。後日お餅を持って北門へ向かい、中へ通されたところ
稲刈りを手伝ってくれたお侍さんはなんと上杉鷹山その人だった…!」

という水戸黄門ばりのドッキリ実録です。
およそ240年前の手紙にもかかわらず、ほぼ全文カタカナと“候”だけなので、
古語に慣れていない人でもほぼ普通に読めます。
ていうか、当時も「たまげた(驚いた)」って言ってたのね。
直接語りかけるような文面。江戸から遠く離れた地方にあってその
識字率の高さにも驚きですが、なんというか微笑ましいです。

この手紙を書いたヒデヨさんは、鷹山公から勤勉のご褒美にと銀5枚を授かり、
ご恩を末永く記憶にとどめようと家中のみんなに足袋を拵えて配ったそうです。
本当に勤勉だよ素晴らしい…!
手紙と共にその時作られた足袋も1足展示されていますが、
刺子のミニサイズでとても可愛い。米織会館でぜひ復元して売ってほしいな。
鷹山公の人気や勤勉さのご加護もあって絶対ヒット商品になると思う。

ともかく先述の通り、鷹山公の人柄だけでなく当時の生活習慣や人の思いなど
非常によく伝わってくる貴重なもの。
ぶっちゃけ甲冑より希少価値高いかも。
(甲冑や刀剣はそこそこの数が国内外に現存していますが、こういう庶民の
生の記録が残っている例は殆ど聞いたことがありません)
ぜひ実物を観に行っていただきたいと思います。





ところかわって第二展示場は、六双に及ぶ屏風絵2つと
米沢筒とよばれる上杉藩時代の火縄銃各種、
そして時代劇でおなじみ:殿様のお籠!!!
あの長い担ぎ棒に、房だの小さい障子戸だのついたあれです!!
実物を見たのは初めてです。
写真に撮れない&中に入れないのが残念残念。

誰か実物大のレプリカを作って、ぜひ。
試乗体験できるようになれば、考古館のニュースポットになると思う!

話がそれました。火縄銃。
こちらで展示されている主な火縄銃は、大砲でも収めていたんじゃないか?と
思うほど直径の大きい30匆筒サイズのものです。
一丁だけで十数キロの重さ(5歳くらいの子供の重さ)がある代物。
担いだだけで肩こりそう。ツルハシどころじゃありません。

この中には、1600年初めごろ白布温泉でひそかに作られた吾妻筒も
あるようです。こんなすごい鉄の塊を白布で作っていたなんて驚き…。
吾妻筒は関ヶ原後の戦に備え直江兼続公の命で揃えたもの。
全部で1000丁ほどが作られ、後に大阪冬の陣で活躍しました。
保存状態はよく、少しずつデザインの違うパワフルな火縄銃を間近で
眺めることができます。


いかがでしたか?前田慶次から脱線気味の紹介となりましたが、
けっこう穴場の名所だと感じました。
甲冑ずらりのコーナーは一人で入るにはちょっと勇気が要るけれど。

時間があったら、ぜひ寄ってみて下さいね。


【資料館の場所】
公益財団法人 宮坂考古館
〒992-0026
山形県米沢市東1丁目2-24
TEL:0238-23-8530 FAX:0238-23-8532
開館時間 10:00~17:00(ただし10月~3月は16:00まで)
※休館日 毎週月曜日、祝祭日の翌日、年末年始他臨時休館あり。
入館料 大人400円、学生300円、小中学生100円
団体20名以上で一人50円引
駐車場 建物の東側にあります。