若女将コラム

日々西屋と山を縦横無尽に駆け巡る湯守兼若女将の、マイペースなコラムです。好きなものは音楽・写真・自然・宇宙。

【湯守シリーズ】最終回

 

冬の間細々続けてきました湯守シリーズ(もはやコラムじゃない)。
個人的春休みを頂きまして、とうとう春の足音聞こえる4月に入りました。

今日は最終回です。
“湯守であることの意味”を改めて自問しつつ、このテーマを締めくくりたいと思います。

3湯守の想い
後先考えず湯守になって、かれこれ3年目になりました。
あれ、まだそんなもんかー、よく続いたなぁ…というのが正直な思いです。
元々自他ともに認める三日坊主。
この役目を引き受けてからいろいろな出来事もありましたが、
いやだと思ったことは不思議と一度もありませんでした。








(↑湯滝風呂と共に春夏秋冬。気が付けばほとんど同じアングルで一年中
写真を撮っていました。)


私達温泉旅館業は、温泉があって初めて成り立ちます。
あまりにも当たり前すぎてその恩恵を忘れがちですが、
お客様は料理や建物の風情と同じくらい、温泉で心身を癒すことに
高い目的意識を持ってはるばるお泊りにお越しになります。
その良さをきちんと提供することができなければ、どんなに料理がおいしくても、
部屋がきれいで接客態度に問題がなくても台無しです。



温泉の湧くところに温泉旅館たるアイデンティティの原点が生まれ、
人々が生活の糧や、癒しと旅情を求めて集う基点になりうる。

そんな自然と人とを繋ぐ湯守であることに、私は強い誇りを持っています。


(↑去年の秋、強力な沢の水圧で破損したホースを補修。
水回りに詳しい先輩たちの支えは本当に心強い。)



しかし、本当にそれだけなのだろうか。
ずっと疑問でもありました。誇りだけではないと。

必要な仕事だから行く、それもそうなんですが、
そういう義務的な思いでもない。それ以上の何かがあると。




なぜ女将が危険が伴う山へ入るのだと批判めいた言葉をかけられたことも
実は一度や二度ではありません。
このコラムを読まれている方の中にも同じ疑問を持たれた方も
いらっしゃることでしょう。シリーズの最初でも書きました通り、
西屋の湯守も元々は番頭さんの仕事でした。







しょっちゅう怪我はするし、泥だらけになるし、工事現場用長靴が愛用品だし、
台風で梢が唸る夜の山では雄たけびを上げながら落ち葉を取り除き、
翌朝が心配で寝起きのまま軽トラを夢中で走らせたり。




でも、あれこれ考えたりすることはありません。
懐中電灯を持たなければ一歩も歩けない沢のほとりで、
夢中なあまり一瞬の恐怖もたちまち忘れてしまいます。
いつも作業を終えてから「あれはなんだったんだ」と自分で拍子抜けするぐらい、
文字通り引き寄せられるように山へ足を運び続けました。

なぜ自分は、社長や男性スタッフに頑として席を譲らず、一人山へ入るのか?
私は明確な答えを返すことができていませんでした。 

一体何が自分を山へと駆り立てるのか? 




温泉は一度地上に降った雨が、長い年月をかけて火山の熱と成分を蓄え、
地上に帰ってきたものです。そうして川へ海へと旅立ち、空に昇り、
いつかまた雨や雪となって山に還ってきます。
そのサイクルは人の一生よりはるかに長く、
地球を舞台にして何度もめぐっています。




目に見えない水の旅。
その根底にあるのは地球の命そのもの。

ある時、ようやく気付けました。

自分は温泉や水、森にただ会いたいのだと。
何時再び出会うかわからない温泉の今にいつまでも触れていたい、
見守り続けたいと。


温泉との対話は言葉を必要としません。時間も超越します。




水が輝きながらそこに流れているだけでうれしい。
変わらない温泉の温かさがうれしい。



その流れは変わらないのに、
季節ごとに周囲の自然に溶け込みながら変化していく水や温泉の姿に、
毎日初めて出会えた気がします。



永遠に近い時間の中で
「星と共に生きている」という思いを共有できる瞬間があるから、
自分は湯守を続けられるのだと。




現代社会は価値観も技術も広く高く伸びすぎて、
世界は狭くなった代わりに、その居場所が見つけづらくなったように思います。
メディアから流れる情報には妙なフィルターが掛かり、
まるで世の中全体が何かの意思に操られているようです。




いつから人間は、水や森のようにありのままに生きることを
難しいと考えてしまうようになったのか。
そんな人々の暮らしの中に、個を思い出し、自分に還れるひと時を
提供できるのが温泉だと考えています。




温泉には強く、やさしい、不思議な力が眠っています。
毎日触れているからよく分かります。

お客様には、私のように小難しいことを考える必要は一切ありません。
ただただ、温泉に肩までゆっくりつかって、疲れを洗い流してほしい。




湯守の仕事。
それは、揚げたての天ぷらを食卓に並べる前に味見できる
お母さんのひそかな特権のようなもの。
そのくらいに思って頂けたら幸いです。
あくまで裏方でいいのです。
お風呂上がりのお客様の笑顔を見ることができるだけで、私は幸せなのだから。


~終わりに~





いつか私の身体も寄る年波に衰え、湯守を担えなくなる日がきます。
そのときは、どうか意思ある人に湯守を継いでほしいと願っています。
50年後も、100年後も…未来のお客様が温泉の癒しを受け取って、
明日への元気を再び取り戻してくれたら、 それ以上望むことは何もありません。

そんな思いを胸に、私は今日も水と温泉の源を目指します。


完。


皆さん、長い独白のような湯守シリーズを最後まで読んで下さり、ありがとうございました。