若女将コラム

日々西屋と山を縦横無尽に駆け巡る湯守兼若女将の、マイペースなコラムです。好きなものは音楽・写真・自然・宇宙。

【湯守シリーズ】1

 
こんにちは。

3月に入って、フキノトウが先陣を切るように雪と土の間から姿を現し始めました。
山もその小さな呼び声に応えるように、少しずつ目を醒ましつつあります。

冬は白銀と黒、そして美しい空色がどこまでも続く季節。
色や匂いの変化だけでも、春が来るのがよく分かります。


さてさて、前回イントロでお伝えしました通り、今月は“湯守”シリーズです。

今日は、
「“湯守”とは何なのか?」
「西屋の湯守とその継承」
この2つをお話ししようと思います。

【湯守シリーズ】

1.“湯守”という立場



(大正7(1918)年の西屋。玄関先にいるのは当時の番頭さん、縁側には湯治客の皆さんが大勢。)


1-1“湯守”とは何なのか?

 (1)湯守=館主?

ウィキペディアによると、湯守とは、
「かつては温泉が存在する土地の領主から管理を任された人のことで、
温泉の利用権を持つ地位も与えられていた、公共的な役職の一つだった」とあります。
明治時代になってその制度はなくなりましたが、湯守の一族は引き続き温泉の権利を持ち、
あるいは温泉旅館の主となっていったようです。

(昭和6(1931)年の頃の白布温泉全景。
どこが境目か分からないくらい、3軒はぴったりと寄り添っています。)


白布温泉は、代々西中東の3軒の共同管理で源泉を守ってきました。
中でも東屋は、開湯した年に時の領主より「湯の司」を仰せつかったという
言い伝えもありますが、確かな記録がなく実際のところは不明です。
もしもそれが史実だったとしても、温泉の管理上何かしらのイニシアチブや
付加価値が与えられているわけではありません。
少なくとも3軒の間で、過去に温泉や土地の貸し借りやトラブルがあったような話は
一切聞きませんから、誰が中心でも新入りでもなく、この雪深い山奥の小さな里で、
共に協力し合って湯煙風情を守り、幾百年歩んできたのでしょう。


(2)ギャラリーその1


昭和の初め頃と思しき、白布温泉の源泉の1つ(全部で3か所)。
当時は屋根もなく、文字通り地上に湧きだしていた。



源泉からはモミジ製の湯樋(ゆどよ)を渡し、300m近く離れた西中東まで運んでいた。


長い樋の上を流れるうちに、空気に触れて温泉成分は結晶化する。
途中では、結晶化した温泉成分を型取りして固形湯の花も作っていた。
50年ほど前まで白布温泉の各施設は冬季期間休業しており、
その間の大事な収入源でもあったという。
写真では分かりにくいが、秋に切り出したモミジの幹で造った樋には
湯の花を採取するためのスペースがあり、毎月15日に3軒交代で湯の花を集めていたという。



昭和29年、それまで地上を流していた温泉をパイプで引くようにした。
葉や空気、不純物が混じることのないまま安定供給が可能になり、
湯の花は取れなくなった代わりに、
湯船に注がれる白布の湯はクセのないほぼ無色透明になった。



1-1-2西屋の湯守とその継承

(1)先達の皆さん



(大正~昭和の初め頃の西屋、湯滝風呂。お客様が手前の渡り廊下を歩いています。)


(かつて西屋の番頭をしていた、通称:彦さん(写真右端)。順に中屋番頭さん、
“白布の仙人”と言われた正吉翁、便利屋後藤さんと山にマタギ仕事に向かうところ。
昭和23年撮影。)

西屋では、「湯守」という役を専属で担う従業員はつい最近までいませんでした。
もともと家族の男子の仕事でしたが、昭和以降は主に番頭さんがその役を負いました。
なぜ男子かというと、ひたすら外の作業だからです。
詳しくは次回解説いたしますが、冬は雪をかきわけ、
梅雨や秋の台風の頃には増水した沢で踏ん張りながら木の枝や落ち葉を取り除き
(冬は特に枝ごと雪や氷が落ちてくるので、作業量は必然的に増える)、
朝でも夜でも必要に応じて山に入らなければいけないなど、
とにかく根気と体力が要求されます。想像に難くないと思いますが割と3Kです。
(そのうち「汚い」を「清い」に変換して下さい)
オナゴがその役を担うなど、誰も考えなかったでしょう。

(2)湯守を(勝手に)襲名

時は昭和から平成へ、時代も大きく変わりました。

東日本大震災が東北地方を襲った2011年、
それまで長く務めてくれていたベテランの番頭さん2人(うち1人は彦さんの弟子)が
高齢を理由に引退しました。
当然西屋の湯守も不在になったわけです。
そもそも湯守といっても、お風呂掃除の時や「お風呂が熱い(稀にぬるい)」と
言われた時だけ調整に入る程度で、その前後から徹底した温度管理が
行われているとはいえませんでした。
60度近くある白布の源泉を適温に下げる山の水は、自然の力だけで引いてくるもの。
森から降り落ちる葉や枝、雪などで詰まりやすいのです。
当然水が止まるたびにお風呂も熱くなるわけで、
多くのお客様にご迷惑をおかけしました。
ドライブやスキーレジャーの傍ら日帰り入浴で西屋を訪れた方にも、
「西屋の風呂は入れないくらい熱い」というトラウマを植え付けてしまったに違いありません。
番頭さんが抜ける前後の頃は、私は出産や子育てのさなかで
表に出ることがほとんどありませんでした。
ただ、お客様の波がゆっくりと遠のいていく様を、
漠然とした不安を抱えながら見守るしかありませんでした。

ある日のこと、
日帰り入浴のお客様からかなりの剣幕で「熱い」と指摘されたのでしょう。
高齢の会長が不安定な足取りで裏の枡を目指す姿を見かけました。
その時、目が醒めたようにはっとしました。

湯守は誰か?
誰が守るべきなのか?
このままではいけない、誰かを待っていてはいけない、
大好きな西屋の湯滝が、自慢のはずのお風呂がクレームに晒されるのを
これ以上黙って見ているわけにはいかない、
温泉(とその名誉)は自分の手で守らなければいけない。

そう強く思いました。
下の子がようやく幼稚園に入園した2014年のことです。
その日のうちに、先達がいないまま一念発起して湯守を引き継ぎました。

以来、一から手探りで経験を積みつつ今日に至っています。

(3)ギャラリーその2


湯守を引き継いだばかりの頃の様子。減量前。今と人相違うと言われた(笑)
この直前にうっかりメガネを湯枡に落としており、文字通りの手探り(!)


湯守を始めたばかりのころは、水加減がよくわからなくてとにかく苦労した。


しかし、この温泉を大切にしたい、守りたいという思いは少しも衰えていない。



現在の湯滝風呂。今日も湯滝の心地よい音が響いている。


次回は、日々湯守として実際どんな作業をしているのかをお話します。