若女将コラム

米沢弁若葉マークの若女将が綴る米沢の魅力や日々の西吾妻模様。

若女将コラム

2017年03月

2017.03.23

【湯守シリーズ】3


前回一息に書ききるつもりだった湯守の日常模様。
文字数にして結構なボリュームになってしまい(自分が一番驚いてる(笑)!)、
急きょ前編と後編に分けました。
そして肝心の作業内容に入る前に前編が終わってしまったという。
思うまま打ちこむといろんな意味でこうなります。
というわけで今日は【後篇】


2-3-2自然の中で365日

前回までのあらましでほぼお分かり頂けたと思いますが、
源泉はともかく山水はポンプなど機械を通さず、自然の重力に任せて
受け取っているものです。ただ混ぜればいいというわけではありません。
その日の気温、天候、昼夜の温度差、沢の水量(水圧)、
さらに夏と冬で温度と量が変わる源泉(注1)を鑑みつつ、
水量を加減し、適温にしてあげないといけないのです。
湯枡のそばまでやってきた水を実際に混ぜるには主に3つの方法があります。

1…貯水槽パイプから直接ホースを渡す方法
2…水回りをいつもメンテナンスして下さる業者さんが去年付けてくれた沢からのホース
3…お湯の枡のとなりにある小さな水槽からバルブで直接滝風呂に水を渡す方法


パイプから出る水をどのくらいの太さのホースで升に引くか、
また水路わきのバルブをどのくらいあけるか、水の出し方は何通りにも
組み合わせることができます。
またホースも滝風呂に抜ける出口付近まで伸ばすor離すだけでも、
水圧によってはかなりの温度差を付けることができます。
この複数の水の通り道を制御することで、湯滝風呂を適温にしています。
言葉で羅列すると自分でも「何だこれ複雑だな(苦笑)」。
実際は経験と勘(と温度計)を頼りに行っていることで、
決して頭をひねって苦戦しているわけではありません。




(3月末。今年はまだですが、フキノトウの次に葉を延ばすのがスイセンです。)

(前回もご紹介したキクザキイチゲ。沢のそばに咲く。5月上旬撮影。)


(新緑の沢。お薬師堂の脇を通り湯枡まで流れてくる。5月下旬撮影。)

春は一番温度調整しやすい季節です。
花や新緑を愛で、時に山菜を摘みながら、お日さまの光を一緒に浴びて…
ただただ幸せを感じます。
ただし昼夜の寒暖差はかなり激しいので、温度管理は決して気を抜きません。




(白布の夏の夜は本当に涼しい。真夏でも気温は20度を切る。)



(今回も登場のこのホース図。4と5にも注目!)

夏は年によっては雨との戦い、またある年は水不足との戦いです。
一番悲惨だったのは去年の夏。写真のように深刻な水不足の時は、
すべてのホースをお湯の出口ぎりぎりまで運んで水量を確保しました。
(一つでもはずれると大惨事)
のように、やむなく源泉を沢に横流ししたこともあります。
勿体ないのですが、湯量が豊富な証拠でもあるわけです。
逆に夕立が来るとあわててホースを抜きに行ったり。
意外とこの時期活躍してくれるのが秘密の補助ホース4と5。
熱い夏に真冬並みの温泉温度では一気に疲労感が身体に出てしまい、
非常に健康にもよろしくありません。程よく小汗が出て、
20度を切る夜でも寒くならない体感温度を目指す(凝りだすと止まらない)毎日です。




(秋たけなわの沢。容赦なく頭上から落ち葉が降り注ぐ。)

秋はひたすら落ち葉との戦いです。
前回のコラムで「貯水槽経由パイプは水量が「わりと」安定している」
と書きましたが、秋はその落ち葉の大群のために「わりと」が
通用しなくなることしばしば。
沢から貯水槽への分岐点は30×50センチほどの水路になっており、
さらにその先に直径10センチ弱の取水口があります。秋はここが
落ち葉で容赦なく埋もれます。さらに台風が加わってくると、もう大変。
一度葉を取り除いても30分後には渡していた網に大量の葉が再び詰まり、
ダム状態になります。当然山水は止まり、お風呂は源泉並みの温度に。

それを防ぐべく山へ向かい、落ち葉を取り除くと、今度は湯枡の隣で
こんな現象が↓発生します。


(取水口の落ち葉を取り除いて約10分後。それまで完全に止まっていた
山水はその勢いを取り戻す。というか、既にかなりの水量。)



(さらに5分後。渡していたホースをすべて弾き飛ばす勢いで
水路から水があふれ出す。湯枡も私も水浸し…。)


おそらく貯水槽→裏山→出口までの高度差による水圧の加減でしょう。
これで何度重石をかけて固定していたはずのホースが吹っ飛ばされたことか。
それでも水がやってくることの方が遥かにありがたいのです。
当然ながら山へ行く回数は他の季節の比じゃありません。
朝6時前、10時、12時、16時、夜(天気による)…
最低このくらいは三十三観音に登らなければ、お客様が大変な思いをしてしまう。
水をかぶろうが、落ち葉つぶてを食らおうが、使命感にひたすら燃える秋であります。


さて、一番温度管理が大変なのは冬です。


(秋は水大爆発だった水路も、冬になるとこの通り氷に閉ざされる。)

西屋のお風呂をご利用された方ならご存知だと思いますが、
湯滝風呂は内風呂ながら開放感のある上下吹き抜けの構造になっています。
夏場は日照りでも水量さえ確保できれば(そして天気と昼夜の温度差に注意していれば)
さほど調整に困ることはないのですが、冬はまず山の状態が激変します。
(既出ですが真冬の三十三観音脇の沢。葉も氷も埋もれてとても掘れない。)

沢は完全に雪の下に隠れ、真冬ともなると-15度近くまで気温が下がり、
沢自体が凍ったり表層雪崩で流れがせき止められ、
完全に水が来なくなてしまうことも珍しくありません。
大雪に埋もれた三十三観音の水場に行くこと自体重労働になります。
(そもそも沢まで行くのが大変…夏ならあっという間に軽トラで乗り付け
られるのに、冬だと掘って進んで1時間弱かかることも)


(沢や取水口がある水路はこの穴の下2mほどの場所。あたりを付けて掘りあて、
果敢に降りる!)


(湯船から吹き抜けを仰ぐ。2月の昼間撮影。)

そしてお風呂場も吹雪の夜など雪が湯船まで勢いよく降ってくることもあり
とても寒くなります。湯量もわけあって減ります(注1)
そんな時にお風呂が熱ければもちろん入れないし、
逆に最初から凍結を心配して加水しすぎると、石造りの湯船が温泉を
余計に冷ましてしまい、これも塩梅が悪い。そこをすべて見越して、
冬でも安心して浸かり、冷えた身体を十分にあたためることができるような
温度に保つことは、実はものすごく大変です。


(早朝の湯枡。冬は6時を過ぎてもまだ真っ暗。)


ちなみにお客様に適温といわれる温度を測ってみると、
冬場でおよそ41度前後(夏は40度弱)。裏の枡は上記の温度差を考慮して
44-45度ほどに調整します。ただし気温が-3度以上、あるいは-10度を切る場合は
この温度差をさらに変えなければなりません。
いろいろ検証してみましたが、経験上この温度がおよそベストのようです。


(大活躍の湯温計。S様ごめんなさい!毎日重宝しております…!)

最初のうちは真冬でも手袋をせず感覚をたよりに調整していましたが、
冬は手がかじかんでいたせいか長く源泉に素手を入れているうちに
火傷を負ってしまい、その反省から、今はお客様が以前忘れていかれた
湯温計を有り難く(そして勝手に!!)使わせていただいています。
注1…白布温泉は、冬季(11月終~4月中頃)の間、
温泉街のロードヒーティングのため山形県に一部源泉を提供しており、
その間だけ通常の湯量が3/4~2/3ほどに減ります。もともとの湯量が
豊富なため、年に何度もお越し下さる常連のお客様でもあまり
気付かれることはないくらいですが、温度調整上考慮しておかなければいけないことです。

(凍てつく朝の空模様。この静寂の時間が本当に好き。)

いつも念頭に置いているのは、お客様が滞在中いつでも気持ちよく
お風呂に入っていただけること。温泉旅館なので、
夜はお客様がお酒が入った後に入浴されることがほとんどです。
夜のお風呂の温度はややぬるめにして、頭に血が上らないように
(まじめな話)気を付けています。一方朝は目覚めの時間。
起きてすぐお客様はお風呂に入られるので、若干温度を上げて、
すっきり上がれる感覚を味わえるように温度調整を心がけています。
(もっとも、調整の都合でそれが逆転してしまったり、うまく
いかなかったりすることもあります。温泉も水も本来人の手で制御されない、
してはいけないもの。あくまで“目指す”のが限界です)
それも、季節ごとにその温度をほんの少しずつ変えながら。
いずれにしても、「うーん…熱いい~…」にはならないように注意しています。
温泉旅館にお泊りにいらっしゃるお客様なのだから、
お風呂が嫌いなわけがありません。
ゆっくり長湯できるぐらいが健康にもメンタルにもちょうどいいというのが私の考えです。
次回は総括です。

2017.03.15

【湯守シリーズ】2

早くも3月半ばとなりました。冷たく霞む早春の空気を和らげるように、
少しずつ森の木々が芽をふくらませています。山間(それも東西に深い地形)で
日照時間がとても短く、プランターを育てるのは困難な白布。
私にとっては、西屋の周辺に自生するフキノトウやシダ、山や森で出会う
菊咲一華(5月~)たちを愛でるのがひそかな楽しみです。
彼らの凛とした姿に、生きている喜びをいつも分けてもらっている。
そんな気がします。

本日は“湯守”シリーズ2回目。今日は「湯守の仕事」についてお話します。
えらくながいので【前篇】から。
2湯守の仕事【前篇】
2-1白布温泉について詳しく
まずは、湯守として日々向き合っている我らが元気の源:白布温泉について解説をいたします。



全国津々浦々さまざまな泉質の温泉が湧く、湯煙の幸わう国:日本。
そのひとつである白布温泉は、自然湧出する源泉を3か所に持つ
カルシウム‐硫酸塩温泉です。
その総量は毎分約1500ℓ。これは群馬県の伊香保温泉に匹敵する量で、
山形県内では蔵王・肘折に次いで3番目に多いそうです。
地味にすごいんです。
それだけの湯量をたった3軒(+1軒)で分けているわけです。
白布は屈指の湯量を誇る」と言われる所以です。一切人の手を経ずに
これだけの量が700年以上も変わらず湧いてくるのは奇跡としかいいようがry
(さらに続けると脱線したまま止まらなくなりそうなので中略!)

温泉のpHは7.3、ほぼ中性。ヒトの血液とほぼ同じです。
適応症は主に筋肉痛や神経痛、打ち身など。
接骨院にお世話になりやすい方に向いている温泉といえます。
前回そのわけをお話ししました通り、現在はほぼ無色透明です。
基本的に入る人の体質を選ばず、適温であれば湯あたりすることもなく、
豊富な温泉を心行くまで堪能できます。
人と大地にやさしい温泉。いつも感謝して使わせていただいています。


(天元台付近の山奥にある源泉の一つ(小屋)。サバイバルしないと行けない場所。)


(年に一度源泉祭の時だけ開帳される源泉のもう一つ。温泉が滾々と湧いている。)


(前回白黒写真で紹介した地下パイプの集合場所。60年経った今も現役。)


2-2湯守の出番
さて気になる白布の源泉温度ですが、若干の季節変動はあるものの
約57~59度ほどあります。温泉卵を作るには少し惜しい、
しかしそのままでは当然熱くて湯船に流せない温度です。
この温度を現在の諸条件下でいかにして適温に下げ、湯滝風呂に流してゆくか!?
これが私の湯守としての最大にして毎日必修のミッションです。
2-3共に山に生まれ、違う道をたどってきた源泉と山水を引き合わせる


(温泉街と源泉と水路(沢)の位置関係。)

温泉と、温度調整のために使わせてもらっている山の水の道はマップの通りです。

①温泉の道(マップの黄色)

湧出地から山中にある貯湯タンク(全白布分)を経て分岐してくる西屋分の源泉は、
いったん宴会場の床暖房用の専用貯湯槽を経由してこの枡に注ぎこまれています。
その間地上に出ることはほぼなく、温度も下がることがなく、本当に「生」状態です。

②山水(マップの水色と青色)


山水は、西屋から200mほど裏手の森を登った三十三観音から、
沢と貯水槽経由パイプの二通りに分けて湯枡のすぐそばまで引いています。
この沢水は、元々はるか吾妻山の奥深くで地上に湧いてきたもの。
最終的には大樽川に合流するれっきとした最上川源流の一つで、
100%天然の山水です。
サワガニや岩魚が普通に生息しています(稀に水路にやってくる)。
この二つの水路を温泉の温度調整のために利用しています。



(西屋の裏手。左側に湯滝風呂があります)

西屋の湯滝風呂の裏まで下りてきました。ここには
温度調整用の枡と湯滝に小分けにする用の枡、
二つの湯枡があります↑(本館の2階から見ることができます)。


(山側の湯枡のすぐ脇にある山水の受け入れ口。これは去年の夏に撮影したもの、
極端な水不足の年で、温度を適温にするため何本もホースを渡しまくっていた。
のように源泉の量を微調整することもある。)

ここが、源泉と山水の出会いの場です。キューピットは私(笑)

主に使っているのはパイプの方です。
予め消火用貯水槽に貯めて葉などを沈めてから上澄みを引いてくるので、
年間を通して水量が「わりと」安定しています
(もちろん凍結や落ち葉などで水が止まることもあります)。
一方の沢は完全に地上を駆けてくるので、水量は変化が激しく
葉や土砂も容赦なく運んできます。大雨が降ると水の色も濁るので
まめにホースをきれいにしておかなければいけません(あっという間に葉が詰まる)。
いずれにせよ、落ち葉や雪のない季節でもできれば
1日1回は見回らなければいけない大事な場所なのです。



(三十三観音脇の沢。うち右側を流れる方が西屋裏へ流れてくる。)


(冬になるとこの通り、雪に埋もれて沢は見えなくなる。)


次回は、実際の温度調節風景をお伝えいたします!

2017.03.06

【湯守シリーズ】1

 
こんにちは。

3月に入って、フキノトウが先陣を切るように雪と土の間から姿を現し始めました。
山もその小さな呼び声に応えるように、少しずつ目を醒ましつつあります。

冬は白銀と黒、そして美しい空色がどこまでも続く季節。
色や匂いの変化だけでも、春が来るのがよく分かります。


さてさて、前回イントロでお伝えしました通り、今月は“湯守”シリーズです。

今日は、
「“湯守”とは何なのか?」
「西屋の湯守とその継承」
この2つをお話ししようと思います。

【湯守シリーズ】

1.“湯守”という立場



(大正7(1918)年の西屋。玄関先にいるのは当時の番頭さん、縁側には湯治客の皆さんが大勢。)


1-1“湯守”とは何なのか?

 (1)湯守=館主?

ウィキペディアによると、湯守とは、
「かつては温泉が存在する土地の領主から管理を任された人のことで、
温泉の利用権を持つ地位も与えられていた、公共的な役職の一つだった」とあります。
明治時代になってその制度はなくなりましたが、湯守の一族は引き続き温泉の権利を持ち、
あるいは温泉旅館の主となっていったようです。

(昭和6(1931)年の頃の白布温泉全景。
どこが境目か分からないくらい、3軒はぴったりと寄り添っています。)


白布温泉は、代々西中東の3軒の共同管理で源泉を守ってきました。
中でも東屋は、開湯した年に時の領主より「湯の司」を仰せつかったという
言い伝えもありますが、確かな記録がなく実際のところは不明です。
もしもそれが史実だったとしても、温泉の管理上何かしらのイニシアチブや
付加価値が与えられているわけではありません。
少なくとも3軒の間で、過去に温泉や土地の貸し借りやトラブルがあったような話は
一切聞きませんから、誰が中心でも新入りでもなく、この雪深い山奥の小さな里で、
共に協力し合って湯煙風情を守り、幾百年歩んできたのでしょう。


(2)ギャラリーその1


昭和の初め頃と思しき、白布温泉の源泉の1つ(全部で3か所)。
当時は屋根もなく、文字通り地上に湧きだしていた。



源泉からはモミジ製の湯樋(ゆどよ)を渡し、300m近く離れた西中東まで運んでいた。


長い樋の上を流れるうちに、空気に触れて温泉成分は結晶化する。
途中では、結晶化した温泉成分を型取りして固形湯の花も作っていた。
50年ほど前まで白布温泉の各施設は冬季期間休業しており、
その間の大事な収入源でもあったという。
写真では分かりにくいが、秋に切り出したモミジの幹で造った樋には
湯の花を採取するためのスペースがあり、毎月15日に3軒交代で湯の花を集めていたという。



昭和29年、それまで地上を流していた温泉をパイプで引くようにした。
葉や空気、不純物が混じることのないまま安定供給が可能になり、
湯の花は取れなくなった代わりに、
湯船に注がれる白布の湯はクセのないほぼ無色透明になった。



1-1-2西屋の湯守とその継承

(1)先達の皆さん



(大正~昭和の初め頃の西屋、湯滝風呂。お客様が手前の渡り廊下を歩いています。)


(かつて西屋の番頭をしていた、通称:彦さん(写真右端)。順に中屋番頭さん、
“白布の仙人”と言われた正吉翁、便利屋後藤さんと山にマタギ仕事に向かうところ。
昭和23年撮影。)

西屋では、「湯守」という役を専属で担う従業員はつい最近までいませんでした。
もともと家族の男子の仕事でしたが、昭和以降は主に番頭さんがその役を負いました。
なぜ男子かというと、ひたすら外の作業だからです。
詳しくは次回解説いたしますが、冬は雪をかきわけ、
梅雨や秋の台風の頃には増水した沢で踏ん張りながら木の枝や落ち葉を取り除き
(冬は特に枝ごと雪や氷が落ちてくるので、作業量は必然的に増える)、
朝でも夜でも必要に応じて山に入らなければいけないなど、
とにかく根気と体力が要求されます。想像に難くないと思いますが割と3Kです。
(そのうち「汚い」を「清い」に変換して下さい)
オナゴがその役を担うなど、誰も考えなかったでしょう。

(2)湯守を(勝手に)襲名

時は昭和から平成へ、時代も大きく変わりました。

東日本大震災が東北地方を襲った2011年、
それまで長く務めてくれていたベテランの番頭さん2人(うち1人は彦さんの弟子)が
高齢を理由に引退しました。
当然西屋の湯守も不在になったわけです。
そもそも湯守といっても、お風呂掃除の時や「お風呂が熱い(稀にぬるい)」と
言われた時だけ調整に入る程度で、その前後から徹底した温度管理が
行われているとはいえませんでした。
60度近くある白布の源泉を適温に下げる山の水は、自然の力だけで引いてくるもの。
森から降り落ちる葉や枝、雪などで詰まりやすいのです。
当然水が止まるたびにお風呂も熱くなるわけで、
多くのお客様にご迷惑をおかけしました。
ドライブやスキーレジャーの傍ら日帰り入浴で西屋を訪れた方にも、
「西屋の風呂は入れないくらい熱い」というトラウマを植え付けてしまったに違いありません。
番頭さんが抜ける前後の頃は、私は出産や子育てのさなかで
表に出ることがほとんどありませんでした。
ただ、お客様の波がゆっくりと遠のいていく様を、
漠然とした不安を抱えながら見守るしかありませんでした。

ある日のこと、
日帰り入浴のお客様からかなりの剣幕で「熱い」と指摘されたのでしょう。
高齢の会長が不安定な足取りで裏の枡を目指す姿を見かけました。
その時、目が醒めたようにはっとしました。

湯守は誰か?
誰が守るべきなのか?
このままではいけない、誰かを待っていてはいけない、
大好きな西屋の湯滝が、自慢のはずのお風呂がクレームに晒されるのを
これ以上黙って見ているわけにはいかない、
温泉(とその名誉)は自分の手で守らなければいけない。

そう強く思いました。
下の子がようやく幼稚園に入園した2014年のことです。
その日のうちに、先達がいないまま一念発起して湯守を引き継ぎました。

以来、一から手探りで経験を積みつつ今日に至っています。

(3)ギャラリーその2


湯守を引き継いだばかりの頃の様子。減量前。今と人相違うと言われた(笑)
この直前にうっかりメガネを湯枡に落としており、文字通りの手探り(!)


湯守を始めたばかりのころは、水加減がよくわからなくてとにかく苦労した。


しかし、この温泉を大切にしたい、守りたいという思いは少しも衰えていない。



現在の湯滝風呂。今日も湯滝の心地よい音が響いている。


次回は、日々湯守として実際どんな作業をしているのかをお話します。

2017.03.01

コラム再開・閑話休題のお知らせ

 お久しぶりです。

お正月以来のコラム更新です。
本当は見どころ紹介の連載を続けるつもりだったのですが…



(2017年1月15日撮影。)


御存じの方はご存知の通り、年が明けたとたん冬の神様は仕事を思い出したのか、
それまで貯めていた分ごと一斉に大雪を降らせ、
私はPCに向かう時間がまるで確保できないまま、
2か月近く除雪や外作業でてんてこ舞いしていました。



(1月16日、三十三観音に向かって一人雪を掘り進める。この先に沢がある)


(作業中何度も地吹雪にまかれ、森の手荒い歓迎(?)を受ける。)

何かもう、緯度が地軸を廻ったような、物の考え方まで180度変えられてしまったような、
そもそも考える時間すらあったのかよく思い出せないくらい怒涛の日々でした。



(2月1日、雪おろしのため、初めて西屋の屋根に上がりました。)



斧だのダンプだの散々振り回したわりに大きな事故・けがや筋肉痛にならなかったのは、
日頃人知れず筋トレに勤しんでいたことや、見えない力が守ってくれたおかげでしょう。
年齢はこの際忘れよう(笑)


どんなに仕事が大変でも、命には代えられません。
いついかなる時も、感謝の気持ちを私は忘れてはいけない。






というわけで、連載は4月以降に持ち越し、今月は閑話休題として
私が毎日行っている湯守のことをお話しようと思います。
湯守とは何か、どんな仕事なのか、日々どんな思いで山に入っているのか。

もともとこの仕事の話は表には出さないつもりでした。
なぜなら、完全な裏方の作業だからです。
ただただお客様に気持ち良くお風呂に入って頂きたい一心で背負っている役目。
決して難しく考える必要のないものだと思っていました。


しかし先日、とあるお客様に声をかけられました。
「若女将。これはドキュメンタリーだよ」と。
そのお客様は、日々Twitterで私が時折写真を添えて載せている湯守作業を
ずっと見ていて下さった方でした。



この言葉に、何か突き動かされるものを感じました。



(朝6時前に、温度調整のため本館裏の枡へ。冬の夜明けはただ美しい)


(温度を確かめる。極寒でかじかんだ手もふっと生き返る(時々熱い(苦笑))。)

湯守を引き継いだ経緯、大変でも旅館商売を諦めない思い。
こんな人里離れた山の中に住みながら、さらに山へと引きよせるもの。
この星が生きている、命が流れていると全身で強烈に感じる瞬間。

毎日自分がどう思い、何に語りかけて走っているのか、一度記録のつもりで
書いてみようと思い立ちました。

実際ドキュメンタリーと言えるようなものではないかもしれませんが、
山や森や水の美しい写真を添えてお届けしてまいります。

週1回のペースで更新していく予定です。
お楽しみに。